Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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エドガー・ドガ Edgar Degas
1834-1917 | フランス | 印象派




印象派を代表する巨匠。線描を重視し、大胆で奇抜な構図や対象の瞬間を鋭く捉える優れた観察眼で、初期には歴史画や肖像画、発展期から円熟期には競馬、舞台、踊り子など都会的なモティーフや、日常生活に見られる浴槽など風俗的モティーフを描く。ドガの強く真実性を感じさせる描写や独特な構図は、写真や日本の浮世絵などの斬新な構図に影響を受けたためと考えられる。エドガー・ドガは伝統的なアカデミー画家らと同様、入念にデッサンを重ね室内で作品を制作する。ガス燈など人工的な光の表現に優れた才能を発揮、印象派が提唱した自然光が射し込む戸外での写生には否定的な立場であり、バティニョール派(後の印象派)の画家らとは明らかに一線を画す存在であった(時には印象派の画家らそのものを否定している)。しかしドガの作品には対象(人間)の運動性に秘める本質が明確に示されており、写実主義の画家ギュスターヴ・クールベに通じる自然的写実性を強く感じさせ、両者は互いに強く影響され合っていた。また一般的にドガの名称は、父が名付けた貴族の名を表す「ド・ガス(De Gas)」を画家自身が嫌い、普通の名前に見えるよう「ドガ(Degas)」と変えたとされているが、近年、この説は捏造であるとの指摘もされている。1834年、パリで裕福な銀行家であった一家に生まれる。1855年に名門エコール・デ・ボサールに入学し、新古典主義の巨匠アングルの弟子で線描の信奉者ルイ・ラモットの師事。ドガのデッサン重視のスタイルは、この年に出会ったアングルからの助言によるものである。翌1856年から三年間、渡伊し叔母ラウラの家に滞在、この時ルネサンス芸術や北方ルネサンス様式に触れ、模写・研究をおこなった。1865年、歴史画でサロン初入選、この頃から都会的なモティーフや風俗的モティーフを描くようになる。また1862年、印象派の先駆者エドゥアール・マネに出会い、数年後(1867-68年頃)、バティニョール派の画家が集うマネのアトリエ近くのカフェ・ゲルボワで同派の画家たちや批評家や文筆家らと交友を重ね、1874年から始まった印象派展にも積極的に参加(第1回目から合計7回参加)するも、アカデミーが印象派を排除する動きを見せたことに反発し、印象派の画家らがサロンに応募することを強く批判する。なお同1874年、銀行家の父が死去し、長男であったドガは莫大な借金をかかえ、返済のために家や財産などを売却している。作品は油彩画のほか、パステルや版画、モノタイプなども手がけており、いずれも優れた作品を残す。晩年は視力の衰えから彫刻を制作。享年83歳。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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ベレッリ家の肖像

(La famille Bellelli) 1856-1860年
200×253cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠エドガー・ドガ初期の重要な作品『ベレッリ家の肖像(ベレッリ家の人々)』。本作はドガが1856年から1859年までイタリアのフィレンツェに住んでいた叔母ラウラ・ベレッリの家に滞在した時に描かれた作品である。(死去した祖父を偲び)喪に服すかのように黒服に身を包むラウラ・ベレッリは、祖父の素描的肖像画がかけられる壁の前に毅然と立ち、無表情に(又は無表情を装い)一点を見つめている。また画面左には母ラウラに寄り添うように立ち観る者と対峙している長女ジョヴァンナが、画面中央で椅子に座る次女ジュリアは父親の向いた姿で描き込まれている。ラウラと娘らの衣服に共通点や母と娘の関係性が見出せる一方、ナポリ貴族であった(ドガの叔父にあたる)ベレッリ家の長ジェンローナ・ベレッリはそれらと一線を画すかのように、黒色の椅子に座る後ろ姿で描かれている。またジェンローナ・ベレッリと他の家族(ラウラと娘たち)との間には空間的な隔たりも示されており、これは、この一家(狭義的にはラウラとジェンローナ)の間の愛情的な隔たりを意味している。このように、この一家の置かれる状況や、家族間の緊張感をまざまざと描き出した若きドガの辛らつで鋭敏な観察眼を如実に感じさせる本作は、画家初期における様式的特徴や表現手法を辿る作品であることのみならず、卓越した才能や性格的アプローチ、絵画に対する取り組み、姿勢が示された作品としても重要視されている。

