Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
■ 

アドルフ・モンティセリ Adolphe Joseph Thomas Monticelli
1824-1886 | フランス | 19世紀絵画




19世紀のフランスで制作活動をおこなった重要な画家のひとり。原色を多用した大胆な色彩と、厚塗りによる荒々しく粘質的な筆触による描写表現で独自の絵画様式を確立。力強く強烈な色調の対比による特異的な光の表現や、色彩そのものから発せられる生命的な力動感はロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワから高く評価されるほか、ポール・セザンヌフィンセント・ファン・ゴッホの様式形成に多大な影響を与えた。また画家のそれまでの絵画の常識・概念を打ち破る個性的な表現は、野獣派(フォーヴィスム)や抽象主義を初めとする近代絵画の先駆的存在ともなった。1824年、マルセイユで生まれ、少年期は学校教育を受けるも上手くいかず、1842年(18歳)から両親を説得しマルセイユ市立美術学校へ入学、同校で絵画を学ぶ。1846年、デッサンで一等賞を受け、両親にも認められパリへと旅立ち、ポール・ドラロッシュのアトリエに通いながら、ルーヴル美術館でロココ美術雅宴画の創始者アントワーヌ・ヴァトー17世紀オランダ絵画黄金期の巨人レンブラント・ファン・レイン、同時代の画家ドラクロワなど巨匠らの作品を模写するなど絵画研究に没頭。その後、バルビゾン派の画家ら、特にディアズ・ド・ラ・ペーニャと親交を持ち、同氏やバルビゾン派の大画家カミーユ・コローから影響を強く受ける。1848年、マルセイユに戻り、ガナゴビーを拠点にフランス各地を旅行し、1850年から1862年までパリとマルセイユを往復しながら制作活動をおこなう。その間(1858年)、カフェ・ゲルボワの常連となり印象派の先駆者であるエドゥアール・マネやバティニョール派(後の印象派)の画家らと知り合う。1869年、セザンヌと知り合う。1870年以降はマルセイユを腰を据え、同地で自身の様式を開花させ、数多くの代表的な作品を手がけた。1885年、体調の悪化により下半身不随となり、翌1886年マルセイユで死去。モンティセリはチュイルリー宮殿の装飾の注文を受けるほか、ナポレオン3世やリール美術館が作品を購入するなど当時から画家として一定の評価を受けていたものの、中毒的な飲酒や浪費癖、奔放な性生活などによって生涯、貧困であった。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
■ 

花瓶の花(花模様の花瓶)

 (Vase de Fleurs) 1875年頃
51×39cm | 油彩・板 | ファン・ゴッホ美術館

近代絵画において先駆的存在となった画家アドルフ・モンティセリの典型的な作品のひとつ『花瓶の花(花模様の花瓶)』。本作はモンティセリがその生涯の中で手がけた様々な画題の中で、最も代表的な画題であった≪花瓶に活けられた花≫を描いた作品のひとつである。本作はモンティセリから多大な影響を受けた後期印象派の大画家フィンセント・ファン・ゴッホが弟テオに強く購入を薦めた作品(※本作は弟テオによって購入され、現在はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館に所蔵されている)としても知られており、ゴッホ自身も「僕たちのところにはディアズの絵よりも素晴らしい花束の作品がある(※ディアズ・ド・ラ・ペーニャは当時人気の高かったバルビゾン派の画家)」と弟テオへ送った手紙の中で本作に対する称賛の言葉を残している。暗く簡素な背景の中で花柄模様の花瓶に活けられた花束が画面中央に安定的に配されている。花瓶と花束は背景と対比させるかのように当てられた強く強烈な光によって画面の中で浮かび上がり、圧倒的な存在感を醸し出している。さらに花束自体は時の経過を思わせるように萎れた様子を示しているが、黄色、赤色、薄青色、乳白色など原色的な色彩の使用によって力強い生命力を感じさせる。さらにモンティセリ独特の荒々しく野性的で感情的な筆触は、花束と花瓶(本作の画題)そのものの存在を此れ見よがしと見せつけるかのように、堂々とした画家の確信を観る者に強く訴えかけてくる。また花瓶が置かれる土台のやや赤味が混在する緑色の色彩的調和と対比、そしてそこに落ちる深い影の表現も特に注目すべき点のひとつである。なお花瓶の花を描いた他の作品では『花瓶の花(1875年頃)』、『花瓶の花(1875-80年頃)』、『水差しの花』、『陶器壷の花』などが知られている。

