Introduction of an artist(アーティスト紹介)
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アントワーヌ・ヴァトー Jean Antoine Watteau
1684-1721 | フランス | ロココ美術




ロココ絵画のジャンル『雅宴画(フェート・ギャラント)』を確立したことでも知られる、同様式を代表する画家。時代の雰囲気や状況を反映させた、雅やかで愛劇に溢れる独自の作風で、当時から現代までロココ美術を代表する画家として広く認知させる。画家を代表する『雅宴画』を始め、宗教画、神話画、寓意画、戦争画(歴史画)、肖像画のほか、芝居に画題を得た作品や風景画、風俗画など多岐にわたるジャンルを手がける。1684年、フランス西北部のヴァランシエンヌで屋根葺きを生業とする一家に次男として生まれ、同地の画家J・A・ジェランに絵画を学ぶ(ヴァランシエンヌはフランドル領に属していたものの、1678年のニメーグ条約でフランス領に編入されたばかりで、同地には巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの作品も数多く残されていた)。1702年頃、パリへ出て、聖画像の模写を制作し生計を立てながら、劇場装飾家クロード・ジローの工房に入り芝居画を描きながら、その画題と技法を会得。1708年から当時の著名な室内装飾家であり、リュクサンブール宮殿に住んでいたクロード・オードラン3世の助手として働き、ロココ的な装飾様式を身につけながら、(当時リュクサンブール宮殿にあった)ルーベンスの代表作『連作:マリー・ド・メディシスの生涯』やヴェネツィア派の模写をおこない多大な影響を受ける。また同時期にローマ賞に応募。結果は二位となりイタリア留学の権利は得られないものの、数年後、同時代の宮廷画家シャルル=アレクサンドル・コエサン・ド・ラ・フォスに認められ、1712年、同氏の推薦もあり王立絵画・彫刻アカデミーの準会員に加入、アカデミーからの再三の依頼・催促により1717年に手がけた(ロココ美術を代表する名画となった)『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』によって、アカデミーの正式な会員に選出される。その後、一時的にロンドンに滞在するほか、様々な作品を手がけ精力的に制作活動をおこなうものの、終生病身であったヴァトーは1721年、36歳の若さで夭折。画家の作品に見られる憂鬱的な雰囲気は病身の為であると推察される。死後、画家の友人ジェリエンヌがヴァトーの作品に基づく版画集全4巻を刊行。この版画集は後世の画家やフランス美術界に甚大な影響を与えた。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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シテール島

 (L'île de Cythére) 1709-10年頃
43.1×53.3cm | 油彩・画布 | シュテーデル美術館

18世紀フランスの大画家アントワーヌ・ヴァトー初期を代表する作品『シテール島』。ヴァトーが王立絵画・彫刻アカデミーの準会員に加入する前、おそらくは26〜27歳頃に制作されたと推測されている本作は当時の風俗劇作家ダンクールによるフランス喜劇一座の為に書かれた演劇≪三人の従姉妹≫の一場面で、ギリシア近郊、地中海の島≪シテール島(キュテラ島)≫へ主人公となる三人の若い村娘らが巡礼に旅立つ情景を描いた作品である。同主題を描いた作品としては1717年にヴァトーが制作した名高き傑作『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』がよく知られているが、本作には傑作が誕生するその第一歩を感じることができる。画面前景には恋の成熟を願う巡礼へ向かう為に、キューピッドが船頭をする船へと乗り込む場面が展開しており、さらに画面左上部分には松明を持ったキューピッドが彼女らを祝福するかのように空を舞っている。そして遠景にはグリザイユ(灰色の濃淡で描かれたモノクローム絵画の意味、しばしば14〜15世紀の祭壇画などで使用された)風の表現で、シテール島で巡礼者を待ち受ける無数のキューピッドが描き込まれている。本作の表現自体は(演劇の場面を描いたという背景もあり)やや平面的な構成で、村娘の恋に期待する高ぶった感情表現やその後の展開の予感性、造形表現そのものも画家としての成熟の低さを感じさせる出来栄えであるが、この愛の巡礼という画題への取り組みや、軽やかながら憂鬱さも感じさせる独特の色彩表現などには、後の傑作への道筋を見出すことができる。

関連:1717年制作 『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』

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お猿の彫刻家(彫刻)

 (Le singe sculpteur) 1709-10年頃
22×21cm | 油彩・画布 | オルレアン美術館

18世紀フランスを代表する巨匠アントワーヌ・ヴァトーの興味深い作品『お猿の彫刻家(彫刻)』。残されている古版画から、『お猿の画家』という作品(現在は消失)との対画関係にあったことが判明している本作は、猿が鑿(のみ)と槌(つち)を持ち彫刻を制作する姿を描いた作品で、本作自体も損傷が著しく多くの加筆が認められる点や、古版画と同構図である点などから一般的にはヴァトーの真筆ではなく、後世の画家による模作と考えられている。本主題≪猿の彫刻(猿の人真似)≫は絵画や彫刻などの諸芸術が自然の模倣であるという観念(自然を崇高とし芸術を卑下する考え)から発生した主題であるが、本作に描かれる猿をヴァトーは自身と同一視していたとの解釈も唱えられている。画面中央に描かれる帽子を被った猿は左手で鑿(のみ)を若い女の胸像(彫刻)の首もとに当て、右手の槌(つち)を振るおうとしている。その表情はまさに彫刻家が作品に対して向かうかの如く真摯な表情を浮かべており、猿=ヴァトーとする解釈に説得力を持たせている。さらに彫刻の台の近くや猿の後ろには様々な道具が置かれており、この猿の仕事への積極性や精力的な取り組みを強調している。様々な時代で手が加えられておりヴァトー作品としての真贋は非常に曖昧な本作ではあるものの、描かれる対象の実直な捉え方や主題そのものへのアプローチは画家の作品の中でも特に注目すべき内容であり、ヴァトーの作品を考察する上でも欠かせない作品に位置付けられている。

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聖家族(エジプトへの逃避途上の休息)

 1715年頃
(Sainte Famille (Repos pendant la fuite en Egypte))
129×97.2cm | 油彩・板 | エルミタージュ美術館