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女と菊の花(菊のある婦人像)


(Femme aux Chrysanthemes) 1865年
73.7×92.7cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

印象派の巨匠エドガー・ドガ初期の最も重要な肖像画のひとつ『女と菊の花(菊のある婦人像)』。1865年に制作された本作に描かれるのは、名称に菊とあるが実際はキク科の多年生草本植物で天竺牡丹とも呼ばれるダリアの花や、キク科アスター属の草花でエゾギクとも呼ばれるアスターの花、その他数種類の花が混在した花瓶や水差しを配した、ヴァルパンソン夫人の肖像である(モデルについてはエルテル夫人とする説もある)。ヴァルパンソン夫人は画家の幼少期からの友人ポール・ヴァルパンソンの妻であり、ドガとも親交のあった女性である。本場面は園芸用の手袋がテーブル上の水差しの手前(画面左部分)に描かれていることから、田舎の別荘の庭から摘んだ花を大きな花瓶に生け終え、一息ついている情景を描写したものと思われる。ヴァルパンソン夫人は画面のかなり右寄りに配され、その視線も画面の外へと向けられている。この大胆な構図が用いられ、画面外への広がりを感じさせる空間的特異性や意外性は写真を思わせるトリミング手法に通じており、本作の最も大きな特徴でもある(夫人の奥にある開かれた窓も外への広がりを暗示させている)。さらに口元に当てられる手の仕草はドガの好んだ仕草として知られており、観る者にヴァルパンソン夫人の、おそらくは鬱蒼とした気持ちや戸惑いなど内面的な感情やメランコリックな佇まいを強調している。また画面中央に配される巨大な花の束の(画家の力量を感じさせる写実的な)静物表現や独特の色彩描写も特筆に値する出来栄えである。

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室内(強姦)

(Intérieur (Le viol)) 1868-1869年
81.3×114.4cm | 油彩・画布 | フィラデルフィア美術館

印象派の巨匠エドガー・ドガの最も特異かつ謎めいた作品『室内(強姦)』。画家自身が「愛すべき我が風俗画」と明言した本作に描かれるのは、ある室内に男と女を一人づつ描いた作品であるが、この意味深げな場面は作品公開当時から様々な憶測を呼んでいる。美術史家セオドア・レフを始めとした人々や批評家たちは、類似点が見られることから文学者エミール・ゾラやドガの友人エドモン・デュランティなどの小説に基づき強姦・姦通の場面を描いたものだと推察するも、それらは憶測に過ぎず、現在も明確な定説は提唱されていない。本場面の画面右端にじっと立つ男と、画面左部分で男に背を向け座る下着姿(半裸)の女の状態、二人の近くない距離感、そして床に脱ぎ捨てられたコルセットや画面中央のテーブル上に置かれる(おそらく裁縫)箱、皺のよらない寝台などに、この男女の徒ならぬ(意味深な)関係性を如実に感じさせ、その真意は画家にしか理解できないものの、登場人物が醸し出す心理的な緊張感を感じさせる本作の場面描写はドガ芸術の真骨頂のひとつである。さらにテーブルの上で晧々と灯るランプの人工的な光や、奥行きを強く感じさせる空間構成などは、男女間の不安的ながら(物語的ですらある)独特の現実感をさらに強調し、観る者を強く惹きつけるのである。なお本作はその内容や解釈から過去には『強姦』と呼称されていたも、現在では『室内』と呼ぶのが一般的である。

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競馬場の馬車(プロヴァンスの競馬場)

 1869年頃
(La voiture aux courses (Aux courses en Provinse))
36.5×55.9cm | 油彩・画布 | ボストン美術館