関連:1875年頃制作 『花瓶の花』
関連:1875-80年頃制作 『花瓶の花』
関連:1875-80年頃制作 『水差しの花』
関連:1875-78年頃制作 『陶器壷の花』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

社交パーティー


(Le Rendez-vous Mondain) 1875-1880年頃
50.0×100.0cm | 油彩・板 | 個人所蔵(日本)

近代絵画の先駆的存在ともなった、19世紀フランスで活躍した異色の画家アドルフ・モンティセリの最も典型的な作例のひとつ『社交パーティー』。1875年から1880年頃に制作されたと推測される本作は、モンティセリが想像の上で描いた宴の場面である。モンティセリは若い頃、ルーヴル美術館でロココ美術の≪雅宴画≫の創始者アントワーヌ・ヴァトーの作品の模写をおこなうなどヴァトーの研究に没頭しており、本作でも≪雅宴画≫の影響が示されている。画面の中央から右側には酒盃を掲げる緑色のドレスを着た婦人とそれに寄り添う男、椅子に座る二人の婦人、二匹の犬、若い男(又は女)が配されており、そして画面右部分奥のバルコニーには男性が二人描かれている。画面左側には団扇を持ちながら子犬に手を伸ばす黄色のドレスを身に着けた婦人と、鮮やかな赤い衣服を身に着けた男女、濃緑色の衣服を着た従者、さらに左端に酒盃を掲げる男女一組が描かれており、その背後には薔薇らしき花が咲いている。登場する人物は何れも優雅な身のこなしで軽やか(かつ自然体)に描かれており、本宴の穏健で雅な雰囲気をより的確に感じさせる。さらにモンティセリの最も特徴的な個性である荒々しく大ぶりな筆触と感情性を感じさせる鮮やかな原色の使用は観る者の目を奪うばかりである。本作の制作意図や目的は現在も不明であるものの、情感豊かな詩情性と、中央に青色を配し適度に斬新性を感じさせる絶妙な色彩構成、登場人物たちの優美な運動性などはモンティセリの作品の中でも特に秀逸の出来栄えを示している。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

レダ

 (Leda) 1875-1880年頃
50.2×28cm | 油彩・板 | 個人所蔵(日本)

野獣派(フォーヴィスム)や抽象主義を初めとする近代絵画の画家たちに多大な影響を与えた19世紀フランスの画家アドルフ・モンティセリが手がけた裸婦作品の傑作『レダ』。本作に描かれるのは、恋をした主神ユピテルが白鳥に姿を変えて求愛した神話でも知られる、アイトリア王テスティオスの娘で、後にスパルタ王テュンダレオスの妻となった(人間界の)絶世の美女≪レダ≫の姿である。モンティセリは本作を制作するにあたり、女性関係に節度がなかった画家が結婚を望むほど想いを寄せていたエマ・リカールの顔と、画家の女中であり愛人関係にもあったオーギュステーヌの豊満な肉体を組み合わせて自身が理想とする≪レダ≫を表現したことが知られている。画面中央で、巨木(又は岩場)を思わせる背景へ凭れ掛かるような姿態で描写された裸体のレダは、左手で持つ花の香りを嗅ぐような仕草を見せている。その視線は(レダの)膝の上に乗る白鳥に姿を変えた主神ユピテルへと向けられており、悩ましげ(官能的)に俯くレダの表情は、レダ自身と言うよりも、画家のエマ・リカールに対する想いや願望を鮮明に感じさせる。またレダの右手は主神ユピテル(白鳥)の背中へそっと触れるかのように描かれており、愛を受け入れ愛撫を重ねる両者のエロティックで緊密な関係性からも、モンティセリの本作に対する想いの深さを見出すことができる。さらに表現手法においても、画面中で最も明瞭に描写されるレダの輝くような裸体と暗く沈んだ背景色との明暗対比、背景の黄色・緑色や画面右側部分の鮮やかな青色の使用などは、1870年代以降に画家が手に入れた色彩表現の典型であり、荒々しく躍動的な画家独自の筆触と共に、観る者へ強く印象を残す。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ファウスト:第一幕