18世紀フランスを代表する大画家であり、ロココ美術随一の巨匠アントワーヌ・ヴァトーの数少ない宗教画の傑作『聖家族(エジプトへの逃避途上の休息)』。本作に描かれる主題は、ユダヤの王ヘロデが、やがて己の地位を脅かす存在になる神の子イエスの存在を恐れ、ベツレヘムに生まれる2歳以下の新生児の全てを殺害するために兵士を放ったものの、聖母マリアの夫である聖ヨセフが天使から「幼エジプトへ逃げよ」と託宣を受け、聖母マリアと幼子イエスを連れエジプトへと逃避する場面≪エジプトへの逃避途上の休息≫である。画面中央に聖母マリアの腕に抱かれる幼き神の子イエスが無垢でありながら同時に威厳も感じられる表情を浮かべた姿で配されており、そのすぐ左側にはイエスの聖性と神との直接的なつながりを示す、聖三位一体の一位である白い鳥の聖霊が描かれいる。そしてその上部には我が子に慈愛の眼差しを向ける聖母マリアと義父となる聖ヨセフが描かれているが、その表情にはどこかイエスの受難を危惧するかのような物悲しさを感じさせる。さらにその上部には2組と3組に分けられた頭部のみの天使が五体配されており、本主題の大いなる父なる神の正当性を暗示している。本作で最も注目すべき点は、ヴァトー独特の陰鬱的な雰囲気表現と、豊かな色彩の描写にある。神の子イエスと聖霊は画面中で最も明るい光に包まれており、彼らの存在そのものが奇蹟あることを表しているかのようであるが、逆に聖ヨセフの顔や身体には深い影が落されており、この強い明暗の対比は観る者にある種の不安を抱かせる。また空の色に用いられる深い青色と岩々の赤褐色の色彩的対比は、聖母マリアの身に着ける伝統的な聖衣服と呼応しており、画家の優れた色彩感覚が感じられる。

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見通し

 (La Perspective) 1714-1716年頃
46.7×55.3cm | 油彩・画布 | ボストン美術館

ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトー初期の重要な作品のひとつ『見通し』。本作は画家の友人であり重要なパトロンでもあったフランス財務長官ピエール・クロザが所有していたパリ近郊モンモランシーの邸宅(別荘)の庭園を舞台のモデルとして描かれた作品で、表現様式的特徴からヴァトーの重要な作品の中では比較的初期頃(1714-16年頃)に描かれたと推測されている。本作で最も注目すべき点は、中央で明確に隔てられた空間の構成にある。画面の中央から左右に中景となる森林が対称的に配され、中央に空けられた遠景にはクロザ所有の邸宅が見えている(画家はしばしばこの邸宅と訪れており、その時に手がけたデッザンが現在でも残されている)。このような空間構成はヴァトーの作品では珍しく、それ故に本作は画家の表現的な発展を研究する上でも特に重要視されている。また本作に登場する若い男女や子供らの姿は当時、流行した衣服と古典的な衣服が混在して描かれており、現実と非現実(理想)とが入り混じった表現も特に注目すべき点である。画面左側の近景には、若い男女が三組描かれており、女性は当時の流行を取り入れた衣服を、男性は古典的な衣服を身に着けている。三組の内、最も画面左端に描かれる男女は男性がエスコートしながら森林の奥へと誘っているかのようである。そのすぐ右側では大地に腰を下ろした男が楽器を弾きながら女に何かを語っている。さらにその奥の男女は男性が木に寄り掛かりながら、艶やかな黄色の衣服に身を包む女性に語らいかけている。画面中央、そして画面左部分には森林の間から見える庭園を眺める男女と、遊んでいるかのような仕草を見せる子供らが描かれていることが確認できるが、画面の損傷が著しい為に、その奥へ描かれる夫人らしき人物など詳細を見出すのは困難である。しかし本作の洗練された木々の描写や安定的で成熟を感じさせる空間構成からは、ヴァトーの雅宴画(フェート・ギャラント)の確立と大成を予感させる。

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水浴するディアナ(ディアナの水浴)


(Diane au bain) 1715-1716年頃
80×101cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーを代表する神話画作品のひとつ『水浴するディアナ(ディアナの水浴)』。本作に描かれるのはローマ神話から主神ユピテルと巨人族の娘レトとの間に生まれた双子のひとり(もう一方は太陽神アポロ)で、多産や狩猟を象徴する地母神であり、純潔の象徴でもある女神≪ディアナ(ディアナはギリシア神話のアルテミスと同一視される)≫が水浴をする姿である。本作には弓も狩猟で得た獲物も描かれていないが、水浴する女性の傍らには狩猟のアトリビュートである≪矢筒≫が配されていることから、この女神がディアナであることが判明した。画面中央やや左に配される狩猟の女神ディアナは、小さな泉の辺に座り、足を洗っている。片足をもう一方の膝の上に乗せ、斜め後ろを振り返りながら両手で足首あたりを白布で拭くその姿は、観る者を魅了せずにはいられないほど艶かしく、生々しい光沢を感じる色彩も手伝って非常に官能的である。このような直接的な(あからさまな)官能的裸婦表現はヴァトーの作品の中でも非常に珍しく、画家の作品や様式研究をおこなう場合でも本作は重要視されている。また本作に描かれる画面背景(そして遠景)の風景描写の、生涯病身であった画家の心情を反映したかのようなやや寂寞さや憂鬱性を感じさせる独特な雰囲気(これは神話画としては特に異例的である)や、抑制的でありながら調和性豊かな色彩は白眉の出来栄えである。

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愛の調べ(愛の音階)

 (La game D'Amour) 1715年頃
51×60cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

