Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ポール・セザンヌ Paul Cézanne
1839-1906 | フランス | 後期印象派




近代絵画の父と呼ばれ、20世紀絵画の扉を開いた後期印象派を代表する画家。多角的な視点の採用、対象の内面に迫る心情性に富んだ形体・色彩の表現、単純化された堅牢な造形性など印象主義的なアプローチとは異なる、独自性に溢れた革新的な表現方法によって絵画を制作。また「印象派より永続的で堅牢なものを」と、印象派的な過度の分析法に反対の意を表し、造形的な画面の構成に力を注いだ。長く正当な評価を得ることはできなかったものの、自然などのモティーフを前にしたときの感覚を重要視した表現は、数多く生まれた世紀末〜20世紀初頭の絵画様式、特にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックによって提唱・創設されたキュビスムの形成に多大な影響を与えた。なお画家の個性的な表現手法は19世紀フランスの画家アドルフ・モンティセリから受けた影響が色濃く反映している。セザンヌは静物画や風景画を好み、これらの画題で幾多の作品を残しているが、肖像画や自画像、水浴図に代表されるモニュメンタルな大構図の作品でも優れた作品を手がけている。1839年、当時結婚はしていなかったものの、南仏の小さな町エクス=アン=プロヴァンス(通称エクス)で帽子の販売業を営んでいた裕福な父ルイ=オーギュスト・セザンヌと母アンヌ=エリザベート・オノリーヌの間に長男として生まれる。両親が正式に結婚(1844年)した後の1848年、父ルイ=オーギュスト・セザンヌが知人と共にセザンヌ・カバソール銀行を設立、事業は成功しセザンヌ家はさらに裕福になる。少年時代(1852-58年)にエミール・ゾラと知り合い、詩作や絵画の創作に熱中しながら友情を育む。1858年エミール・ゾラがパリへと移住。1859年から父の希望で法律を学ぶためエクスの大学に入学するが、その就学は必要最小限にとどめ、本格的な絵画を学び始める。次第に画家への想いが強くなり、1861年、法律の勉強を放棄しパリへと旅立つ(父との対立が本格化する)。同年、アカデミー・シュイスに入り、カミーユ・ピサロギヨマンらと出会う。中でもセザンヌにとって最も良い理解者となったピサロとの出会いは画家にとっても重要な転機となった。その後、一時的にエクスへと帰郷するも翌年、パリへ再来、この年にカフェ・ゲルボワでクロード・モネルノワールアルフレッド・シスレーフレデリック・バジールら後に初期印象派を形成する主要な画家たちと知り合う。またこの頃、色彩の魔術師とも呼ばれたロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワと、写実主義の大画家ギュスターヴ・クールベを崇拝に近いほど賞賛し、精力的に研究をおこなう。その後、エドゥアール・マネエドガー・ドガなどと知り合い、当時の印象派の画家たちと行動を共にしていたものの、近代都市と変貌していたパリの雰囲気に馴染むことができず、故郷エクスとパリを往復する生活を送りながら第1回、第3回の印象派展に参加するが、作品はほとんど理解されなかった。1772年、後に妻となるオルタンスとの間に息子ポール誕生。1886年、数年前から不仲となっていたエミール・ゾラが、主人公の失敗した画家のモデルにセザンヌを反映したと思われる小説≪制作≫を出版、二人の間に決定的な亀裂が生じる。また同年、父ルイ=オーギュスト・セザンヌが死去。父が残した莫大な遺産により生涯の経済的不安から開放される。1880年代以降はエクスに戻り、プロヴァンスの風景画、人物画、静物画、水浴画など、後にセザンヌを代表する作品を制作することに専念。1890年代後半から次第に評価を得るようになり、晩年期には高額で絵画が取引されるようになったものの、糖尿病など健康状態が悪化。精神状態も不安定になり、対人関係が困難となった。1906年、偉大なる巨匠としての地位は確立されていたものの、エクスのアパートで肺炎により死去。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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『レヴェヌマン』紙を読むルイ=オーギュスト・セザンヌ(画家の父)

 (Porrtrait de Louis-Auguste Cézanne, pèpe de I'artiste) 1866年
200×120cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ポール・セザンヌ初期の最も重要な作品のひとつ『『レヴェヌマン』紙を読むルイ=オーギュスト・セザンヌ(画家の父)』。1866年、画家が27歳の時に完成させられた本作は、セザンヌが画家になることを最も反対していた保守的な銀行家である父ルイ=オーギュスト・セザンヌの肖像画である。画面のほぼ中央へ赤い花柄の入った大きな椅子に座りながら真正面を向く父ルイ=オーギュストが威圧的にすら感じられるほど威厳に満ちた姿で配されており、手にする革新的論調の新聞『レヴェヌマン』紙へ視線を落としている。実際には保守的な父ルイ=オーギュストは『レヴェヌマン』紙を嫌悪しており、一般的には本作に描かれる父ルイ=オーギュストの姿には自身(セザンヌ)を認めない父に対する強烈なアイロニー(皮肉)が込められていると解釈されているが、反対にセザンヌが父ルイ=オーギュストに認められたいとの願望の表れとする説も有力であり、父ルイ=オーギュストの頭上(背後の壁)に掛けられるセザンヌ自身の静物画作品からも、それは良く理解することができる。さらにはこの頃、『レヴェヌマン』紙へ美術評論を掲載し始めた同郷の友人エミール・ゾラへの称賛と羨望を見出す研究者も少なくない。また本作の描写手法に注目しても、やや重々しさを感じさせる光と陰影の対比の強い褐色的な対象描写や、父ルイ=オーギュストに落ちる深い陰による独特の心理的内面表現には、セザンヌと父ルイ=オーギュストとの複雑な関係性(※父ルイ=オーギュストはセザンヌが画家になることには反対していたが、同時に生活における援助もおこなっている)を見出すことができる。

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画家アシル・アンプレールの肖像


(Portrait d'Achille Emperaire) 1869-70年頃
200×122cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

近代絵画の父とも呼ばれる後期印象派の巨匠ポール・セザンヌ初期を代表する単身人物像のひとつ『画家アシル・アンプレールの肖像』。本作はセザンヌ同様、南仏の小町エクス=アン=プロヴァンス(通称エクス)出身の画家であり良き友人のひとりでもあった≪アシル・アンプレール≫を描いた肖像作品である。画家が30歳の頃(1869-70年)に制作された本作では、新古典主義最後の巨匠ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングルなど古典主義者たちが皇帝ナポレオンを描いた肖像画に倣うかのように、玉座を思わせる大きな椅子(※この椅子の花柄はセザンヌが初期に手がけた父の肖像画にも登場している)に鎮座するアシル・アンプレールは身体こそ正面を向けているものの、その顔と視線はやや斜め下に向けられており、かつて王族や貴族、皇帝などが描かせた厳格性の高い公式な肖像画とは異なる、人間味に溢れている。アシル・アンプレールはその名が示すよう小柄な体躯であったが、セザンヌは後に「鋼の神経によって燃え上がる魂、そして鋼鉄の誇りが彼の醜く小さな身体の中に、まるで炉の炎のように宿っている」と述べているよう、アシル・アンプレールの内面に確固たる精神を見出しており、本作でも画面左側から照らされる強烈な光による明暗の対比や太く雄々しい輪郭と筆触、疲弊的ながらも力強い意思を宿した瞳の表情、そして画面上部に記される「皇帝」に準えた「アシル・アンプレール、画家」の碑文などにそれらを感じることができる。

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タンホイザー序曲(ピアノを弾く若い娘)


(Overture to Tannhäuser) 1868-69年頃
57×92cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館