印象派の巨匠エドガー・ドガの代表作『競馬場の馬車(プロヴァンスの競馬場)』。本作は画家が1860年代から70年代にかけて盛んに取り組んだ画題のひとつである≪競馬場≫を描いた作品の一例である。当時のフランスにおいて競馬は、19世紀の始め頃に英国からもたらされた娯楽的競技であり、上流階級の人々の間で流行していた。貴族階級出身であるドガも競馬に興味を示していたが、その対象は競技の興奮的な展開や迫力にあったというよりも、競技前の独特な緊張感や騎手や競走馬の動きなどに向けられていた。本作ではドガの幼い頃からの友人であるポール・ヴァルパンソンとその妻や子供らをモデルに、アルジャンタンの競馬場(ヴァルパンソン一家がその近郊に住んでおり、画家は一家を訪問した時に本作を制作した)でおこなわれるレース競技や四輪馬車に乗る人々などが描かれているが、特筆すべきは意表をついたような奇抜的で大胆な構図にある。特定の確証は得られていないものの、おそらくは江戸時代の著名な浮世絵師である葛飾北斎や歌川広重などの版画作品の非対称性や近景と遠景の並行的配置、切り取られたかのような画面構成に着想を得ていると多くの研究者が指摘している。これらはドガの他の作品にも共通するものであるが、本作での中心を外し画面右下へ極めて近景(クローズアップ的)に配される四輪馬車の唐突な切り抜きやレースが行われる遠景との対比は観る者に強い意外性を与える。また我が子アンリ・ヴァルパンソンに母乳を与えるポールの妻や、その情景を一段上から見つめるポール・ヴァルパンソンや愛犬などの自然的な動作に、画家の対象に対する鋭い観察眼が感じられる。

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オペラ座のオーケストラ


(Orchestre de l'Opéra) 1868-69年
56.5×46cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠エドガー・ドガの近代的都会性が顕著に示された随一の代表作『オペラ座のオーケストラ』。1868年から翌1869年にかけて手がけられた本作は、パリの最も著名な歌劇場のひとつ≪パリ・オペラ座≫付属の管弦楽団を画題とした作品である。ドガは当時のパリ・オペラ座管弦楽団(現パリ国立歌劇場管弦楽団)員で、フレンチ・バソン(木管楽器のひとつでフランス式のファゴット。バスーンとも呼ばれる)奏者のデジレ・ディオーやチェロ奏者ピレと友人関係にあり、彼らの紹介によりしばしばオペラ座に通うようになったことが知られている。本作はそのような画家の日常的状況から発生した作品であり、ドガの類稀な観察眼が良く示されている。画面前景にはパリ・オペラ座管弦楽団員たちが上演されるオペラの楽曲を演奏している姿がやや斜めの視点から写実的に描写されており、画面中央でフレンチ・バソンを演奏する人物が友人デジレ・ディオー、その背後(画面左側)に描かれるチェロ奏者がピレである。さらに本作において特筆すべきことは画面後景へ描き込まれる踊り子の姿である。顔は描かれず、衣服から下半身にかけてのみ描写される踊り子たちは下から上へ向けられた光源によって浮き上がるような印象を受ける。この近代でしか成し得なかった光の効果はドガを強く魅了した。また本作はドガが1870年代から盛んに取り組んだチュチュ(バレエで踊り子が身に着ける軽い襞のついた衣服)を着た踊り子を始めて描いた作品でもあり、その意味においても本作は特に注目すべき作品として位置付けられている。

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オーケストラ席の音楽家たち(オーケストラの楽士たち)


(Musiciens à l'orchestre) 1870-72年頃(1874-76年加筆)
69×49cm | 油彩・画布 | フランクフルト市立美術研究所

印象派の巨匠エドガー・ドガが手がけたオペラを画題とした作品の代表的な作例のひとつ『オーケストラ席の音楽家たち(オーケストラの楽士たち)』。ドガの父はアマチュアの音楽家で、週末に友人のオーケストラメンバーを招いていたので、ドガ自身、幼少から音楽に触れる機会も多かったが、ファゴット(木管楽器のひとつ)奏者デジレ・ディオとの交友によって、1860年代後半からオペラや舞台の雰囲気に強い興味を示すようになり、本作はその頃に描かれた作品のひとつである。本作では画面ほぼ中央から上下に舞台と演奏場が明確に分かれた(観客席から見た視点のような)非常に奇抜的な構図が用いられており、画面下部の極めて近接的な前景ではヴァイオリン奏者(左)、チェロ奏者(中央)、オーボエ奏者(右)の頭部と上半身が描かれ、それらはまるで肖像画のような趣を携えている。また画面上部の舞台上でお辞儀をするプリマ(第一)バレリーナが身に着けた衣装は下から照らされるガス灯の光によって人工的な輝きを放っている。これらの表現が示す近代性、奇抜性、幻惑性、そして平面性などは、画家の近代(とそこに置かれる絵画情勢)に対する鋭い考察と観察による独自的解釈の表れでもある。