 (Scène de Faust) 1878-1882年頃
43×58cm | 油彩・板 | 個人所蔵

19世紀フランスで活動をおこなった中でも最も重要な画家のひとりアドルフ・モンティセリの代表作『ファウスト:第一幕』。本作に描かれるのは、17-18世紀最大の劇作家ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの最も著名な戯曲≪ファウスト≫中、第1幕の舞台、ライプツィヒのアウエルバハの酒場で誘惑の悪魔メフィストが酒神バッコス(ギリシャ神話のディオニュソスと同一視される)の唄を歌う場面である。同時代で最も活躍したフランスの作曲家のひとりシャルル・フランソワ・グノーが戯曲≪ファウスト≫の第1幕を題材にオペラを作曲し(初演1863年)、観衆から高い支持を得ていて、それと合わせる様に同戯曲を描いた絵画作品の注文も多くなっていたという背景も手伝い、モンティセリは≪ファウスト≫を画題とした作品を数多く制作している(なおオペラ好きでもあったモンティセリは1869年にパリで同オペラを鑑賞している)。画面中央で真紅の衣装に身を包む悪魔メフィストは、黄金の杯を右手で掲げ声高らかに酒神バッコスの唄を歌っている。その隣では悪魔メフィストの赤色と色彩的な対比をする緑色の衣服を着た主人公の老学者ファウストが驚きの表情を浮かべ、左手で悪魔メフィスの左腕を掴んでいる。これはファウストと魂の契約を目論む悪魔メフィストが、若返りを望む老学者ファウストの朽ち果てた若い恋心を呼び起こすためにファウストに見せた(悪魔メフィスの左側に描かれる)若く美しい娘マルグリートの姿(幻影)に一目惚れした為である。本作の赤色(悪魔メフィスト)、緑色(老学者ファウスト)、黄色(娘マルグリート)、青色(空などの背景)と明確に色分けされた鮮やかな原色の強烈で新鮮な色彩の美しさは、画家の全作品の中でも特に優れたものとして広く認知されてる。また本作の一見すると粗雑な印象すら受ける荒々しく力強い筆触は、モンティセリの絵画表現の大きな特徴であり、この独特な厚塗りによる表現手法はポール・セザンヌフィンセント・ファン・ゴッホに多大な影響を与えた。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

白い水差しのある静物画


(Nature Morte au Pichet Blanc) 1879-1880年頃
49×63cm | 油彩・板 | オルセー美術館(パリ)

19世紀フランスで活躍した近代絵画の先駆的画家アドルフ・モンティセリを代表する静物画作品のひとつ『白い水差しのある静物画』。本作は生涯の中で幾多も手がけた静物を画題とした作品で、特に画家の晩年期(1870年代後半)に手がけられた静物画作品は画家の様式的特徴や手法が良く表れており、本作はその代表格的な作例のひとつとして広く知られている。画面の中央から上部へ配される白い水差しや、オレンジ・青梨などの果実、銀の皿、そして画面の最も奥(兼高位置)には水の入ったグラスが置かれている。何れもモンティセリ独特の絵の具の質感を如実に感じさせる大胆で荒々しい筆触によって描写されており、静物の圧倒的な存在感や対象そのものの力動感は、まるで彫刻を思わせる。さらにグラスを除く静物へと照らされる強烈な光の表現は、立体感や陰影描写などをほぼ無視し、色面によって平面的に顕示され、その(当時としては)独自性の高い対象表現は否が応にも観る者を惹きつける。また机に掛けられたテーブルクロスの繊細な文様も画家の厚塗り手法によって表情豊かに描写されている点や、このテーブルクロスが画面の下半分という静物とほぼ同様の面積を用いて描かれている点などは、モンティセリの興味が静物のみならず、テーブルクロスへも強く向けられていたことを示している。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ドン・キホーテ

 (Don Quichotte) 1883-1885年頃
38×46cm | 油彩・板 | 個人所蔵

近代絵画の先駆的存在の画家のひとりアドルフ・モンティセリが最晩年に手がけた傑作『ドン・キホーテ』。本作はスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスが17世紀初頭に書き上げた、世界的に著名な騎士物語小説≪ドン・キホーテ≫を典拠に得て、同小説の一場面の中から最も有名な場面である≪風車への突入≫を描いた作品である。モンティセリはオルセー美術館が所蔵する『ドン・キホーテとサンチョ・パンサ』や『牛の番人(ドン・キホーテ)』を始めとし、≪ドン・キホーテ≫を画題とした作品を数多く手がけているが、本作には1870年代以降、画家が獲得した独自の作風(絵画様式)と、(本作が制作された)晩年期に画家が最も得意とした雅宴画風の趣きが良く表れている。画面右側に配されるドン・キホーテは疲弊しうな垂れる馬に跨り、丘の上の風車へと向かっている。逆光気味に描かれる風車は影に覆われ輪郭のみが浮かび上がっているものの、影に覆われることによって異様な存在感を醸し出しており、この勝負の結末(ドン・キホーテは風車の風に吹き飛ばされ敗北する)を暗示しているかのようにも感じられる。モンティセリの大きな特徴である本作の厚塗りによる荒々しく粘質的な筆触は、1870年代の作品(作品例:牛の番人(ドン・キホーテ))と比較してもより太く明確になっており、絵具そのものの重々しくも、画家の(そして観る者の)内面へと迫ってくるかのような質感や、奔放ながらどこか自然的な光や情景を感じさせる触感は、≪ドン・キホーテ≫の持つ人間性豊かな世界観と不思議な調和をみせている。さらに燃えるような夕日がつくり出す赤々とした情景はドン・キホーテの、そして画家自身の心象を表現したとも考えられており、一部の研究者からは(本作を)自画像との指摘もされている。

