Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ジョン・コンスタブル John Constable
1776-1837 | イギリス | 風景画




英国絵画史上、最も重要な風景画家のひとり。伝統的な風景画様式から逸脱し、風景の中に己が感じる美しさを独自の感覚で捉え、それを表現。ロマン主義的なドラマ性が重要視されていた英国内(ロイヤル・アカデミー)では当時の晩年近くまで正当な評価を得ることは無かったものの、独自の風景様式によって描いた英国的な美しさに溢れる風景画は、現在でも英国最大の風景画家としての評価を揺るぎないものとしており、同時代に活躍したウィリアム・ターナーと並び称されるほどの高い評価を受けている。1776年、サフォークのストゥア川に水車場を持つ製粉業者兼石炭の卸売り業者の息子としてイースト・バーゴルトに生まれる。1799年ロイヤル・アカデミー美術学校に入学し、オランダ一派やゲインズバラに影響を受けるものの、1802年から屋外でスケッチをおこなうようになって以来、自然とそこに潜む美しさを描くようになる。またフランス・古典主義時代の風景画家クロード・ロランから影響を受け、独自の風景画様式を確立。1802年、ロイヤル・アカデミーに初出展するも評価を得ることができず、収入が少ないまま苦労が続くが、その後も故郷イースト・バーゴルトと、ブルームズベリーやハムステッド、ソールズベリーなどを往復しながら制作活動を続け、1819年、ようやくロイヤル・アカデミーの準会員となる。その3年前の1816年に、12歳年下の女性マリア・ビクネルと(マリアの家族の反対を押切り)結婚。7人の子供を授かるが、妻マリアが結核に襲われ体調を悪化させる。1824年から妻マリアの療養のためにブライトンに住居を移すも、1828年、妻マリアが死去。失意に見舞われるが、奇しくもその翌年(1829年)にロイヤル・アカデミーの会員に選出される。その後、王立水彩画家協会やウスターなどで風景画の講義をおこなうほか、1830-32年にはコンスタブルの作品を版画化した『イングランドの風景』が刊行される。1837年、ブルームズベリーで死去。享年61歳。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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干し草車(風景−昼)

 (The Hay-Wain) 1821年
130×185cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

イギリスを代表する風景画家ジョン・コンスタブル随一の代表作『干し草車』。制作当初、英国(1821年のロイヤル・アカデミー主催の展示会)では評価されていなかったものの、1824年のパリのサロンに出展された際には高い評価を受け金メダルを獲得した本作に描かれるのは、画家の故郷イースト・バーゴルトで干し草車を引く水牛と農夫らがいる風景である。一見、何の変哲もない風景画の様相を呈しているが、本作には当時のイギリスにおける近代化へのアンチテーゼ的な意味合いが含まれていると解釈されている。コンスタブル独特の速筆的な筆触によって描かれる本風景の、輝くような光の描写や、のどかで田舎的な雰囲気の表現は、観る者に絵画そのものが放つ美しさと共に、郷愁すらも感じさせる。これらの表現は画家が憧れ、追い求めていたクロード・ロラン的な理想的美しさの表れでもあり、今でも観る者を惹きつけてやまない。なお本作を見たフランス・ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワも感嘆と賞賛の声をあげている。

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【全体図】
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Work figure (作品図)


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