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ニューオリンズの事務所の人々(綿花取引所、オフィスでの肖像)

(Portraits dans un bureau, Nouvelle-Orléans (Le bureau de cotons)) 1873年
74×92cm | 油彩・画布 | ポー美術館

印象派の巨匠エドガー・ドガの代表作『ニューオリンズの事務所の人々(綿花取引所、オフィスでの肖像)』。1873年から一時的に滞在していたアメリカ時代で制作された数少ない作品の中のひとつである本作は、ニューオーリンズの綿花取引所とそこで働く人々の姿で、資本主義社会への風俗的場面展開が良く示されている。1876年に開催された第2回印象派展に出品された本作は、画業の初期における群像肖像の集大成的な作品としても位置付けられており、画面中央には新聞を読むルネ・ド・ガス(画家の兄弟のひとり)、中央やや左寄り部分の最前景には綿の品質を確かめるミシェル・ミュッソン(画家の叔父)、画面左端で窓壁に寄り掛かるアシル・ド・ガス(画家の兄弟のひとり)、画面右部分には帳簿を付けるリヴォーデ(ミュッソンのパートナー)などドガの一族で運営される綿花取引所の日常が過不足なく、ありのままに描写されている。元々ロンドンのアグニュー画廊の為に制作された作品であるが、第2回印象派展を経て、進歩的な地方都市ポーに1878年新設された美術館(ポー美術館)が購入した。本作は公的なコレクションとして購入された最初の印象派の絵画としても知られている。

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オペラ座の稽古場(ル・ペルティエ街のオペラ座のバレエ教室、踊りの審査)

(Foyer de la danse a l'Opéra de la Rue le Peletier (L'examen de danse)) 1872年
32×46cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象主義時代の大画家エドガー・ドガが踊り子を描いた作品の代表的作例のひとつ『オペラ座の稽古場』。『ル・ペルティエ街のオペラ座のバレエ教室』、又は『踊りの審査』とも呼称される本作は、エドガー・ドガが1860年代後半から19世紀末まで精力的に手がけた画題『踊り子』らを描いた作品の中の一点で、おそらく1873年、一時的に滞在していたアメリカへの渡航前に制作されたと考えられている。本作はバレエ教師(杖を床に突いた白い衣服の男)と、その隣の椅子に座るヴァイオリン奏者の前で踊り(又は振り付け)の練習を見せようとする踊り子の姿を描いた作品であるが、画面左部分に描かれる踊り子の演習直前の緊張感と、その周囲で彼女の演技に注目しながらも、それぞれ己の演習に備え(身体を)調整している姿の(ある種の)対比的かつ自然主義的な表現は、本場面となったル・ペルティエ街のオペラ座のバレエ教室で、このような情景が繰り広げられていたのだろうと推測するのが容易なほど秀逸の出来栄えである。また本作の画面中央に配される椅子とその上に置かれる赤色の扇や白色のリボンや、画面左部分奥で開放された隣の部屋の扉から微かに見える踊り子の脚など細かい部分での構成要素の計算された配置や空間構成にドガの類稀な画才を感じさせる。なお本作中、白い衣服を着たバレエ教師と、右側部分に描かれる踊り子に修正された痕跡が認められる。

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舞台のバレエ稽古

 1874年頃
(Répétition d'un ballet sur la scène (Salle de danse))
65×81cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派随一の巨匠エドガー・ドガの代表的作品『舞台のバレエ稽古』。1874年に開催された第1回印象派展への出品作と推測される本作に描かれるのは、ドガが1873年、一時的に滞在していたアメリカから帰国後、幾度も画題として取り上げた、バレエの踊り子たちが舞台上で稽古する姿で、人工的な光彩による光の効果の探求や独自性の高い構図など各所に実験的要素が示されている。本作を描く前に厚紙を素材としたインク・パステルによるほぼ同内容・構図の作品『バレエの舞台稽古』が制作されており、それと比較すると、本作はグリザイユ(灰色の濃淡で描かれたモノクローム絵画の意味、しばしば14〜15世紀の祭壇画などで使用された)のようなモノクロームの色彩によって画面全体が支配されており、それ故、観る者は、対象の繊細な陰影や光の効果をより明確に感じることができる。また人物の構成においてもダンス教師や画面奥の椅子に寝そべる紳士の姿が消えており、結果として踊り子らの感情豊かな表情や仕草、しなやかで自然的な運動性などが強調されているほか、画面右部で、舞台の弧状の端を描き出すことによって、稽古場の臨場感や雰囲気がはっきりと伝わってくる。(本作を)観る者が舞台袖から舞台上を見ているかのような視点で描かれる本作で用いられた独特の構図は、画家の独自性を感じさせるほか、舞台の構造を観る者に(視覚的に)感じ伝える点でも非常に重要な意味を持つ。