近代絵画の偉大なる画家ポール・セザンヌ初期の代表作のひとつ『タンホイザー序曲(ピアノを弾く若い娘)』。本作は19世紀ドイツの作曲家で、数多くの優れた歌劇(オペラ)を作曲したことから歌劇王とも呼ばれたヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーによる傑作≪タンホイザー(タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦)≫に着想を得て制作された作品で、完成後は画家の妹ローズへ贈られたことも知られている。後にアンブロワーズ・ヴォラールが妹ローズから購入することになる本作の名称ともなっている≪タンホイザー≫は、本作が手がけられる25年程前に作曲されたオペレッタで、騎士タンホイザーとテューリンゲン領主の娘エリザベトの悲恋の物語で、中世ドイツにおけるキリスト教の伝説的逸話を題材としている。様々な説が唱えられているものの、定説では画面中央から左側に描かれるピアノ用の編曲された≪タンホイザー≫を弾く上品でブルジョワ的な白い衣服を身に着ける若い娘は画家の妹ローザと、画面中央から右側に配される編み物をする中年の婦人は画家の母と考えられている。静謐感が漂う画面や、やや寂しげで陰鬱な雰囲気など、本作には若きセザンヌの模索的展開を強く感じさせるものの、真横から捉えられる妹ローザの垂直が強調される直線的な表現や、幾何的模様の導入などには、その後のセザンヌの絵画的方向性を見出すことができる。なおこの画題を手がけた作品は本作を含め数点知られており、一般的には本作がその最終作であると考えられている。

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饗宴

 (Feast) 1869-70年頃
130×81cm | 油彩・画布 | 個人所蔵

後期印象派を代表する画家ポール・セザンヌ初期の最も重要な作品のひとつ『饗宴』。かつて画家自身は≪酒宴≫と命名していたものの、批評家によって≪饗宴≫と呼称されるようになった本作は、19世紀フランスの小説家ギュスターヴ・フローベール(フロベール)の著書「聖アントニウスの誘惑」内に記述される≪ネブカドネザルの饗宴≫を光景を描いたと解釈されている作品で、特に華やかで豊潤な固有色や多様な陰影色など色彩表現においてルネサンスヴェネツィア派の大画家パオロ・ヴェロネーゼ(パオロ・カリアーリ)随一の大作『カナの婚宴』や、フランドル絵画最大の巨人ピーテル・パウル・ルーベンス、フランスロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワへの傾倒と研究を如実に感じさせる。画面中央より下部で繰り広げられる酒宴の光景は享楽そのものであり、観る者へ否が応にも性的行為を連想させる。特に画面下部の裸体で抱き合いながら絡まる男女や散乱した豪勢な食事などは、もはや酒池肉林の様相を呈している。このような性的享楽を暗喩させた饗宴風景は当時の絵画主題においては流行でもあり、セザンヌもそれに則って制作を試みたと推測されているが、この頃の画家の色彩へと取り組みが顕著に示されている点で、初期作品の中でも特に重要視されている。なお画家は本作の典拠となったフローベールの「聖アントニウスの誘惑」そのものも、ほぼ同時期に作品として残している。

関連:1869-70年頃制作 『聖アントニウスの誘惑』

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牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)


(Pastorake) 1870年
65×81cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

後期印象派の大画家ポール・セザンヌ初期の代表的作品のひとつ『牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)』。本作は印象派の先駆者エドゥアール・マネルネサンスヴェネツィア派最大の巨人ティツィアーノ・ヴェチェッリオ初期の傑作『田園の奏楽』に倣い制作した問題作『草上の昼食』に影響され、同作品に基づきながら、16〜17世紀スペインの小説家ミゲル・デ・セルバンテスの最も著名な小説≪ドン・キホーテ≫の一場面を描いた作品である。草上で寝そべる男としてセザンヌ自身の姿も描き込まれている本作では、画面下部に『草上の昼食』を容易に連想させる男女が、画面左側には官能的な姿態を示す裸婦と水辺で髪を結う(又は水浴する)裸婦が、そして画面右側にはパイプを吸うような仕草を見せる着衣の男の後姿が描き込まれている。画面前景の草上には一見すると無造作的に配される登場人物であるが、その構成は後の構成主義的な堅牢性の萌芽を微かに感じさせ、観る者の視線を自然と誘導させることに成功している。さらに本作では濃密な官能性を裸婦や男根を連想させる小島の樹木で、自然との調和性をやや不吉な印象すら感じさせる青々とした色彩で表現している。これらは『田園の奏楽』以来、古典的な牧歌的風景画の典型であった本主題に対する若きセザンヌの挑戦的取り組みであり、1870年代の画家の思想や動向はもとより、特徴的な作風とその変化、様式的昇華を考察する上でも重要な作品として位置付けられている。

関連:ティツィアーノ作 『田園の奏楽』
関連:エドゥアール・マネ作 『草上の昼食』

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オーヴェール=シュル=オワーズの首吊りの家


(La Maison du pendu, à Auvers) 1873年
55×66cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

後期印象派の巨匠ポール・セザンヌ初期の最も重要な作品のひとつ『オーヴェール=シュル=オワーズの首吊りの家』。セザンヌがガジェ医師と共にオーヴェール=シュル=オワーズに滞在した1873年に制作され、翌1874年に開催された第1回印象派展へ出品された本作に描かれるのは、パリ北西の地≪オーヴェール=シュル=オワーズ≫の風景で、画家と親しかった印象派の巨匠カミーユ・ピサロや、フィンセント・ファン・ゴッホも同地で制作活動をおこなっている。画面最前景には村の中心へと続く田舎道が突然画面左から横切るように大胆に配され、その道の先には二軒の家が左右対称的な位置に配されている。画面の中央やや上部分に空いた空間には中景として村の家々が、さらに遠景にはオーヴェールの景観と青々とした空が広がっている。印象的な名称≪首吊りの家≫の由来については現在も不明(ただし画面中央の家屋が首吊りの家と呼ばれていたとする説も唱えられている)である本作の、不安定的で奇抜な画面構成と、画面の大部分を占める二軒の家が示す対照的な秩序との複合的展開や、絶妙に配される木々とその枝ぶりなどは親友でもあり、印象派の画家たちの中で最もセザンヌを認めていたピサロからの影響を感じさせる。またほぼ均一に当てられる陽光の処理や、画面右側の小屋の屋根の柔らかさの中に硬質性も感じさせる独特の描写と質感の表現には印象派の画家らとは異なる、セザンヌの独自性を見出すことができる。なお本作は印象派展終了後、同派の熱心な収集家であったアルマン・ドリア伯爵によって購入され、現在はオルセー美術館に寄贈されている。

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モデルヌ・オランピア(近代のオランピア、新オランピア)


(Une moderne Olympia) 1873-1874年
46×55cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

後期印象派の大画家ポール・セザンヌ初期の代表作『モデルヌ・オランピア(近代のオランピア、新オランピア)』。1874年にノルマンディ地方ル・アヴールの港町にあった写真家ナダールのスタジオで開催された記念すべき第一回印象派展への出品作である本作は、印象派の先駆者エドゥアール・マネの問題作『オランピア』への敬意を示す、そして対抗として同画題で制作された作品である。セザンヌは1869年から1874年までに本画題を2点制作しており、本作は1873年から74年にかけて制作された第2ヴァージョンである。1869-70年頃に制作された最初の作品では、この頃の画家の様式的特徴である重々しい濃密な色彩によって表現されているが、本作ではそれとは正反対に明瞭で軽やかな色彩が溢れている。画面中央ではベッドに横たわり奔放な姿で眠る娼婦オランピアの姿が描かれ、その背後には黒人の従者がベッドに敷かれる白布を取っている。さらにマネが制作した、娼婦の典型的な通り名が作品の名称である『オランピア』ではその存在が暗示されるだけであった男性客の姿を、セザンヌは画面内へおそらく自らの姿を模して明確に描き込んでおり、性の対象としてのイメージ、そして当時の社会の現実性を本作でより直接的(率直)に示している。このことは批評家や保守的な人々の反感を大きく買い、酷評を受ける大きな要因のひとつとなった。しかし『オランピア』の重要な典拠となったルネサンスヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノによる傑作『ウルビーノのヴィーナス』から続く、西洋絵画史における裸婦の表現とその位置付けをさらに推し進めた(進化させた)という点で、本作の持つ意味合いは大きい。色彩表現においても画面左下に配される真紅のテーブルと対角線上に描かれる(画面右上の)花束と濃青紫、そしてテーブルや男性客の座るソファー、左部分に描かれるカーテンの赤い色調と、床や壁の緑色の色彩的対比は特に注目すべき点のひとつであるほか、従者の黒人や黒い衣服を着た男性客とその間に配されるオランピアの白い肌の対比や空間的構成も、本作を考察する上で重要視される要素のひとつである。