初期ロココ様式を代表する画家アントワーヌ・ヴァトーの典型的な作例のひとつ『愛の調べ(愛の音階)』。制作年代には諸説唱えられているものの、一般的には1715年頃に手がけられたと推測される本作は、若い男女の初々しい愛の情景を描いた作品である。画面中央にはギターらしき楽器を手にした、まるで役者のような派手な衣服に身を包む若い男が配され、初老の男(又は古代ローマの女神ケレス)の胸像の下で音楽を奏でようとしている。男の視線は画面左下で大地に座る若い女が広げる楽譜へと落とされており、これから奏でようとしている曲が2人の関係性を物語っている。画面奥へと顔が向けられているため、その表情を窺うことができない艶やかな衣服に身を包む若い女性は、優雅に楽譜を摘みながら若い男へと視線を向けている。さらに中景として画面右側には2組の男女と1組の母子が配されており、本作の牧歌的かつ穏やかな情景をより強調している。そしてその奥には夕暮れを思わせるように幾許か赤味の差す空が広がっており、前景(画面左上)の濃密に茂る樹木と見事な対比を示すかのように、空間的な開放感を生み出している。本作の表現手法に注目しても、重厚的ながらある種の軽やかさも同時に感じさせるヴァトー独特の筆触による豊潤で多彩な色彩の描写や斜傾的な場面構成、光と陰影の光度を帯びた明確な対比などは秀逸の出来栄えを示しており、その後、ヴァトーが手がけることになる一連の代表作を予感させる。なお本作に描かれる仲睦まじい男女や中景の複数人による男女の組み合わせはその後の作品にも度々登場することになる。

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フランス喜劇の恋(フランス一座の恋)


(L'amour au Théâtre Français) 1716年頃
1716年頃 | 油彩・画布 | ベルリン国立絵画館

雅宴画の確立者として知られるロココ美術の大画家アントワーヌ・ヴァトーを代表する作品のひとつ『フランス喜劇の恋(フランス一座の恋、フランス芝居の愛)』。本作に描かれるのは、ヴァトーがしばしば画題として取り上げている≪芝居≫とそこに登場する役者を描いた作品のひとつである。本作で演じられる芝居についての詳細は(喜劇であるかも)不明であり、「村の結婚式」などとの関連性と共に諸説唱えられているものの、登場人物については画面内での扱われ方や身に着ける衣服などから大凡の見当はつく。画面中央やや右部分で最も強く明瞭な光に照らされる若い女性は本劇の女主人公であり、両手で身に着ける長いスカートの裾を摘んだ挨拶を交わす姿は、その対角線に配される画面右側の真紅の衣服に身を包む主人公の男と結びつく(主人公も若い女同様、挨拶をするような仕草を見せている)。さらに女主人公のすぐ右部分では葡萄の冠を着けた酒神バッカス役と、肩から矢筒を下げた太陽神アポロ役、そしてその間のコロンビーヌ役と思われる女が乾杯をおこなっている。画面左には音楽師らが複数人配されているが、この集団部分の表現はヴァトー初期の様式を思わせ、画面中央部分の主役級の人物らの円熟味を感じさせる表現とは明らかに異なっており、この差異は研究者の間では特に注目されている。また予てから言われている本作と同様の名称で知られた『イタリア喜劇の恋(イタリア一座の恋)』との対画的関連性については、否定的な意見も少なからず唱えられており、現在も議論が続いている。

関連:1718年頃 『イタリア喜劇の恋(イタリア一座の恋)』

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田園の恋人たち(羊飼いたち)


(Les Bergers) 1716-1717年頃
56×81cm | 油彩・板 | シャルロッテンブルク城(ベルリン)

ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーを代表する作品のひとつ『田園の恋人たち(羊飼いたち)』。依頼主など作品制作の経緯や意図などは不明であるも、古くから画家を代表する作品として親しまれている本作は、伝統的な田園風景の中で求愛をおこなう男女の姿を描いた作品である。画面中央では若い一組の男女がダンスを踊っており、その姿は生命感と躍動感に溢れている。その左側(画面左部分)にはダンスに合わせてミュゼット(フランスの地方の民族楽器でバグパイプの一種)を奏でる男や男女の踊りを愉快げに観る人々が描かれている。さらにその中には女性の乳房を背後から掴む男と、それを払い除けようとする女の姿や、股を(本作を観る者へ向けて)広げる一匹の犬なども配されており、ここまで直接的で露骨な性的表現がされるのは画家の作品の中でも特に珍しい。その奥にはブランコに乗る女の後姿が描かれ、その傍らでは若い男が何やら話しかけているようである。素朴的で自然に溢れた田園風景に描かれるからこそ、本作では雅宴画(フェート・ギャラント)では見られない人々の純粋な生命の力が感じられるのである。また調和的な色彩によって表される風景そのものの描写や、風景に溶け込む羊群の牧歌的な雰囲気も極めて優れた表現である。なおヴァトーは本作を手がける前にひとまわり小さな寸法で同内容の作品『田園の楽しみ(田園の愉しみ)』を制作しており、本作はそのヴァリアント的な作品であるとの解釈が一般的である。

関連:コンデ美術館所蔵 『田園の楽しみ(田園の愉しみ)』

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シャンゼリゼ(エリュシオンの園)


(Champs Elisées) 1716-1717年頃
32.5×46.5cm | 油彩・板 | ウォーレス・コレクション

ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーが手がけた雅宴画(フェート・ギャラント)作品の代表的作例のひとつ『シャンゼリゼ(エリュシオンの園)』。本作に描かれるのは、おそらく城館か、もしくは大邸宅の庭でおこなわれた多数の人々の集いの風景である。画家は円熟期となる1715年頃以降、このような広大な緑深い林や森を思わせる庭の中に群集を配した作品を数多く手がけるようになり、本作はその代表的な作例のひとつとして知られている。画面下部では、四人の若い女性らが流行の衣服に身を包み、花摘みや談笑をしており、彼女らの胸元に添えられる薔薇が女性の美しさや本場面の優雅性をより強調している。また四人中、最右の女性は寝そべる男との意味深な会話を楽しんでいるかのようである。さらに画面右端に目を向けると、雅宴画ではお馴染みとなる女性の彫像が配されており、その横たわり眠りにつく姿態は、画家によって本作の数年前頃に制作されたと推測されるルーヴル美術館所蔵の『ニンフとサテュロス』との類似性が指摘されている。一方、中央の女性らの左側には愛らしく遊ぶ3人の子供らが描かれているほか、中景には少なくもと15人以上の人々が、(前景に描かれる男女らと)同じようにこの庭の中で穏やかなひと時を過ごしているのを確認することができる。本作の豊潤な色彩や計算された画面構成と遠近描写、画家独特の憂いとある種の寂しさを感じさせる場面表現は、小画面(32.5×46.5cm)とは思えないほど秀逸な出来栄えを見せており、観る者を強く惹きつけるのである。なお本作から数年後(おそらく1719-1720年頃)、出来としては、多少、本作より劣るものの、本作の構図と非常に似た大画面(128×193cm)による作品『田園の気晴らし』が制作されている。