関連:メトロポリタン美術館所蔵 『バレエの舞台稽古』

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舞台の2人の踊り子

 (Deux danseuses en scène) 1874年頃
62×46cm | 油彩・画布 | コートールド・コレクション

印象派を代表する大画家エドガー・ドガ随一の傑作『舞台の2人の踊り子』。本作は画家が数多く手がけたバレエの踊り子(バレリーナ)を画題とした作品の中の一点で、本場面が本番公演の最中を描いたものであるか、練習風景の場面であるかは定かではないものの、ドガの卓越した個性的な絵画表現が随所に示されている点は大いに注目すべきものである。やや高い視点から描かれる2人の踊り子は互いに視線を交わし合いながら、バレエの基本的なポーズをとっている。ドガの鋭い観察眼によって感情豊かに描かれるその表情は練習中のようなリラックス的雰囲気を見せているものの、姿態の間接部分など要所要所ではきびきびとした肉体的緊張が感じられる。また主画題となる2人の踊り子を画面中央から右側にかけて配し、左側の空間を大きくとった(そして画面左端には3人目の登場人物となる踊り子の衣装=チュチュが僅かに見えている)奇抜的で独特な構図や空間構成は、日本の浮世絵のような印象さえ観る者に与える。さらに本作に登場する2人の踊り子は、オルセー美術館が所蔵する傑作『舞台のバレエ稽古』や、メトロポリタン美術館が所蔵する『バレエの舞台稽古』にも登場していることも特筆すべき点のひとつである。また画面の中で人物を一際明瞭に照らす人工的な光の都会性や近代性を感じさせる光源処理や、その中で要点的に用いられる色彩の描写手法、背景の荒々しく自由闊達な筆触などもドガの表現的特長として挙げられる。

関連:オルセー美術館所蔵 『舞台のバレエ稽古』
関連:メトロポリタン美術館所蔵 『バレエの舞台稽古』

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ダンス教室(バレエの教室)

 (Classe de danse) 1875年頃
85×75cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨人エドガー・ドガが数多く手がけた主題である≪踊り子≫を描いた作品の代表的作例のひとつ『ダンス教室』。バレエの教室とも呼ばれる本作は、熱心な収集家であった当時のバリトン歌手ジャン・バティスト・フォールの依頼により制作された作品で、近距離から描かれる踊り子と奥の壁際の踊り子らとの極端な構図的展開は、観る者に強い印象を与える。本作の主題≪踊り子≫は、視力の低下や、普仏戦争やパリ・コミューン(労働者階級の自治によって誕生した革命政府・民主国家)からの社会的不安を感じたドガが1872年10月から約半年間、アメリカへ旅行した後に描かれるようになった主題で、米滞在による芸術活動への直接的な影響はないとされるも、これ以降、秀作が数多く制作されていることは注目に値する。画家は大人数による群集描写に際して、本作では踊り子を個別にデッサンし、入念に構図や配置を計算しながら登場人物(踊り子たちや教師)を合成したことが知られており、画面中央でバレエ教師ジュール・ペロが指導する踊り子らの、本番の舞台では決して見せない日常的な姿や人間性に溢れた年相応の仕草が、ドガの鋭い観察眼によってありありと示されている。また本作をX線調査した結果、人物配置など当初の構想から大幅に変更(描き直し)されていたことが判明した。なおメトロポリタン美術館に翌年頃描かれた、ほぼ同構図の作品が所蔵されている。

関連:メトロポリタン美術館所蔵 『ダンス教室(バレエの教室)』

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アプサントを飲む人(カフェにて)