関連:1869-70年頃 『モデルヌ・オランピア(近代のオランピア)』
関連:エドゥアール・マネ作 『オランピア』
関連:ティツィアーノ作 『ウルビーノのヴィーナス』

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マンシーの橋

 (The Bridge of Maincy) 1879年頃
60×73cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

偉大なる後期印象派の画家ポール・セザンヌ1870年代後期を代表する風景画作品のひとつ『マンシーの橋』。本作は画家が1879年から1880年まで滞在したパリ南東アルモン川沿いの小町ムランで制作された作品で、アルモン川に架かる≪マンシー橋≫の情景を画題に選定している。画面中央へ水平に配されるマンシーの橋は画面へ安定と秩序をもたらす効果を発揮しており、本作を観る者に対して非常に堅牢で構成的な印象を与えることに成功している。さらにその前(前景)に配される細く長い樹木は、平面的空間の中で観る者の導きとしての役割を果しており、(観る者の)視線を自然と中景のマンシー橋へと向けさせている。さらにこの前景の樹木と構成的呼応を示す、画面右側の同系の樹木群は本作の垂直性(※マンシー橋の平行性と対比する)を生み出している。これらに示される幾多の思考の末に辿り着いたであろう絶妙な画面構成や、古典的風景と近代的風景の見事な表現的融合も特筆すべき点であるが、最も注目すべき点は短く平坦的な筆触による構成要素の構造的描写と、絵画的質感の見事さにある。本作に示されるセザンヌ独特の四角い筆触は、絵画としての感触を存分に表しており、画家の厳格な絵画思想を強く見出すことができる。さらに緑々とした木々の葉の美しい色彩は観る者の目を強く惹き付けるだけでなく、画面内へ自然的で均衡的な調和性をも生み出している。

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林檎とビスケット(リンゴとビスケット)


(Pommes et biscuits) 1879-1882年頃
45×55cm | 油彩・画布 | オランジュリー美術館

後期印象派の最も重要な画家のひとりポール・セザンヌを代表する静物画『林檎とビスケット(リンゴとビスケット)』。画商ポール・ギヨームの蒐集作品の中の1点であり、現在はパリのオランジュリー美術館に所蔵される本作は、画家が幾度も手がけてきた≪りんご(林檎)≫を主画題にビスケットを加えた静物画作品で、本作には、後年(1895年とされる)友人ジェフロワに「リンゴでパリを驚かせたい」と語ったと伝えられるよう、静物画を重要視していたセザンヌの形状の様式的描写と色彩による質感表現という絵画的特徴がよく示されている。画面中央の木製棚の上へ14個の林檎は無造作的に配置されているようで、画面右側に置かれる青太縁の皿とその上のビスケットと見事に呼応しており、極めて単純ながら観る者に心地良さすら感じさせる絶妙な静物構成には画家の天性を感じずにはいられない。また色彩表現においても赤や黄や茶色など豊かな暖色でまとめられる林檎や木製棚、それらと色彩対比的な青皿や緑地の壁、そして(やや奇抜ながら)アクセント的な桃色のビスケットなどにセザンヌの感性の高さと色彩に対する強い執着を見出すことができる。

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愛の争い(愛の戦い)

 (La lutte d'amour) 1880年頃
38×46cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

近代絵画の偉大なる巨匠ポール・セザンヌ作『愛の争い(愛の戦い)』。共に印象派展へ出品もしていた同時代の大画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの旧蔵となる本作は、森の中で繰り広げられる男女、そして女と女による愛の争いの情景を描いた作品であるが、その解釈には様々な説が唱えられており、現在も議論が続いている。おそらくは神話画や牧歌的情景画など古典的な絵画にも通じているのであろう、セザンヌ独特の荒々しく劇場的な筆触によって表現される本作の愛の争いをおこなう男女らの姿は非常に暴力的であり、否が応にも画家初期の作品に見られる乱暴な強制力による性的妄想を予感させる。特に四組の男女らの内、右から2番目に描かれる最前景の男の性器は明らかに雄雄しく反り返っており、強姦的な様子さえ感じさせる。そしてさらにその隣には興奮しながら吠えている一匹の黒犬が描き込まれていることも特に注目すべき点である。また画面中央(右から3番目)に描かれる金髪を靡かせた女同士による愛の争い(※これは愛の和解とする説もある)の姿は神話の一場面のような独特の雰囲気を醸し出しており、観る者の目を奪う。またそれとは別に、一部の研究者たちからはルネサンスヴェネツィア派の確立者ジョヴァンニ・ベッリーニや同派最大の巨人ティツィアーノの影響が指摘されている本作は同時代やバロック期に流行した愛を称える賛歌的な作品とする説も唱えられている。何にせよ本作は小作ながら、セザンヌの個人的な記憶(画家は若かりし頃、よく友人らと水浴を楽しんでいた)や愛への考察・傾向が根幹となっていると推測することができる作品であり、同時期の画家の極めて重要な作品と位置づけることができる。なお本画題を描いた作品が本作以外に2点確認されており、その中の1点はかつてセザンヌの最大の理解者であったカミーユ・ピサロが所蔵していたことが知られている。

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サント=ヴィクトワール山と大きな松の木


(La montagne Sainte-Victoire au grand pin) 1885-87年頃
66.8×92.3cm | 油彩・画布 | コートールド・コレクション

近代絵画の父ポール・セザンヌを代表する風景画作品のひとつ『サント=ヴィクトワール山と大きな松の木』。本作はセザンヌの故郷であるエクス=アン=プロヴァンス(以下エクス)の東に位置する≪サント=ヴィクトワール山≫を、画家の生家ジャ・ド・ブーファン近郊からの視点で描いた風景画作品である。1880年代以降のセザンヌの作品としては非常に珍しく署名の記された本作(※この署名は同郷の友人である詩人ジョアシャン・ガスケへ返礼的に記された)では、中景にエクスを流れるアルク川地域の穏やかな風景が広がっており、遠景には青く染まったサント=ヴィクトワール山が堂々と構えている。そして近景として画面左側に古典的でありながら唐突な配置には日本の浮世絵の影響を感じさせる大きな松の木が配されており、その枝葉は画面上部全体へと広げられている。本作の計算された秩序的な構成や技巧的描写なども特に注目すべき点であるが、本作で最も注目すべき点は画題である松の構造的連続性と色彩の調和的表現にある。画面左側に配される松の大樹は(特に幹の部分で)明確な存在感を示しているものの、枝に茂る針葉は空の青灰色と調和するように描かれている。また針葉の鮮やかな緑色は(サント=ヴィクトワール山を挟み)明らかに中景のアルクの風景に広がる田畑と呼応しており、色彩的な統一感と構成要素同士の連動性を生み出すことに成功している。また下地に塗られた明灰黄色を活かした、やや淡白で平坦的な調和的色彩表現にはセザンヌの画家としての革新性を見出せると同時に、故郷の情景に対する(セザンヌが抱いていた)深い敬愛の念をも感じることができる。なおセザンヌは『松の大木があるサント=ヴィクトワール山』を始め、本作と類似した同主題の作品を水彩・油彩合わせて複数手がけていることが知られている。

関連:『松の大木があるサント=ヴィクトワール山』

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水浴の男(両手を腰に当てて立つ男)