関連:『ドン・キホーテとサンチョ・パンサ』
関連:『牛の番人(ドン・キホーテ)』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

カシスの港

 (Port de Cassis) 1884年頃
34.3×51cm | 油彩・板 | 国立西洋美術館(東京)

19世紀フランスの重要な画家アドルフ・モンティセリが晩年に手がけた代表作のひとつ『カシスの港』。本作に描かれるのは画家が1870年頃から定住した故郷マルセイユ近郊の小さな港町≪カシス(画家は最晩年期に同場所に滞在している)≫の情景である。画面前景にはモンティセリらしい重厚でありながら多彩な色彩による群草が配され、その中央には白色のドラム缶が描き込まれている。そしてその奥には港の入り江に沿った堤(岸壁)が描かれており、数名の人々が堤の上に揚げられた数隻の小船の整備・点検(手入れ)をおこなっている。多数の船(ヨット)が停泊している港の入り江の対岸には遠景として小船と同色の建物が並ぶカシスの街並みが配され、さらにその奥には小高い丘陵と空が描かれている。この頃、既に体調の悪化(モンティセリは翌1885年に下半身不随となった)の前兆を見せていたにもかかわらず、画家の眼を見張るほどの創造力と表現力が示される本作の中でも特に、荒々しく激情的な画家独特の力強い筆触は非常に優れた出来栄えを示しており、ある種の即物性すら感じさせる。また本画面(本情景)に漂う荒涼とした静寂性や詩情性も注目すべき点のひとつである。なおモンティセリは個人所蔵の『カシスの港』など本作とほぼ同時期に、同様の構図でヴァリアント的な作品を数点描いたことが知られている。

関連:個人所蔵 『カシスの港』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

自画像

 (Autoportrait) 1879-1884年頃
35.5×34cm | 油彩・板 | 個人所蔵

19世紀のフランスで活躍した近代絵画の先駆的画家アドルフ・モンティセリが最晩年期に辿り着いた傑作『自画像』。本作は数々の女性遍歴を重ねていたモンティセリが結婚を望むほど想いを募らせていた魅惑的な女性エマ・リカールの依頼により制作された画家の自画像作品で、本作には画家の歩んできた絵画人生の全てが凝縮されている。本作では画面中央より右側にモンティセリ自身の姿がほぼ真横から描かれており、画面の中で画家は、筆と調色板(パレット)を手に画架(イーゼル)に向かい作品制作をおこなっている。その表情は(ルネサンス期などまで制作された)古典的で公式的な肖像画を思わせるように神妙で威厳的な雰囲気を感じることができる。これは絵画を描くという行為と共にモンティセリが抱いていた画家としての自己意識の反映だと考えられている。さらに面白いのはモンティセリの画架の間の空間に広がる模様のような斑点状の豊かな色彩の表現にある。この解釈に関しては諸説唱えられているものの、モンティセリの独創的な色彩と描写表現による(画家自身の)個性と創造性の表現と解釈する説が有力視されている。また後方で壁に掛けられた二つの絵画は、おそらくは画家自身の作品であり、これによってモンティセリは自身の絵画の正当性と永遠性を表したのだと推測されている。本画面の(顔面部以外の)大部分は荒々しく奔放闊達な極太の筆触によって色彩と絵具の質感のうねりと化しているが、それでも適度に原型を留めた形体の描写は見事の一言であり、観る者の心を強く奪うばかりである。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

Work figure (作品図)


Salvastyle.com 自己紹介 サイトマップ リンク メール
About us Site map Links Contact us

homeInformationCollectionDataCommunication
Collectionコレクション