関連:ウォーレス・コレクション所蔵 『田園の気晴らし』
関連:ルーヴル美術館所蔵 『ニンフとサテュロス』

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公園の集い(庭園での集い)


(L'Assemblée dans un parc) 1716-1717年頃
32.5×46.5cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

18世紀初頭のフランスを代表する画家アントワーヌ・ヴァトーの典型的な作品のひとつ『公園の集い(庭園での集い)』。当時を代表するロココ様式の建築家ロベール・ド・コット氏の旧蔵品であった本作は、美しい風景が広がる公園(庭園)の中で複数の若い男女や子供らが戯れる情景を描いた作品である。画面前景右側には3組の男女が配されており、その中央では2人の男性がひとりの女性に言い寄っているが、当の女性は拒否の姿勢を示している。さらに画面前景中央には無邪気に(又は若い男女を真似するかのように)遊ぶ子供らが、そして画面前景左側には仲睦まじく公園(庭園)歩く男女が配されており、各所で享楽的な恋の駆け引きが繰り広げられている。これら画面中での連続的な演劇風物語の構成は、ヴァトー最大の代表作『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』を予期させ、その関連性がしばしば指摘されている。また心地よいリズムで絶妙に配される各構成要素の計算された画面展開も見事であるが、本作での風景表現は画家の作品の中でも白眉の出来栄えを示している。画面左部分(歩く男女の組の上)に描かれる木々の間からこぼれる柔らかな陽光によって、鬱蒼と公園(庭園)内に茂る木々は透き通るような輝きを帯び、中景に広がる小池にはその様子が反射している。このような風景表現はヴァトーの典型的な表現であるが、本作の風景から醸し出される独特の叙情性や繊細な心理的感情性は観る者に深い感銘を与える。さらにそれらを強調する(これもヴァトーの大きな特徴である)やや遠慮的で憂鬱的な色彩表現なども特に注目すべき点である。

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舞踏会の楽しみ(舞踏会の喜び)


(Les Plaisirs du bal) 1717年頃
52.6×65.4cm | 油彩・画布 | ダリッチ美術館(ロンドン)

雅宴画(フェート・ギャラント)の確立者アントワーヌ・ヴァトー随一の傑作『舞踏会の楽しみ(舞踏会の喜び)』。数々の模写が残されていることから、制作当初から画家の傑作のひとつとして数えられていたことがうかがい知れる本作は、パリのリュクサンブール宮殿を思わせる宮殿内でおこなわれる舞踏会の様子を描いた作品である。バロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの代表作『愛の庭 -当世風社交-』に霊感を得て、17世紀フランドルの画家ヒエロニムス・ヤンセンスの『宮殿テラスでの舞踏会』から直接的な影響を受けて制作されたと考えられている本作は、縦52.6cm、横65.4cmと非常に寸法の小さい画面の中に65人(73人とする説もある)の人々と、4匹の犬が描き込まれており、このヴァトーの高い力量が示される精巧で緻密な描写によって本作では、本来ならば制約となり不利になるはずの寸法の小ささを全く感じさせず、むしろスケールの大きさすら感じられる。さらに優雅に舞踏する若い男女を始め、芝居役者、道化師、楽士、召使(従者)、侍女、見物人など様々な人々が配されているにも係わらず、(多人数構成による特有の)煩さは皆無であり、この構成の巧みさや、背景(風景)と建物、登場人物らの関係性の見事さは、画家の全作品の中でも特に優れている。さらに現実(貴族社会での日常)と幻想が混合される独特の舞台(場面)表現や、陽気的かつヴァトー独特の詩情性に溢れた雰囲気の描写、前景の宮殿内と遠景の開放感に溢れる理想郷的な風景の空間的対比も特に注目すべき点である。また画面右上のバルコニーに配される、この情景を眺める少年の姿や、画面中央やや右部に配される婦人にワインを運ぶ黒人の少年の姿はヴェネツィア派の大画家パオロ・ヴェロネーゼの影響が指摘されている。なおロマン主義隆盛時代に活躍した英国絵画史上、最も重要な風景画家のひとりであるジョン・コンスタブルは本作を観て、思わず「なんと甘く、優しく、そして柔らかで芳ばしいのだろうか、まるで蜂蜜のようだ。この不可思議で優美な絵を観てしまうと、ルーベンスヴェロネーゼでさえも卑俗に見えてしまう。」と感嘆の声をあげたと言われている。