(Le grand baigmeur) 1885-1887年
127×96.8cm | 油彩・画布 | ニューヨーク近代美術館

近代絵画の父ポール・セザンヌを代表する単身人物像のひとつ『水浴の男(両手を腰に当てて立つ男)』。画家の代表作が多数生まれた1880年代の中頃から制作が開始された本作に描かれるのは、水浴をおこなうひとりの男性の姿で、セザンヌは≪水浴≫する人々を画題とした作品を、単身・複数人問わず数多く手がけているが、本作はその中でも男性裸体像表現において伝統的展開を捨て、新たな展開を示したという点で、特に代表的な作例のひとつとして広く知られている。画面中央で腰布(肌着)のみを身に着け、腰に手を当てながら俯き加減に立つ男には、画家が他に手がけた水浴図とは異なり運動性が皆無である。そしてその姿態やプロポーションも、宗教画や神話画など、隆々とした逞しい肉体で描かれる伝統的な男性像ではなく、寸胴とした体躯や若干痩せた手足など現実味の高い男性像で描かれている。さらに本作に示される厳格な正面性によって観る者が受ける精神性や、俯く男の表情に見られる瞑想性は、現実的でありながらある種の隔たりを感じさせる本作の独特な雰囲気を決定付けている。また明確に描かれる水浴する男の輪郭線は、画題における主対象としての存在感を画面内で際立たせているほか、背景や男の身体上の皺として複数用いられる水平な線や、曲線と直線が絶妙に混在した外形としての形体表現も特筆に値する。色彩表現の点においても、平面的に表現される空間内で複雑に配される多様な色彩は観る者の目を奪うばかりである。このように伝統的表現を意識しながらも、革新的な斬新性を追い続けた画家が本作で示した、不合理的かつ不均衡ながら高い調和性は他に類のないほどの完成度を見せている。

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赤いチョッキの少年

 (Garçon au gilet rouge) 1888-90年
65.7×54.7cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

後期印象派の大画家ポール・セザンヌを代表する単身人物像のひとつ『赤いチョッキの少年』。本作は1880年代末頃から1890年代初頭にかけて制作されたイタリア人少年ミケランジェロ・ディ・ローザをモデル(彼は職業モデルであった)とした≪赤いチョッキの少年≫の連作の中の1点である。画面のほぼ中央に描かれるミケランジェロ少年はやや俯きながら右側へと視線を向けており、その口元は少年の内面性を表したかのようにへの字に結ばれている。上半身と僅かな下半身で構成される赤いチョッキの少年の姿態は画面のほぼ正面を向けており、ここにセザンヌの単身人物画の多くに共通する厳格な正面性と垂直性を見出すことができる。さらに本作で最も注視すべき点であり、最も魅力的な面として特筆すべき点は、少年が身に着ける色鮮やかな赤色のチョッキとその他の構成要素との色彩的対比である。赤いチョッキを中心に、首下に結ばれる青色のタイや柔らかさを感じさせる白地のシャツ、青緑味を帯びた背景の壁、そして厚ぼったいカーテンや少年の髪の毛などの黒色に近い緋色と様々な部分で色彩的対比が試みられており、この頃の画家が傾倒していた色彩的特長を良く示している。そしてその何れもが絶妙かつ繊細な調和と絵画的精神性を含んでおり、観る者に深い感銘を与える。なお本作以外の赤いチョッキの少年の作品はワシントン・ナショナル・ギャラリーやE・G・ビュルレ財団、ニューヨークの個人が所有している。

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マルディ=グラ(謝肉祭の最終日)


(Mardi-Gras) 1888-1890年頃
100×81cm | 油彩・画布 | プーシキン美術館

偉大なる近代絵画の創始者ポール・セザンヌ随一の肖像画作品『マルディ=グラ(謝肉祭の最終日)』。≪謝肉祭(カーニバル)の最終日≫を意味する『マルディ=グラ』との名称が付けられた本作は、画家の息子ポールと、画家の友人ルイ・ギヨームをモデルとする、≪コメディア・デラルテ(16世紀〜18世紀の欧州で流行した即興演劇のひとつ)≫の登場人物≪アルルカン≫と≪ピエロ≫を描いた二重肖像画である。画面右側に描かれた、伝統的な赤色と黒色の菱形模様が特徴的な衣服と長杖(スラップスティック)を手にする、すらりとした肉体のアルルカンはセザンヌの息子ポール(当時16歳)がモデルとなっており、本作以外でもアルルカン単身の作品(ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵)が複数、制作されていることが知られている。その表情は実にりりしく堂々としており、衣服の強烈な赤色と黒色との対比的効果も手伝い、観る者を惹き付ける。画面左側には画家の友人ルイ・ギヨームをモデルとした、ややゆったりとした白い衣服と帽子を身に着けたピエロが、アルルカンの後ろに付くような姿態で描き込まれており、これもアルルカンの衣服との色彩的対比と身体的特徴の対比により視覚的な面白味を与えることに成功している。さらに本作で注目すべきは秀逸な画面構成にある。画面最上部中央から八の字に広がる(やや重々しい色調の)カーテンと登場人物(アルルカンとピエロ)は見事に構成的一致を示している。そしてピエロの衣服の皺で強調される直線性が構成要素、そして造形としての堅牢性と安定性を与えている。これらはセザンヌの作品において最も重要な様式的・表現的・描写的特徴であり、後世への影響も考慮すると特筆に値するものである。

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アルルカン(道化)

 (Harlequin) 1888-1890年
101×65cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

近代絵画の父ポール・セザンヌを代表する単身人物像のひとつ『アルルカン(道化)』。本作は1888年から1890年にかけて4点ほど制作された、セザンヌの息子ポールをモデルに≪アルルカン(道化師)≫を画題とした作品の中の1点である。画面の中央で斜めに構えたアルルカンは、白い三日月の帽子を被りながら、やや首を傾げ立っているが、その顔立ちは簡素化(抽象化)されており明確な感情を見出すことはできない(無表情の印象が強い)。身に着ける独特の衣装もアルルカン(道化師)らしく、赤色と黒色が規律正しく交互に配された菱形模様(ダイヤモンド模様)が施された奇抜さが際立っている。さらに右手には白色の木の棒(または木剣)が持たされており、身に着ける衣服との色彩的対比は観る者にアルルカン(道化師)の印象を強く植え付けさせる効果を発揮している。本作で最も注目すべき点は、やはりアルルカン(道化師)が身に着ける赤色と黒色の衣服にある。セザンヌはこの頃、本作以外にも3点の同主題の作品を制作しており、それらの作品でも同衣装を身に着けているが、本作の衣服の奇抜性と、まるで人形(マネキン)を思わせるような表情の無いアルルカン(道化師)の人物像と組み合わさることで、現実感の薄れた非常に革新的(現代的)な対象のイメージを生み出している。この真新しい対象への取り組みはセザンヌ以降の近代の画家たちを始め、多くの画家らに多大な影響を与えた。なお白色の木の棒とそれを持つ手を逆にしたほぼ同様の構図による作品『アルルカン(道化)』がケンブリッジのロス・チャイルド・コレクションに所蔵されている。

関連:1889-90年制作 『アルルカン(道化)』

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青い花瓶

 (Vase bleu) 1885-87年頃
61×50cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

近代絵画の父ポール・セザンヌ初期を代表する静物画作品のひとつ『青い花瓶』。1885-1887年頃に制作されたと考えられている(注:1890-91年頃とも推測されている)本作は、花が入れられた青い花瓶を中心に皿や林檎らしき果物などが構成される静物画である。画面中央やや左側に配される青く縦長の花瓶は強く濃く、何度も重ねられた輪郭線によって画面の中で圧倒的な質量感と形状的存在感を醸し出している。それは、本作に描かれる(諸説あるが、おそらくアイリスやシクラメン、ゼラニウムと思われる)花瓶に入れられた花や3つの果物も同様で、細部まで克明に描写されることなく、ただ静物のしての形態とその存在そのものが強調されている。本作で最も注目すべき点は、この静物が内包する形態の真実性に対する画家の探求と、それらが互恵的に関係し合う計算され尽した構成にある。互いの存在を消し合うことなく絶妙に配される各静物の距離感や、伝統的な写実性や遠近的表現を無視してでも取り組んだ、描く対象における形態の力動的な描写は特に秀逸な出来栄えを示しているほか、他の代表的な静物画作品に見られる複雑な構成とは一線を画する、簡素ながら絵画としての完成度が非常に高い静物の構成は、今なお観る者を感動させる。また色彩の表現においても背景の壁と視感覚溶け合うかのような花瓶の青い色彩や、それと対比する黄土色のテーブルや赤色の花と果実などは、画面の中で見事な調和を示している。さらに意図的に歪められた形態の描写にもセザンヌの独自的で革新的な絵画表現に対する信念が感じられ、これらの特徴はナビ派の画家たちを始め、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどキュビスムの画家たちや、アンリ・マティスに代表されるフォーヴィスム(野獣派)の画家たちに大きな影響を与えた。