(L'absinthe (Dans un café)) 1876年
92×68cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠エドガー・ドガの代表作『アプサントを飲む人』。第2回印象派展(1876年)への出品を目指し制作されたものの完成に間に合わず、翌年開催された第三回印象派展に出品された本作は、画家の友人で女優のエレン・アンドレが、パリのカフェ≪ヌーヴェル・アテーヌ≫でアプサントと呼ばれる度の強い蒸留酒の水割りを飲む姿と、その傍らに彫刻家で禁酒主義者であったマルスラン・デブータンの姿を描いた作品で、ドガの辛辣で鋭敏な現実社会への観察が顕著に示されている。画家自身は印象派展出品当時『カフェにて』と呼称していた、エレン・アンドレの前にはアプサントが、(実際は飲酒しなかったが)マルスラン・デブータンの前にはコーヒーをベースにしたチェイサーが描かれている本作は、カフェ≪ヌーヴェル・アテーヌ≫における朝食時の日常の一場面であり、これらは当時のパリに蔓延し社会的な問題になっていたアルコール中毒が本作には克明に描写されたものである。しかし本作は公開当時、「不快極まりない下劣な絵」、「胸が悪くなる酔っ払いが描かれた不道徳な絵」など酷評を受けるものの、今日では画家はもとより印象派を代表する作品として広く知られている。また本作に用いられている写真を思わせるような唐突に切り取られた構図は画家の大きな特徴のひとつであり、本作の静寂感漂う気だるく憂鬱なパリの朝の雰囲気をより強調している。

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カフェ・コンソール(犬の歌)


(Au Cafe-Concert : La Chanson du Chien) 1876-1877年
57.5×45.5cm | モノタイプ・アクリル/グワッシュ |
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

印象派の巨匠エドガー・ドガの代表的な作品のひとつ『カフェ・コンソール』。犬のような歌手の手(腕)の仕草から、『犬の歌』とも呼称される本作に描かれるのは、当時の知識人や芸術家が集い己の思想や芸術論を語ったパリのカフェで歌う女性歌手の姿で、近代的な画題による人工的な光の描写や混沌とした独特の雰囲気、非現実的にすら感じられる画面空間における遠近感の喪失的表現などは、画家の作品の中でも特筆に値する出来栄えを示している。画面右部分に斜横から上半身だけ描かれる女性歌手は足元に置かれた人工的な光源によって暗中に浮かび上がっている。このような独自的で極めて近代性を感じさせる光の表現は1870年頃以降の画家が精力的に取り組んだ描写的課題のひとつであり、その効果は女性の独特な仕草をより強調するだけでなく、その特異性(やある種の滑稽性)も観る者に強く印象付けることにも成功している。また近代性(近代的生活)がもたらした人々の変化やその様相を描写することにもドガは強い関心を見せており、本作では画面左部分に配されるカフェへ集う様々な人物たちの混沌とした雰囲気や、突如、空間内へ白く浮かび上がるように描かれたガス灯の描写にそれらが示されている。その他にも(日本の浮世絵に通じる)全体像から切り取ったかのような特異的で奇抜な構図や大胆な人物配置なども注目すべき点のひとつである。

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踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子)

 1878年頃
(L'étoile de la danse (L'étoile ou danseuse sur scène))
60×44cm | モノタイプ・パステル | オルセー美術館(パリ)

印象派を代表する画家エドガー・ドガ随一の代表作とされる『踊りの花形』。エトワール、または舞台の踊り子とも呼ばれる本作は、画家が旅行先のアメリカから帰国した1873年から、頻繁に手がけられるようになる≪踊り子≫を主題に描かれた作品である。本作で最も目を惹きつけるのは、舞台上で軽やかに舞う踊り子であり、(舞台に設置される)人工的な光に下半身から上半身に向かって照らされる踊り子の表現は、秀逸の出来栄えを示しており、画家が得意とし、しばしば自身の作品で取り上げ表現した人工光の描写は、本作において斬新かつ効果的に舞台上の踊り子を引き立たせている。また対象が瞬間的にみせる肉体の運動性や躍動感、踊り子の衣装の絶妙な表現も本作の注目すべき点のひとつである。本作では、観者が踊り子を上から見下ろすという非常に大胆な構図が用いられているが、これは日本の浮世絵の奇抜な構図構成に影響を受けた為である。画面奥には踊り子らのパトロン(夜会服の男)と、出番を待つ脇役の踊り子の姿も描かれており、舞台上で繰り広げられる華やかな世界とは異なる、厳しいバレエの現実世界も、ドガは容赦なく画面の中に描き出している。なお本作に使用されているパステルは光に弱く、長期で照らされると色褪せが発生する為、所蔵先のオルセー美術館では、照明を落とし、ガラスケースの中に入れられ公開されているほか、同一構図による作品が数点、フランスやアメリカに確認されている。