関連:ルーベンス作 『愛の庭 -当世風社交-』
関連:ヒエロニムス・ヤンセンス作 『宮殿テラスでの舞踏会』

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ヴェネツィアの祝宴

 (Fêtes vénitiennes) 1717年頃
56×46cm | 油彩・画布 | スコットランド王立美術館

ロココ美術を代表する巨匠アントワーヌ・ヴァトーによる芝居画の傑作のひとつ『ヴェネツィアの祝宴』。かつて画家の最初の伝記作家として知られるジュリエンヌが所蔵していた8点のヴァトー作品の中の1点であり、当時は『舞踏会(又はヴェネツィアの舞踏会)』と題されていた本作は、当時上演されていたカンブラ作曲、ダンシェ台本による人気のオペラ・バレエ『ヴェネツィアの祝宴(1710年初演)』に着想を得て制作された作品だと考えられている。画面中央では、水霊の彫像が置かれる宮殿(又は城内)の庭でダンスを始めようと若い女性が、ドレスを摘み上げ相手に軽く会釈している。その視線の先には異国的(東洋的)な衣服を身に着ける相手の男性が足を広げ立っている。この二人には明らかな描き直し(修正)の痕跡(女性はドレスの裾部分、男性は両足部分)が残されており、特に男性に関しては当初は若々しく痩せた姿で描かれていたとされている。また彼女を囲むかのように16人の男女が配されており、各々会話を楽しむなど本作の優雅な雰囲気をより盛り上げている。そして雅宴画(フェート・ギャラント)としては珍しく、本作には幼児や犬の姿が描かれていない点は注目すべき点のひとつである。表現手法を考察してみても、大胆ながら繊細な動きも見せる筆触や、登場人物の性格を感じさせる愉快で躍動的な人体描写、水霊の彫像の豊潤で優雅な身のこなし姿、(画家の特徴的な)メランコリックな空気も感じられる独特の色彩描写などに、画家の豊かな画才と卓越した技量を見出すことができる。

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朝の化粧(化粧する女)

 (La Toilette) 1717年頃
46×39cm | 油彩・画布 | ウォーレス・コレクション(ロンドン)

ロココ美術の大画家アントワーヌ・ヴァトー作『朝の化粧(化粧する女)』。おそらくは1717年頃に制作されたと考えられている本作に描かれるのは、フランドル・ネーデルランド地方の伝統的な画題であり、18世紀フランスにおいて最も好まれた風俗的画題のひとつでもあった、侍女を伴い身支度(身繕い)をおこなうひとりの婦人である。画面中央では頬を紅潮させたひとりの婦人がベッドに腰を下ろしながら衣服(下着)を脱ぐ(又は着る)作業をおこなっており、その傍らでは侍女が婦人のための衣服を手にし立っている。ベッドの上には従順の象徴である一匹の愛らしい犬が婦人へと視線を向けるように描かれるほか、ベッドの上部には愛の神(又は愛の成熟)を象徴するキューピッドの装飾が施されており、このベッドの上で何が行われたかを観る者に想像させる。官能的な婦人の姿態や裸婦展開は17世紀フランドル絵画最大の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスからの、輝きを帯びた柔らかで豊潤な色彩はルネサンスヴェネツィア派の巨人ティツィアーノからの影響が指摘されているものの、卑俗な官能性に陥ることなく、あくまでも軽やかで気品高く、優雅な貴族階級の日常を映したかのような本作の雰囲気はヴァトーの絵画展開をよく表している。なお本作はかつて楕円形の額縁に入れられていた為、画面内にはその痕跡が明確に残されている(本作の楕円形の輪郭の外側部分は後世の画家による補筆である)。

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ラ・フィネット(悪戯好きな小娘、デリケートな音楽家)


(La Finette) 1717年頃
25.3×18.9cm(原寸) | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

18世紀前半期のフランスで活躍した偉大なる巨匠アントワーヌ・ヴァトーが手がけた傑作『ラ・フィネット(悪戯好きな小娘、デリケートな音楽家)』。寸法や表現様式などの観点から、ほぼ異論なくルーヴル美術館に所蔵される『無関心(冷酷な男、気紛れな恋人)』と対画関係にあると推測されている本作は≪音楽≫を主題に描かれた作品で、一説には画家と親交のあった画商シロワ家の娘をモデルに手がけられたとされるものの、現在では理想的・典型的なロココ的アプローチによる肖像画と解釈するのが一般的である。画面中央に配される少女は庭園を思わせる風景の中の石に腰掛け、身体の左側を観る者の方へ向けながらテオルブ(大型のギターの形をした古楽器)を手にしている。本作の名称≪ラ・フィネット≫はこの少女が身に着ける絹の衣服の布地と織り方に由来していると考えられており、精緻な筆触によって上品かつ軽やかに仕上げられた衣服の光沢感や質感表現は、本作の名称となるに相応しい優れた出来栄えを示している。また個としては非常に愛らしい姿で描かれる少女であるが、作品全体から醸し出される雰囲気は夢想的でありながらどこか憂鬱な空気や印象を感じさせ、そこからヴァトー後年の陰のある詩情性も読み取ることができる。本作と『無関心(冷酷な男、気紛れな恋人)』は1729年に(それぞれ別の版画家によって)版画化されていることからもわかるよう、当時から非常に高い評価を受けていた作品であり、小作かつ損傷が著しい点を考慮しても、画家の芸術的要素が最も示された作品のひとつとして現在も重要視されている。なお本作は上下左に約0.8cm、右に2.0cmの継ぎ足しが施されていることが判明している。

関連:対画 『無関心(冷酷な男、気紛れな恋人)』

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無関心(冷酷な男、気紛れな恋人)


(Indifférent) 1717年頃
25.5×18.7cm(原寸) | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

18世紀前半期のフランスで活躍した偉大なる巨匠アントワーヌ・ヴァトーが手がけた傑作『無関心(冷酷な男、気紛れな恋人)』。寸法や表現様式などの観点から、ほぼ異論なくルーヴル美術館に所蔵される『ラ・フィネット(悪戯好きな小娘、デリケートな音楽家)』と対画関係にあると推測されている本作はおそらく≪踊り(舞踏)≫を主題に描かれた作品で、一説には画家自身の姿をモデルに手がけられたとされるものの、現在では理想的・典型的なロココ的アプローチによる肖像画と解釈するのが一般的である。本作に関しては日本にも所縁の深い近代を代表するフランスの詩人ポール・クローデルが「違う、彼は無関心なのではない。小鹿や小鳥のように踊り絶妙なバランスを取りながら真珠のような輝く色彩を運ぶ、曙(夜明け)の伝令者なのだ。」との言葉を残しているよう、画面中央に描かれる若い男の姿や様子は、長く名称として用いられている≪無関心≫というより、あたかも芝居に登場する演者のように軽やかかつ優雅な振る舞いを示している。本作の場合でも『ラ・フィネット(悪戯好きな小娘、デリケートな音楽家)』と同様、全体からはやや幻想的でありながら、どこか鬱蒼とした陰鬱な雰囲気が感じられ、それ故、観る者は本作を単なる≪踊り(舞踏)≫を主題に描いた作品として捉えるのではなく、そこに画家の深遠なる精神性を見出すのである。また表現手法に注目しても、『ラ・フィネット』では見られない(帽子の薔薇や外套に用いられている)朱色系統の使用によって、作品全体を覆う褐色的な黄緑色と見事なアクセント的対比をみせており、観る者を魅了する。なお本作は上下に約0.8cm、左に約1.1cm、右に約1.3cmの継ぎ足し処理が施されている。