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台所のテーブル(籠のある静物)

 1888-1890年頃
(Table de cuisine (Nature morte au panier))
65×81cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

近代絵画表現を開拓した後期印象派の偉大なる巨匠ポール・セザンヌが手がけた静物画の傑作『台所のテーブル(生姜壷のある静物、籠のある静物)』。ほぼ同時期に制作された『リンゴとオレンジ』と共に、セザンヌの静物表現におけるひとつの頂点を示す作品として広く知られている本作は、林檎や梨などの果物、白布、水差し、砂糖壷、生姜壷(瓶)、籠、木机など台所に置かれる様々な静物が構成された作品である。画面手前には雑然と白布が敷かれた長方形の木机の上に梨や林檎が個々個々に、その中央には蓋の付いた白陶器の水差しが、画面左側には砂糖壷が置かれている。また(観者からの視点による)机の右隅には白布と果物が入った大きな籠が配されているほか、その隣にはやや年期を感じさせる生姜色の壷(瓶)が描かれている(画家はこの生姜壷を画題として愛用した)。さらに画面左側から奥にかけては調理場など台所の様子が描き込まれている。画家の作品の中でも特に複雑で分裂的(分断的)な空間構成が示される本作の最も主対象となるテーブルとその上の静物は全体的にやや左へ傾くように描かれているほか、白布に覆われた木机の形状も矛盾が生じているなど、描く対象や空間的な正確性よりも、対象そのものの存在感や個としての形態表現、空間を超越した絵画としての調和性が重要視されていることがわかる。特に対象の形状や色彩のみに要点を絞って描写される梨などの果物や、斜めに大きく傾いた水差しや砂糖壷、他の静物と比較し明らかに高い視点で描かれる生姜壷(瓶)などの表現はセザンヌの静物表現とその様式の特徴を良く示しており、この革新的な対象表現は20世紀最大の天才画家ピカソを始めとした後世の画家たちに多大な影響を与えた。

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林檎の籠(リンゴのバスケット)


(Corbeille de pommes) 1890-94年頃
65.5×81.3cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

後期印象派の巨匠ポール・セザンヌの造形的探求が示される最良の作品のひとつ『林檎の籠(リンゴのバスケット)』。現在、シカゴ美術研究所(シカゴ・アート・インスティテュート。シカゴ美術館とも呼称される)に所蔵される本作は、四角い木製のテーブルの上に置かれた林檎とバスケット、白布、ワイン瓶、そして皿に盛られたビスケットを描いた静物画作品である。テーブル手前には無造作的に扇形で広げられた白布が配され、その上には、やはりこれも無造作的に完熟的な林檎が置かれている。その奥へは左側へは無数の林檎が入れられたバスケット(籠)、中央にはワイン瓶、右側には皿の上へ秩序正しく積み上げられたビスケットが配されている。本作で最も注目すべき点は、名称ともなっている林檎の入るバスケットの造形にある。視覚的には明らかに傾き過ぎに描写されるバスケットであるが、これは画面全体の空間的曖昧性を回避させている効果を生み出しており、非自然的な安定性を空間へ齎している。またこの描写によってバスケットの中に入れられる林檎が観る者に対して明確に見せるよう施された処理であり、これらの点から本作はセザンヌの静物画における模範的な作例とも言えよう。また各静物が置かれる木製のテーブルも画面の左右で造形が大きく異なっており、画家の造形に対する理解と探求的挑戦の痕跡を見出すことができる。

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リンゴとオレンジ

 (Pommes et oranges) 1895-1900年
73×92cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

近代絵画の扉を開いた後期印象派最大の巨匠のひとりポール・セザンヌを代表する静物画の傑作『リンゴとオレンジ(林檎とオレンジ)』。本作は画家が1870年代以降、数多く手がけた果物を画題とした静物画の中の一点であり、本作は構図、構成、対象の捉え方など完成度が最も高いものとして知られている。セザンヌは画家に共鳴していた批評家ギュスターヴ・ジェフロワに対して「リンゴでパリを驚かせたい」と語ったと言われており(これはエミール・ゾラによる小説≪制作≫の中で、主人公の画家が「素晴らしく描かれた一本の人参で革命を起こしたい」との台詞への画家の反応とも考えられる)、本作は画家の対象に対する切実で、複雑な想いと表現が顕著に示された作品でもある。対象を写実的(客観的)に描くのではなく、対象から感じられる雰囲気や内面をあらゆる角度から見つめ、時には伝統的な遠近法的表現を無視した独自の手法を用いることで、現実では決して見出すことのできない対象そのものの迫真性や、造形としての美しさが本作には表れている。また現実では物理的法則に従い積まれたリンゴの山は崩れるであろうが、画家が時間をかけ、十分に考え抜かれた本作の堅牢な画面構成と対象の捉え方は、それまでの絵画には無い独自的で革新的な絵画展開であった。さらに重厚ながら明瞭なリンゴの赤色とオレンジの橙色は画面の中で明確な存在感を示すと共に、果物が醸し出す生命力も感じられるほか、果物の下に白布を敷くことによる色彩的対象性によって、それらがより強調されている。手法としても画家の荒々しくも静物の本質に迫るかのような強く大胆な筆触も本作の大きな見所のひとつである。

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温室のセザンヌ夫人


(Mme Cézanne dans la serre) 1891-92年頃
92.1×73cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

近代絵画の父とも呼ばれる後期印象派の巨匠ポール・セザンヌ初期を代表する単身人物像のひとつ『温室のセザンヌ夫人』。本作は画家の妻である≪オルタンス・フィケ≫をモデルに制作された人物画作品で、セザンヌが妻オルタンスを画題とした作品を生涯の中で複数枚(20点前後)手がけているが、本作はその中でも特に代表的な作品のひとつとして位置付けられている。画面中央に配されるセザンヌ夫人ことオルタンス・フィケは、黒く細身の衣服に身を包み、やや首を斜めに傾けながら(本作を観る者、そしてセザンヌへと)視線を向けている。その表情には激情的な感情性や思想的な様子は見出すことはできず、セザンヌ夫人を描いた他の作品と同様、(やや物悲しげではあるが)ほぼ無表情である。そして背景には明るい黄土色を主体として樹木や植木鉢(鉢植え)、花を咲かせた植物などが配されている。画面下部の未処理部分など未完成ではあるものの、画家の作品の中で特に重要視される本作で最も注目すべき点は、考え抜かれた画面構成や構図の見事さと、主対象(セザンヌ夫人)と他の構成要素(背景)との連動的関係性による、穏やかで妻への愛情に満ちたセザンヌの個性を感じさせる表現にある。画面の中でやや斜めに構えたセザンヌ夫人と呼応するかのように背景にも傾斜が配され、その直線上に3点の植物が絶妙な距離感で配されている。さらに3点の植物それぞれに用いられる緑色と色彩的対比を示す明瞭な黄土色、そしてそれらが合わさる背景的要素の色彩とセザンヌ夫人の身に着ける衣服の黒色は、本作の調和性とその印象を決定付ける役割を果しており、薄塗り的な独特の筆触はそれを強調することに成功している。

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水浴の男たち

 (Baigneurs) 1890-92年頃
60×82cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