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手袋をした歌手(カフェの歌手)

 1878年頃
(La chanteuse au gant (Chanteuse de Café))
52.8×41.1cm | テンペラ・パステル・画布 | フォッグ美術館

印象派の画家エドガー・ドガ渾身の力作『手袋をした歌手』。カフェの歌手とも呼ばれる本作に描かれるのは、印象派の画家らを始め、写真家、文筆家、思想家など才能に溢れた様々な若い文化人が日々集い、互いに議論と交遊を重ねた、当時、最先端の流行発信場であったパリのカフェやレストランで歌う、当時最も著名な歌手のひとりであったエマ・ヴァラドン(芸名テレサ)と、エマ・ヴァラドンの立つ舞台であるが、驚嘆すべきは、その光の効果的な描写と、混沌としたカフェの雰囲気を良く伝える親近的な表現にある。黒色の手袋をした右手を上げ、力強く歌うこの歌手の見せる真剣で感情的な表情を、下からスポットを当てられた人工的な光を効果的に用い描写することによって、それを一層強調することに成功するだけでなく、なおかつ本作と対峙する者に強烈な印象を与える。また歌手が纏う白地で縁に黒の毛のついた舞台衣装の軽やかで動きを感じさせる表現と、(日本の版画などに影響されたと考えられる)単純でありながら豊かで装飾的な色彩と、さらに歌手の半身にかかる(舞台袖の)深い黒色による背後の重厚な表現との、≪歌手≫との対照性を示しながら、画面全体では独特で洗練された統一感を感じさせる色彩と写真的な構図の構成感覚は見事の一言である。ある意味では実験的とも捉えられる、このような斬新で近代的な表現手法は、印象派の中でも他の画家らとは一線を画すエドガー・ドガであるからこそ成し得た表現とも言える。なお本作の他に同様の構図で画題を描いた作品が2点確認されている。

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フェルナンド座のララ嬢


(Miss Lala au cirque Fernando) 1879年頃
117×77.5cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

印象派の巨匠エドガー・ドガ作『フェルナンド座のララ嬢』。第4回印象派展の出品作である本作に描かれるのは、当時のサーカス団のひとつ≪フェルナンド座(シルク・フェルナンド)≫の花形曲芸師であったララ嬢(ミス・ララ)で、上方へと吊り上げられるララ嬢を捉える特異な視点や、大胆な色彩は本作の最も大きな見所のひとつである。出品当時、カタログにはミス・ローラと誤植されていた本作で描かれる曲芸師ララは、白人と黒人の混血児であり、「大砲女」とも呼ばれていたことが知られ、本作では自らの歯のみで体重を支え天上近くまで吊り上げられるという肉体的に過酷な演技の場面が描かれており、日本美術に造詣の深かったフランスの著名な小説家・歴史家エドモン・ゴンクール著「ゼンガノ兄弟」にも構想を得ていたとも指摘されている。本作の対象(ララ嬢)を見上げる断片的な視点は、当時サーカスの閲覧でしばしば使用されていた双眼鏡での視点を思わせ、この非常に独創的で大胆な視点からララ嬢を捉えるドガ独特の構図展開は、観る者に強い印象を与える。また橙色と緑色のサーカス小屋の壁に映えるララ嬢を照らす、本作の下方からの人工的な光の色彩描写は、ドガが探求していた人為的で都会的な光の表現における良例のひとつであると共に、本場面の緊張的な興奮性を高めている点でも、非常に有効的な効果を発揮している。なお本作を制作するためにドガが黒チョークや水彩などで描いた4点の習作(下絵・デッサン)が現存している。