関連:対画 『ラ・フィネット(悪戯好きな小娘)』

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メズタン

 (Le Mezetin) 1717-1719年頃
55.2×43.2cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

フランス・ロココ美術初期の巨匠アントワーヌ・ヴァトーの代表作『メズタン』。本作はイタリア喜劇の有名な役柄(役者)である≪メズタン≫を単身で描いた作品である。≪メズタン≫は通常、1683年、パリにあったイタリア喜劇座でアンジェロ・コンスタンティーニが創作した役柄を指し、本作のモデルも一般的にはコンスタンティーニと解釈されているが、画家と交友のあった画商シロワの義理の息子ジェルサンとする説や、画家の友人(又は知人)を描いたとする説、定期市の喜劇一座が導入したメズタンとする説など諸説唱えられており、現在も議論が続いている。画面中央でギターを弾くメズタンは役柄的には数多くの脇役のひとりであり、主人公の女性に密かな恋心を抱くものの、端から相手にされない男である。本作にはあたかもそれを暗示するかのように、メズタンの背後には女性の石造が背を向けて配されている。本作の最も大きな見所は、緑色系で支配される画面内の色彩の豊かな表現であり、メズタンの身に着ける縦縞の衣服や、深く鬱蒼とした森(又は庭先)の木々などに使用される緑色の多様な色調と表現は、観る者の目を自然と惹きつける。またそれらの色と補色関係にある帽子や肩掛け、靴に付く薔薇の赤色(や朱色、桃色)は色彩の美しさだけではなく、画面を引き締めるアクセント的な効果も発揮している。なお本作以外にもメズタンを描いた作品が、コンデ美術館(メズタン(セレナーデを贈る男、ギターを弾く男、調和))や、ロンドンのウォーレス・コレクション(メズタンの服を着て(シロワとその家族))などに所蔵されている。

関連:『メズタン(セレナーデを贈る男、ギターを弾く男、調和)』
関連:『メズタンの服を着て(シロワとその家族)』

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愛の喜び(愛の宴-ヴィーナスの彫像の下で-)


(Palaisirs D'Amour (Fête D'Amour; au pied de la statue de vénus))
1717-18年頃 | 61×75cm | 油彩・板 | ドレスデン国立絵画館

18世紀ロココ美術時代を代表する画家アントワーヌ・ヴァトー随一の雅宴画(フェート・ギャラント)作品『愛の喜び(愛の宴-ヴィーナスの彫像の下で-)』。同時期に制作された『シャンゼリゼ(エリュシオンの園)』や『田園の気晴らし』、そして画家の王立絵画・彫刻アカデミー正式会員入会作品でもある『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』と並び、ヴァトーが手がけた雅宴画の代表的な作例のひとつとして良く知られる本作は、美しいヴィーナスとキューピッドの彫像が置かれる庭園(森林)の中で優雅に戯れる男女の情景を描いた作品で、印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが傑作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』を制作する際、「この絵画には素晴らしい風景があり、優美で生の喜びに溢れた情景が広がっている。」と本作から大きな刺激と影響を受けたという逸話はあまりにも有名である。近景となる画面中央から右側部分にかけては4組の男女が配されており、その真中では男性1人に対して女性が2人組み合わされている。近景ではこの3名の大胆な行動や仕草を中心に、他の2組の男女らが驚きと興味を示しながら眺め、最前景の男女はそれが目に入らないほど互いへの関心を高めるというロココ独特の愛の物語性が特に感じられる。画面右側に配されるヴィーナスとキューピッドの彫像は『シテール島への船出(第二作目)』に登場する彫像と類似しており、本作のような愛の情景を象徴する存在としての意味を見出すことができる。中景となる画面左側の木々の向こう側のやや大きな泉の傍でも4組の男女らが屈託なく時を過ごす情景が美しい風景の中に描き込まれている(さらにヴィーナスの彫像の後ろ側にも2組の男女が軽やかな姿で配されている)。本作の描写手法に注目しても、絶妙な均衡を保ちつつ明暗の対比と独特の筆触で配置される色彩によって主題(画題)を表現した本作は、画家の作品の中でも特に重要視されている。

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シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫


(Pelerinage a l'isle de Cythere)1717年
129×194cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーが手がけた、同様式を代表する名画『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』。王立絵画・彫刻アカデミーの正式な会員として認められることになった作品である本作には、海の泡から生まれた愛の女神ヴィーナスが流れ着いた伝説が残されることから、独身者が巡礼をおこなえば必ず好伴侶が見つかるという、ギリシア近郊、地中海の島≪シテール島(キュテラ島)≫へ若い男女らが巡礼をおこない、そこから離島する情景が描かれているとされている。アカデミーに提出された当初は『シテール島への巡礼』という名称であったが、後に『雅やかな宴』と変更されたことが知られている本作は、巡礼へ向かう場面なのか、帰還した場面を描いたものなのか現在も議論は続いているも、近年マイケル・リヴィの論文により、ヴァトーはシテール島から離島する場面を描いたとする説が有力視されている。華麗で雅やかなロココの雰囲気が漂う場面描写の中に、メランコリックな情緒性を感じさせる表現や豊潤な色彩描写は、バロック絵画の大画家ルーベンスや16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの作品の影響を受けながら形成したヴァトー独自の様式であり、特筆に値する出来栄えを示している。また八組の男女や巡礼の杖、愛を象徴する女神ヴィーナスの像やキューピッドたち、画面中央の一組の恋人同士に寄り添う子犬など本場面を構成する人物やアトリビュートの表現も注目すべき点のひとつである。本作はロココの典雅さが最も表現された類稀な作品であると、印象派の巨匠クロード・モネルノワール、近代彫刻の父オーギュスト・ロダンなど多くの画家や彫刻家が賛辞を贈っている。なお本作は1984年に修復が施され、現在の色彩は原型に近いとされているほか、(おそらく)画家の最初の伝記作家として知られるジュリエンヌの依頼によって制作された同画題の作品が、同氏からプロイセンのフリードリヒ二世の手を経てベルリンのシャルロッテンブルク城に所蔵されている。