後期印象派の大画家であり近代絵画の始祖的存在でもあるポール・セザンヌが手がけた男性水浴図の代表作『水浴の男たち』。本作はセザンヌ自身が若き頃(幼少期)に親しんでおり、画家にとって身近かつ魅力に溢れた画題であった≪水浴≫を描いた数多くの作品の中の1点である。セザンヌは1870年代にも代表的な男性水浴図作品『水浴者たちの休息』を手がけているが、本作には本画題におけるひとつの到達点が示されている。画面中央には白布を持ちながら直立する裸体の男性が配されており、その左側には大地に腰を下ろす男が描き込まれている。この白布を持つ裸体の男性像はルーヴル美術館の古代彫刻に着想を得ていることが明らかとなっており(デッサンや油彩スケッチが残されている)、本作にある種のモニュメンタル(記念碑)的な感覚を植え付けさせている。それは白布の右側に配される隆々とした筋肉による逆三角形の上半身が特徴的な男性の姿にも感じることができ、画家の古典芸術に対する敬意と関心の高さを窺い知ることができる。また画面の両端に描かれる男性の斜め(内側)に傾けられた姿態と、観る者へ背を向けながら直立する2人の男性、そして画面奥中央の垂直が過剰にすら感じられるほど強調される一本の樹木によって形成される安定的な三角形の構図には画家の高い計算と、画面構造に対する重要度の認識の深さを見出すことができる。さらに中景に描かれた水浴に興じる多くの男性の躍動的な姿や、構成要素の力強い描写、近景・遠景の差異を殆ど感じさせない平面的構成には晩年のセザンヌの絵画様式の特徴が良く示されている。

関連:1875-76年制作 『水浴者たちの休息』

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女とコーヒーポット(婦人とコーヒー沸かし)


(Femme à cafétière) 1890-1895年頃
130×97cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

近代絵画の創始的存在ポール・セザンヌを代表する単身人物像のひとつ『女とコーヒーポット(婦人とコーヒー沸かし)』。本作は画家の父ルイ=オーギュスト・セザンヌがエクスのジャス・ド・ブッファンで購入し、画家自身も40年近く住んでいた館で働く家政婦(使用人)を描いた作品で、所謂≪労働者階級≫の人物を手がけた本作では1890年代以降のセザンヌの絵画的特徴が顕著に示されている。画面中央やや左に青色の清潔な衣服を着た家政婦が正面を向いて座っており、堅固に整えられた髪形が特徴的な家政婦の表情は労働者階級とは思えないほど威厳と真実味に満ちている。この労働者に対する称賛的かつ偶像的なアプローチはこの頃の画家の大きな特徴である。また家政婦の身体の中心には衣服の襞が垂直線となって明確に描かれており、背後の壁や画面右側に配されるコーヒーポット、カップに挿されるスプーンと共に本作の垂直性を強調している。そして家政婦の身体を構成する円錐形や、本作の名称ともなっているコーヒーポットやカップの円柱形による造形性は、セザンヌが友人エミール・ベルナールと交わしていた手紙の中で記した「自然を円柱、球、円錐によって扱い表現すべきである」という表現的信念が良く表れている。また本作の色彩表現に注目しても、基本的には力強さと質量に満ちた重厚な色彩が用いられるものの、家政婦の顔面に差す赤味を帯びた色彩と、画面左側の花柄模様に使用される白桃色の柔和性は、本作に人間的な柔らかさと普遍的な安心感を与えることに大きな役割を果している。

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腕を組んだ農夫(部屋の中の男)


(Paysan debout, les bras croisés) 1893-95年頃
80×57.2cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

近代絵画の父ポール・セザンヌを代表する単身人物像のひとつ『腕を組んだ農夫(部屋の中の男)』。1893年から1895年頃に制作されたと考えられている本作は、セザンヌがこの頃、しばしば取り上げていた≪労働者(労働階級者)≫を画題とした作品の中のひとつで、特定のモデルを使用しているかは不明であるものの、無骨で素朴な農夫を単身として正面から捉えているのが大きな特徴である。画面中央には帽子を被り簡素な衣服を身に着けた農夫が腕を組んだ姿で画面上下の最大限を用いて配されている。ほぼ垂直立ちする農夫の組まれた腕や外側へ開かれる足先の堅牢性や安定性は、この農夫単身としての性格はもとより、労働者としての堂々とした姿をも表現している。さらにセザンヌの他の作品と比較しても際立つ厳格な正面性は、伝統的な(ルネサンス以前の)宗教画にも通じる深い精神性と普遍性を見出すことができる。また人物としての質量感に注目しても、縦長の人体構成にも関わらず、身に着けられる衣服の厚ぼったい生地や(特に上半身の)皺の撚った様子などによって塊然性が見事に表現されている。さらに本作の背景を構成する唯一の要素でもある画面左側の扉が画中の農夫と呼応する形で配されている。一方、本作の色彩表現においては比較的単純な配色構成ながら、細部の色調の変化は繊細かつ大胆な筆触によって表現豊かに描写されている点も特筆に値する。

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ギュスターヴ・ジェフロワの肖像


(Portrait de Gustave Geffroy) 1895-96年
110×89cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

後期印象派の大画家ポール・セザンヌを代表する肖像画作品『ギュスターヴ・ジェフロワの肖像』。故郷であるエクスへと制作拠点を移した1880年代以降の画家としては珍しく、パリで制作された本作は、彫刻家ロダンやクロード・モネの友人であり、熱心なセザンヌの共鳴者でもあったジャーナリスト兼文筆家(そして美術批評家としても知られる)≪ギュスターヴ・ジェフロワ≫を描いた肖像画作品である。画面中央へと配されるほぼ正面から捉えられたギュスターヴ・ジェフロワは椅子に腰掛け、仕事机に両手を乗せながら(執筆中であろうか)仮綴本を数冊広げている。画面の左側には薔薇が挿された花瓶とロダンの彫刻が置かれており、ギュスターヴ・ジェフロワとロダンの友好的な関係を示している。さらにギュスターヴ・ジェフロワの背後には本棚へ秩序正しく並べられた幾数もの本が置かれており、文筆家としての知識の豊かさを象徴的に表している。本作で最も注目すべき点は、各構成要素による画面の連帯的統一性である。本作を観る者はまず手前(画面下部)の仕事机に置かれる書物や小物に視線を向け、そこから両手をハの字に広げた安定的なギュスターヴ・ジェフロワの姿態と顔面へ、そして斜めに配された(赤い背凭れが印象的な)椅子を経由して背後の本棚へと視線を動かしていく。この自然的な視線の誘導こそセザンヌが本作へ意図的に込めた仕掛けであり、垂直が強調された画家独特の堅牢性と共に観る者を感嘆させる。

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カード遊びをする人たち


(Les joueurs de cartes) 1890-1892年頃
134×181.5cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

後期印象派の巨匠ポール・セザンヌの最も重要な作品のひとつ『カード遊びをする人たち』。本作はセザンヌが当時、強く関心を寄せていた労働者階級の人々をモデルにカード遊びに興じる人々を描いた、現在5点が確認されている連作的作品群≪カード遊びをする人たち≫の中で最初の作品だと考えられている。この連作は第二作目として本作とほぼ同内容のメトロポリタン美術館所蔵版、次いで木机を挟み向かい合う二人の男に注目したコートールド・コレクション版、さらにそのヴァリアントとしてオルセー美術館所蔵版と個人所蔵版が制作されたと考えられている説が現在、有力視されているが反論も少なからず唱えられており、更なる議論が期待されている。本作は連作群≪カード遊びをする人たち≫の中でも、最も多人数で、かつ最も寸法が大きく複雑な構成によって制作されており、特に重要視されている。画面中央に配される真正面を向いた丸頭の男を中心に、左右へ帽子を被った男が二人配され、引き出しの付いた白い木机の上でカード遊びに興じている。さらに丸頭の男の左後ろには(同じく丸頭の)少女が覗き込むような仕草で、画面奥にはカード遊びを傍観すようにパイプを咥え立つ男が描かれている。そして背後の壁には左から棚の上の緑色の小壷、額のついた絵画、4本のパイプ、黄色の厚ぼったいカーテンが描き込まれている。本作で最も注目すべき点は調和性を強調する各構成要素の対称性と、重厚感に溢れた安定的な画面展開にある。対称的な姿態をする帽子を被ったカード遊びの男らを始め、真正面を向いた丸頭の男を挟み、パイプを咥えた男と幼い少女の対称的な配置、そして両手でカードを持ちV字に足を開く丸頭の男のほぼ左右対称な姿態そのものなど画面各所で対称的な関係性を見出すことができる。そして額縁のついた絵画とパイプを加えて立つ男や、画面右端の黄色地のカーテンと青い外套を羽織る帽子の男との色彩的対比や距離的関係性、水平を強調する効果を発揮している木机の引き出しや画面上左端の棚など絶妙な空間・配置操作や強く重々しい色彩描写(そして色相の強烈なコントラスト)が加わり、非常に安定的で濃密な画面を構成するに至っている。本作の画題や風俗的主題への無思想的な取り組みにはしばしば古典主義時代を代表する画家兄弟ル・ナン三兄弟や18世紀フランスの大画家ジャン・シメオン・シャルダンを始め、ティツィアーノティントレットヴェロネーゼ、オノレ・ドーミエなど過去の各時代を代表する画家らの影響や関係性が指摘されているが、何れの指摘も更なる調査や研究を要している。