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アイロンをかける女たち

 (Les repasseuses) 1884-86年頃
76×81.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠エドガー・ドガの代表的な作品のひとつ『アイロンをかける女たち』。本作は画家が1869年頃から手がけ始めた、当時、女たちにとって辛い労働であった≪アイロンがけ≫をする女たちを描いた数多い作品の中の1点で、画面右の淡い桃色の衣服を着た女は、力を込めて両手でアイロンを押し付けるようにかけており、その一方では、隣の白い衣服の女が大きなあくびをしながら、重労働を紛らわせるワイン瓶を右手に握っている。当時のパリでは都市整備のためにセーヌ川での洗濯が禁止され、代わりに蒸気による洗濯屋が生まれ発達したものの、その労働条件はかなり過酷であった。その状況下で働く女たちの日常がありありと描写される本作は、ドガの物事を残酷なまでに的確に捉える辛辣な観察眼が最も良く示された作品としても特筆に値する。また一部の研究者や批評家は、本作のアイロンをかける女たちの状況やワイン瓶(アルコール)が、当時の貞操観念や意識の低下を招いたものとして描かれていると解釈している。なおパステルを用いた習作が残されているほか、ドガが1874年頃に描いたメトロポリタン美術館が所蔵する『アイロンをかける女・逆光』などが有名である。

関連:メトロポリタン美術館所蔵 『アイロンをかける女・逆光』

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浴盤(たらいで湯浴みする女)

 (Le Tub) 1886年頃
60×83cm | パステル・厚紙 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠エドガー・ドガが手がけた裸婦像の代表作『浴盤(たらいで湯浴みする女)』。本作は1886年に、当時パリで最も有名だったレストラン≪メゾン・ドレ≫の3階で開催された(最後の印象派展となる)第八回印象派展に出典されたパステルによる裸婦像作品群の中の一点で、まるで無防備に水浴する女性を鍵穴から覗いているかのような感覚で描かれている独特の視点は、本作の最も大きな特徴のひとつである。この個人視点的なアプローチはアトリエでモデルに姿態を執らせて描いたもので、無理な姿勢を強いられたモデルの苦痛の言葉が残されている。ドガの描く水浴する女の根本は娼婦の心象・形象から発生したものであるが(性病感染の予防から当時、娼婦は全裸で水浴していたものの、一般的な女性は全裸で水浴することはなかった)、そこにはレンブラント(例:レンブラント作『バテシバ』)や、ブーシェ(例:ブーシェ作『水浴のディアナ』)など過去の巨匠らの描く裸婦像からの影響や関連性が指摘されている。エドガー・ドガは人間の瞬間を捉え描くことに長けデッサンを最も重要視した画家であり、特に数多く手がけた女性像にみられる日常的な仕草の描写は、ドガの卓越した観察眼による真実性を踏まえた人間描写の最たる表現で、本作はその表現と美的感覚が見事に融合した作品として、広く人々の心を捉え続けるのである。

関連:ルーヴル美術館所蔵 レンブラント作 『バテシバ』
関連:ルーヴル美術館所蔵 ブーシェ作『水浴のディアナ』

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風景

(Paysage) 1892年頃
51×50.5cm | パステル・厚紙 | ヒューストン美術館

印象派の先駆的存在エドガー・ドガ晩年期の特筆すべき小品のひとつ『風景』。本作は画家の作品の中でも、比較的珍しい≪風景≫を主題とした作品(※ドガは短い期間ながらその生涯の中で1869年頃、1890年代前半、1890年代後半と3つの時期で風景を主題とした作品を制作している)で、1892年にデュラン=リュエルの画廊で展示された風景画の中の1点としても知られている。短い草の茂った小高い丘を感じさせる前景として画面下部へは、縦長の岩を2本(その内1本は構図的に見切れている)と山形に盛られた土がエレメントとして造形対比的に配されている。中景から遠景にかけては右へ湾曲するように農道が続く野原が描かれ、画面右側の明らかに人工的な造形である直線の農道からは区画整備された農畑が続いている。そして遠景として桃色から青色へと微妙に色彩を変化させる山々がまるで空と溶け合うように描き込まれている。本作は画家とも交友のあった批評家アルセーヌ・アレクサンドルが「氏はこの作品で偉大な感動と力によって自然を表現し、そしてそれは我々に宿る心情と追憶に訴えかける。この作品は小さいながら強く完全な形で人間の内面までも表現しているのだ」との言葉を残しているよう、画面前景の縦長の岩を男性の象徴、盛土を女性の象徴とした上で、自然そのものが人間、ひいては世界の生殖につながるという解釈をおこなうことができる。

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