関連:シャルロッテンブルク城所蔵 『シテール島への船出』

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シテール島への船出


(Embarquement pour Cythere) 1718-1719年頃
129×194cm | 油彩・画布 | シャルロッテンブルク城

ロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーの代表作『シテール島への船出』。作品の制作経緯に関しては諸説唱えられているものの本作は、前年(1717年)に制作された画家畢生の名画『シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫』が成功を収め、そののレプリカとしておそらくは、画家の最初の伝記作家として知られるジュリエンヌの依頼によって制作された作品であると考えられている。しかし本作は単なるレプリカとは考えられないほど、表現的特長や構成要素の顕著な違いが認められる。シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫と比較すると、明らかに複雑化した巡礼に訪れた男女、愛を象徴する女神ヴィーナスの像やキューピッドたちなど人物やアトリビュートの配置、より優雅で気品漂う場面描写、軽やかで多色的な色彩など、まさに雅宴画(フェート・ギャラント)の名に相応しい若さと愛の宴に満ちた表現へと変化している。本作には生涯病身であったヴァトー独特のメランコリックな雰囲気や物悲しげな情緒は殆ど感じられない。ここに表現されるのは巡礼を終えた若い複数の男女たちの愛に溢れた(又はそれを強調した)夢の世界なのである。この画家の表現様式的は変化の意図は不明であるも、シテール島への巡礼≪雅やかな宴≫同様、本作はヴァトーを代表する作品として今日でも親しまれ続けている。なお本作は1756年にジュリエンヌからプロイセンのフリードリヒ二世に売却され、現在はベルリンのシャルロッテンブルク城に所蔵されている。

関連:ルーヴル美術館所蔵 『シテール島への巡礼』

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ピエロ(ジル)

 (Pierrot (Gilles)) 1717-1718年頃
184.5×149.5cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

ロココ美術を代表する画家アントワーヌ・ヴァトー随一の傑作『ピエロ(ジル)』。本作は喜劇などで滑稽な格好をし人を笑わせる役者のほか、無言劇(パントマイム)での演者(ゆったりとした白布の衣装は無言劇演者の衣装の定型とされる)も指す≪ピエロ≫を描いた作品で、モデルは当時ピエロ役で名を馳せた喜劇役者ベローニだと考えられている(イタリア喜劇ではピエロ役を務める者をジル(Gilles)と呼称する)。本作の制作意図や目的については諸説唱えられているものの、ほぼ等身大という画面の巨大さなどから現在では、(1)特定の芝居、もしくは催し物を宣伝する為の看板とする説と、(2)ベローニが開店したコーヒー店の看板とする説の、二つの説が有力視されている。画面中央にはピエロ特有の大ぶりの白布の衣服と帽子を身に着けた若い男が直立の姿で配され、その顔立ちは非常に端整である。堂々としていながらも、優しげで、どこか郷愁すら感じさせるピエロ(ジル)の無垢な立ち振る舞いは秀逸の出来栄えであり、一部の研究者からは、このピエロ(ジル)の姿を画家自身の自己投影だとする指摘もされている。またその背後では一段低い場所に他の役者たちや、ロバに乗る黒服の男が描かれており、単身像では得られない場面の状況や風俗的雰囲気を伝えている。なお少々表現の質は落ちるものの、本作と同じピエロの男が登場(画面中央へ描かれる)する作品『イタリアの喜劇役者たち』がワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

関連:『イタリアの喜劇役者たち』

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フランスの喜劇役者たち


(Comédiens Français) 1718-1720年頃
57.2×73cm | 油彩・板 | メトロポリタン美術館

初期ロココ美術随一の画家アントワーヌ・ヴァトー晩年を代表する芝居画作品のひとつ『フランスの喜劇役者たち』。ヴァトー晩年期に手がけられた作品の中でも最もよく知られる作品のひとつである本作は、フランスの喜劇役者たちを描いた典型的な芝居画作品である。本作に描かれる芝居の内容についてはラシーヌの脚本による捕囚人アンドロマケーがピュロス王に嘆願する場面を描いたとする説を始め、諸説唱えられているものの、何れの説も確証を得るには至っておらず、現在も白熱した議論が続けられている。本作で最も注目すべき点は芝居画に対するヴァトーの取り組みの態度の変化にある。画家は『フランス喜劇の恋(フランス一座の恋)』や『ヴェネツィアの祝宴』など本作以前にも芝居画を複数枚手がけているが、本作においては芝居そのものの様子や展開の描写よりも、人物に対する興味や真実性がより明確に示されている。例えば画面中央やや左側に描かれる主役の豪華な衣服に身を包んだ女と男の表現は、それまでの作品と比較し、(やや芝居がかってはいるものの)明らかに迫真性が増しており、さも現実的な真実味を感じることができる。このように現実感を漂わせる登場人物に対する取り組みは晩年頃に制作された他の作品にも共通するものであるが、芝居画である本作でそれをおこなうヴァトーの意図や目的を推察することは、晩年の画家の表現様式や思想的変化を研究する上でも特に重要な点であり、今後の更なる展開が期待される。なお同時期にほぼ同寸法で、本作と同じく芝居を画題としたもうひとつの著名な作品『イタリアの喜劇役者たち』を画家は手がけているが対の作品としては否定されている。

関連:1719-20年頃制作 『イタリアの喜劇役者たち』

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パリスの審判

 (Jugement de Pâris) 1718-1720年頃
47×30.7cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