関連:メトロポリタン美術館所蔵 『カード遊びをする人たち』
関連:コートールド・コレクション 『カード遊びをする人たち』
関連:オルセー美術館所蔵 『カード遊びをする人たち』

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石膏のキューピッド像のある静物


(Nature morte avec l'amour en plâtre) 1895年頃
70×57cm | 油彩・板(紙) | コートールド・コレクション

近代絵画の父、ポール・セザンヌの典型的な静物画作品のひとつ『石膏のキューピッド像のある静物(キューピッドの石膏像)』。本作はセザンヌ自身が当時、所有していた≪石膏のキューピッド像≫を画題に制作された静物画で、画家の静物画としては珍しく縦長の画面に描かれている。画面中央に配される石膏のキューピッド像(かつてはピュジェ作の像の複製と考えられていたが、現在は帰属不明とされている)は、やや斜め上に視線を向けながら片足立ちしている。キューピッド像の姿態は全体的に丸みを帯び、ある種のロココ的な官能性を観る者に抱かせる。その背後には複数枚の画布(カンバス)が慎重に配されており、特に中央の石膏像の真後ろの画布(カンバス)の斜形は、後方へ体重をかけるキューピッドの姿態と呼応するように、そこから右斜め上と左斜め下に配される2枚の画中画的画布(カンバス)は本作の絵画的意味合いを強調する効果を生み出している。そして画面前景となるテーブルの上には林檎や玉葱、そして白い皿などが石膏像の周囲へ絶妙に配されている。やや高い位置から近接的に見下ろした視点で描かれる本作で最も注目すべき点は石膏像の流線的造形性と意図的に強調された垂直性、そして複雑に入り組んだ空間構成の絶妙な調和にある。本作を構成する個々の要素は一見すると無造作的に配されているが、ひとつひとつの造形的類似や重なり(例としては石膏像と背後の画布)、林檎や玉葱の描写などに示される連続性、大きく開けられた画面右側の空間など、かなり画家の計算と作為を見出すことができ、それらが画面の中で一体となることで類稀な絵画的調和が生み出されているのである。

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アヌシー湖

 (Le Lac d'Annecy) 1896年
65×81cm | 油彩・画布 | コートールド・コレクション

近代絵画の偉大なる巨匠ポール・セザンヌの代表的な風景画作品『アヌシー湖』。本作は1896年7月、休暇目的で妻子と共にオート=サヴォア県(スイス近郊でもある)タロワールのアヌシー湖を訪れた時に制作された作品である。本作には画家がそれまでに殆ど取り組まなかった、典型的で崇高な(セザンヌ自身の言葉を借りると「つまらない」)アヌシー湖のピクチュアレスク的風景を、造形的視点で再構成し、絵画としての新たな自然的調和を構築しようする画家の取り組み(挑戦)が良く示されている。近景として画面左側に一本の大きな樹木を配し、中景となるアヌシー湖を挟んで遠景には小さな古城や険しいアルプスの山々が描かれている。画面左側の樹木の枝葉は遠景(の空)と溶け合うかのように渾然一体となっており、もはやそこに(古典的絵画の基本となる遠近法的な)距離感は感じられない。また画面全体を通して、ほぼ統一的な粘性の感じられる四角い幅広の筆触で描写されており、観る者に一定の造形的(直線的)な秩序(統一性)のある印象を与えている。さらに色彩表現においても多様な青色と緑色など寒色を主色とし、さらに相対的な強弱として朱色(遠景の古城や家の屋根など)や黄土色(近景の木の幹や遠景の山肌)を用いて色彩に変化を与えている。画面全体はピクチュアレスク的な静謐性に溢れているものの、本作に示される造形的表現への挑戦や対比的な色彩の使用には、その後の画家の風景画における絵画様式の典型を予感させ、そのような意味でも本作はセザンヌの風景画作品の中でも特に注目すべき作品として重要視されている。

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頭蓋骨を前にした青年


(Jeune homme à la tête de mort) 1896-98年
130.2×97.3cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

近代絵画の最大の巨匠ポール・セザンヌの注目すべき単身人物像のひとつ『頭蓋骨を前にした青年』。本作は書物や書簡、頭蓋骨が置かれるテーブルに肘を突きながら瞑想する青年の姿を描いた人物画作品で、モデルについては画家の息子とする説も唱えられているものの、一般的には画家の知人の農婦の息子とされている。セザンヌ自身「この絵を大変気に入っている。制作から離れても時折言及する数少ない作品のひとつだ。」と述べているよう、画家にとっても特別な作品である本作では、画面右側に木椅子に腰掛け、テーブルへ肘を突きながら想いに耽る端整な顔立ちの青年が配され、左側には知識や学識、思慮を象徴する書物や書簡と共に、伝統的な≪メメント・モリ(死を忘れるな)≫を意味する頭蓋骨が配されている。青年らの背後にはセザンヌが他の作品でもモチーフとして用いている花柄のカーテンが配されており、構成として纏め上げる効果を生み出している。本作で最も注目すべきは≪メメント・モリ(死を忘れるな)≫の古典的な教訓性を排した、死の象徴性そのものへの絵画的言及と、美術的絵画価値としての意図にある。頭蓋骨は古くからヴァニタス画(虚栄画)の主画題として用いられたモチーフで、本作にもセザンヌの過去の偉大な巨匠たちによるヴァニタス画への意識を見出すことができるが、老いた己が描き出す若き青年による死への夢想の姿や重々しい色彩など、そこには老いた画家自身の死に対する複雑な心境が色濃く反映されている。さらに1880年代後半以降の画家の作品の大きな特徴である強調された垂直性や、視覚的感覚や認知性を意識した構図、構成など絵画作品としての価値に対する意図が本作には込められている。

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アンブロワーズ・ヴォラールの肖像


(Portrait d'Ambroise Vollard) 1899年
100×81cm | 油彩・画布 | プティ・パレ美術館(パリ)

近代絵画表現の扉を開いた稀代の画家ポール・セザンヌが手がけた単身人物像の傑作『アンブロワーズ・ヴォラールの肖像』。本作に描かれる人物は、セザンヌの良き友人のひとりであり、1895年に画家の生涯唯一の個展を開催した画商としても知られるアンブロワーズ・ヴォラールである。セザンヌは肖像画制作にあたり長時間、しかも100回以上、モデルであるアンブロワーズ・ヴォラールにポーズを取らせていたと伝えられており、ある時、ヴォラールが居眠りし姿勢を崩した際には「何てことだ!あなたは私のポーズを台無しにした!林檎のように動いてはならないと何度言えばわかるのか。林檎は動かないのだ。」と怒りを露にしたとの逸話も残されている。画面中央へ堅牢に配されるアンブロワーズ・ヴォラールは足を組み、その造形はあたかも巨岩を思わせるほど重々しく安定的である。そして1880年代後半からの画家の肖像画の大きな特徴となる(特に垂直が強調される)直線的な構造描写は、画商としてのアンブロワーズ・ヴォラールの表裏を見事に捉えている。そして本作の垂直と斜線による画面構築は本作の数年前に制作された画家の代表作のひとつ『女とコーヒーポット(婦人とコーヒー沸かし)』を容易に連想させるだけでなく、そこからの更なる昇華をも感じることができる。また色彩表現においても、明確な輪郭線に覆われた対象の中へ重厚感に溢れた太く角形的な筆触によって描写しながら、赤色・黄色系と緑色系という対照的な色彩を効果的に対比させることによって絶妙な色彩的均衡を生み出すことに成功している。このような人物の構造そのものに主観を置いた現代的表現は後世の画家たちにも多大な影響を与えた。