ロココ美術の巨匠アントワーヌ・ヴァトーが最晩年期に手がけた神話画作品『パリスの審判』。1856年に発見された当時は画家唯一の弟子であるパテールの作とされていたものの、現在ではほぼ間違いなくヴァトーの作品と認知されているほか、ロココ美術を代表する裸婦像作品としても名高い本作に描かれる主題は、争いの女神エリスが最も美しい女神が手にするよう、神々の饗宴に投げ込んだ黄金の林檎をめぐり、我こそはと立ち上がった、ユピテルの正妻で最高位の女神ユノと、愛と美の女神ヴィーナス、知恵と戦争の女神ミネルヴァの中から最も美しい女神を、主神ユピテルにより神々の使者メルクリウスの介添でトロイア王国の王子である羊飼いパリスが選定し審判するというローマ神話のひとつ≪パリスの審判≫である。画面中央に傍らにクピドを伴い裸体の姿で配される美の女神ヴィーナスの姿態(後姿)や彼女の足元の犬の描写は、王の画家にして画家の王と呼ばれ、諸外国まで名を轟かせた大画家ピーテル・パウル・ルーベンスが制作した『パリスの審判』に登場するにヴィーナスや犬に類似しており、その関係性が指摘されている。画面右部分では甲冑を身に着け、長槍と盾を手にする知恵と戦争の女神ミネルヴァが忌々しそうな表情を浮かべている。その上部では沈黙を表すように口元へ手を当てながら女神ユノが上空を飛行しているが、この女神ユノの解釈には、美の女神ヴィーナスの典型的なアトリビュートのひとつである帆立の貝殻を手にしていることから、ヴィーナスを祝福するニンフとする説や、女神ユノが悔しがる姿をロココ独特の典雅な様式に相応しいように改変したとする説など異論も唱えられている。画家の他の作品と比較し明らかに完成度が低いことから、殆どの研究者が未完成の作品としている本作ではあるが、画面全体から醸し出される独特の軽やかでコケティッシュ(官能的)な雰囲気やその表現は、画家が手がけた神話画の中でも白眉の出来栄えである。

関連:ピーテル・パウル・ルーベンス作 『パリスの審判』

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アイリス、ダンスには少し早いね(ダンス、踊り)


(Iris c'est de bonne heure (La danse)) 1719-20年頃
97×116cm | 油彩・板 | ベルリン国立絵画館

雅宴画(フェート・ギャラント)様式を確立した偉大なる画家アントワーヌ・ヴァトー晩年を代表する作品のひとつ『アイリス、ダンスには少し早いね(ダンス、踊り)』。版画家N-C・コシャンが版刻した版画へ添えられた4行詩の冒頭の文字から『アイリス』と呼ばれる本作は、少女がどこかの森の中らしき場所でダンスを踊ろうとしている情景を描いた作品である。画面中央には、まるで天使か妖精を思わせるような愛らしく美しい少女が豪華で流行的な衣服の裾を軽く持ち、ダンスのステップを踏み始めようとしている姿が配され、その左側には笛の口に当てる少年や木の棒を持つ少年、ダンスを見つめる少女などが描かれている。そして画面右側の遠景には数名の農夫らしき人々や教会などが見える。本作で最も注目すべき点は描かれる子供らの扱いそのものにある。ヴァトーの作品、特に代表作となる雅宴画(フェート・ギャラント)では若い男女による愛の情景が情感豊かに描かれているが、本作のような子供を扱った作品では、それらと対照的に子供の純真な無垢性や、愛の情景へとつながるかのような子供が抱く大人への憧れやその兆しなどを読み取ることができる。本作では成熟した男女がおこなうダンスへの憧憬として、この少女はダンスを踊ろうとしているようであり、観る者に子供時代の懐古心を抱かせる。また農村らしき風景の中に子供らを描く作風はフランス古典主義の画家ル・ナン三兄弟の作品に通じるものであり、一部の研究者などからは本作との関連性も指摘されている。なお本作の制作年代については古くから議論が重ねられてきたが、綿密な描写による写実性を感じさせる表現から一般的には最晩年頃の作品に位置づけられている。

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ジェルサンの看板

 (Enseigne de Gersaint) 1720年
166×306cm | 油彩・画布 | シャルロッテンブルク城

ロココ美術の大画家アントワーヌ・ヴァトーが最晩年に手がけた傑作『ジェルサンの看板』。本作は画家が1719年から一年間ほど滞在していたロンドンからパリへ帰国した1720年に、友人であった画商ジェルサンがノートルダム橋沿いで経営していた画廊の入り口用の看板として制作された作品で、建物の正面(ファサード)がアーチの形であった為に、画面内にはそれに合わせたことを示すアーチ状の痕跡が確認できる。ジェルサンによる伝説的な言い伝えによると、1720年の秋から翌年までの間の8日間で制作されたとされる本作ではあるが、何らかの理由により僅か2週間ほどで別の看板と入れ替えられたことが知られている。画面の中央から2画面で構成される本作では、絵画を見定める客とそれを勧める画商の様子が描かれており、その内容は画廊の看板という明確な目的の為の(ある種の)だまし絵的な展開が示されている。画面左側ではフランス古典主義の巨匠で、ヴァトーの前時代で最も活躍した画家でもあるシャルル・ル・ブランが手がけた国王ルイ14世の肖像画を始めとした古典的な絵画を木箱に片付ける男ら(従者)、そして洗練された薄桃色のドレスを身に着けた若い婦人(顧客)を導く男の姿が描かれている。一方、画面右側ではロココ的な裸婦が多数描かれている楕円形の絵画を身なりの良い顧客に売り込む画商や、帳場で小品を品定めする男女らが描かれている。一見すると当時の画廊の活気溢れた情景であるものの、一部の研究者からは画面左側の若い婦人を導く男をヴァトー自身と、画面右側の楕円形の絵画を勧める画商を依頼主ジェルサンと、画面右端の帳場の裏で小品を進める女性をジェルサンの妻とする解釈が唱えられている。さらにこの解釈から古典的な旧様式から当時(ロココ時代)に相応しい新様式へと導くヴァトーの画家としての自負を見出す研究者もあるが、この説は異論も多く、現在でも議論が続けられている。

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