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女性大水浴図

 (Grandes baigneuses) 1898-1905年
208×249cm | 油彩・画布 | フィラデルフィア美術館

近代絵画の父であり、後期印象派を代表する大画家でもある巨匠ポール・セザンヌの最高傑作のひとつ『女性大水浴図』。多数の水浴する女性が描かれる本作は、画家が晩年に手がけた大水浴図の中でも最初に手がけられた作品であり、最も完成度が高い作品として知られている。画家は生涯の中で女性水浴図を画題とした作品を50点近く残しているが、本作はルーヴル美術館に所蔵されるルネサンスヴェネツィア派の画家パオロ・ヴェロネーゼによる『エマオの晩餐』を始め、過去の偉大な画家たちの作品の画面展開・構図的引用が認められている。本作の左右から中央に向かって伸びる木々や、個々の女性像がその姿態によって形成する三角形の図式は、古典的な安定感と形状的な視覚的(強調)効果をもたらしている。またマニエリスム的にも感じられる極端に引き伸ばされた人体的構造や、複数の視点の採用、個別では大雑把かつ散逸的でありながら、全体では明確に対象の形象を捉えたスクエア的な筆触、透明感と重厚感が混在した色彩描写などは、水浴図や静物画など幾多の作品制作で画家がおこなってきた対象の造形への探求を経て、晩年期に辿り着いたセザンヌの革新的様式の集大成を感じさせる。本作の解釈については、中央部分やや左側に配される教会や対岸の男性像などの図像によって諸説唱えられているものの、古典的な理想化する表現と自然主義(写実)的な造形表現の融合の試み、人間と自然の調和、また男女間や古典と現代の調和に対する挑戦という点では意見はほぼ一致している。なお本作以外の女性大水浴図ではロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵している『女性大水浴図(水浴の女たち)』が知られているほか、セザンヌは同時期に本作と並行して『水浴する女たち(シカゴ美術研究所所蔵)』を制作している。

関連:『水浴する女たち』
関連:『女性大水浴図(水浴の女たち)』
関連:パオロ・ヴェロネーゼ作 『エマオの晩餐』

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女性大水浴図

 (Les Grandes baigneuses) 1900-05年頃
132.5×219cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

近代絵画の父と呼ばれる巨匠ポール・セザンヌ代表する作品のひとつ『女性大水浴図』。本作は1900年から1905年頃にかけて連作的に制作された3点の≪女性大水浴図≫の大作の中の1点である。他の≪女性大水浴図≫はそれぞれフィラデルフィア美術館(該当作品)、ロンドン・ナショナル・ギャラリー(該当作品)に所蔵されているが、制作年代や順番については諸説唱えられており、今なお議論が続けられている(※一説ではバーンズ・コレクション版である本作が最初に着手されたとも考えられてる)。本作に描かれる女性大水浴図は他の2作品とは明らかに様子や表現手法が異なっており、そのような点で本作はセザンヌの水浴図作品の中でも特に重要視される作品のひとつとして位置付けられている。画面中央から左右に配される水浴の女性たちは重厚で肉感的に描かれており、そこにはセザンヌの原始的性格への回帰が強く感じられる。また女性たちの姿態も他の2作品と比較すると芝居染みたような印象を受けるほか、やや怪異的なエロティック性も見出すことができる。一般的には構図や構成、水浴図におけるセザンヌの精神的反映においてはフィラデルフィア美術館に所蔵される『女性大水浴図』が最も優れていると考えられているものの、(一部では暴力的とすら表現される)力強く硬質的な裸婦の描写や荒々しく多様性を強く感じさせる色彩表現などは異質的ながら極めて強力な存在感を醸し出すことに成功しており、画面全体から発せられる活き活きとした生命力と共に本作の大きな魅力として観る者の眼を惹きつける。

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サント=ヴィクトワール山


(La montagne Sainte-Victoire) 1900年
78×99cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館

後期印象派最大の巨匠であり、後世の画家たちに多大な影響を与えた偉大なるポール・セザンヌ晩年の典型的な風景画作品のひとつ『サント=ヴィクトワール山』。セザンヌが長い間苦心した末に自身の様式を確立させた1980年代中期以降の作品の中でも、特に画家の絵画様式的特徴や絵画芸術そのものへの取り組み的特長が示される作品のひとつである本作は、セザンヌが最も愛した故郷である南仏の小さな町エクス=アン=プロヴァンスのル・トノレに至る道から眺めたサント=ヴィクトワール山の風景を描いた作品で、画家がこのサント=ヴィクトワール山を画題に幾多の作品を手がけていることはあまりにも有名である。画面中央から上部へと配される堂々とした雄大なサント=ヴィクトワール山は陽光によって多様な輝きを反射しており、その姿は画家の瞳に映ったサント=ヴィクトワール山の巨大性や神秘性がそのまま反映されたかのようである。画面中央から下部へはル・トノレへと続く農道がうねるように描き込まれており、起伏の激しい麓の様子が良く示されている。本作で最も注目すべき点は、セザンヌが生涯をかけて探求してきた堅牢な造形性と、純化的な色彩の調和性にある。ほぼ三角形の造形で構成されるサント=ヴィクトワール山は画面の中に重量感と安定感をもたらし、前景の変化に富んだ山道や木々は自然的な運動性とリズムを画面の中へ与えている。さらにそれらは静と動そのものの対比とも考えることができ、単純な造形と構成だからこそ、それらが観る者へ最も効果的に伝達しているのである。さらに画面手前の黄土色や赤茶色の山道からややくすんだ木々の緑色、山麓の青緑、そして画面上部の蒼いサント=ヴィクトワール山から青空へと続く色彩の変化は、まるで構成物が一体的流れとなり自然の中へと溶け込むかのような感覚すら感じられる。

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レ・ローヴから見たサント・ヴィクトワール山(デ・ローヴから見たサント・ヴィクトワール山)

 (La montagne Sainte-Victoire) 1904-1906年
73×91cm | 油彩・画布 | フィラデルフィア美術館

後期印象派の巨匠ポール・セザンヌ晩年の代表作のひとつ『レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山』。本作は画家の故郷である南仏の小さな町エクス=アン=プロヴァンス(以下エクス)にそびえる岩山であり、セザンヌが生涯で手がけた風景画の中で最も頻繁に取り組んだ画題でもある≪サント=ヴィクトワール山≫を描いた作品である。1900年以降のセザンヌ最晩年期に制作されたサント=ヴィクトワール山を画題とした作品では、エクスの町の北方にある丘陵地帯≪レ・ローヴ(デ・ローヴ)≫の丘の頂上からの視点での制作に精力的に取り組んでおり(画家はレ・ローヴの丘の中流地帯にアトリエを建てており、現在までに本視点からの作品は7点確認されている)、本作はその代表的な作例のひとつである。形体と色彩が分離し、抽象化された遠景のサント=ヴィクトワール山や前景の田園風景など対象の調和的表現や、平面化(単純化)されながらも複雑で繊細な調整が施された絶妙な空間構成は、セザンヌが最晩年に辿り着いた風景画における表現手法の極致である。また画家自身は、この連作的なサント=ヴィクトワール山の作品の色彩について「地平線と平行する線は、神が目の前に与えた自然の一部であることを表し、垂直な線はそれらに深みをもたらす。この風景の中に空気を感じさせるには、赤や黄色で表現する光の振動の中に、十分な青味を加える必要があるのだ」と述べており、本作からもその色彩展開が実践されていることがよく理解できる。なおレ・ローヴからの視点でサント=ヴィクトワール山を描いた他の作品では、バーゼル美術館が所蔵する『レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山』や、本画題を描いた最後の作品でもある、より重々しい雰囲気の『レ・ローヴから見たサント=ヴィクトワール山(プーシキン美術館所蔵)』などが知られている。

関連:バーゼル美術館所蔵 『サント=ヴィクトワール山』
関連:プーシキン美術館所蔵 『サント=ヴィクトワール山』

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