Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau
1826-1898 | フランス | 象徴主義




フランス象徴主義における先駆的画家。濃厚にも軽快にも感じられる個性的な色彩表現と、女性的と比喩される繊細な線描による華麗で神秘的な独自の様式を確立。手がけた主題(画題)は歴史画や神話画が大半であるが、その解釈は画家独特のものであり、幻想性と宝石細工のような美しさに溢れている。また大作の多くは油彩画であるが、水彩による習作やデッサンなどにも画家の卓越した力量が示されている。1826年、建築家(建築技官)であった父ルイ・モローと音楽家の母ポーリヌ・デムティエの間にパリで生まれ、幼少期からデッサンなどで才能を示す。1839年、パリのコレージュ・ド・ロラン(ロラン中学校)へ寄宿生として入るも年少であった為に馴染めず。翌1840年、妹カミーユが死去、激しい衝撃を受ける。1846年、国立美術学校に入学し、新古典主義の画家フランソワ・ピコの教室で学ぶ。1849年、ローマ賞の獲得を望むが失敗。1850年、影響を受けていたロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワに進路について相談するほか、数年前にシャセリオーが手がけた会計監査院の壁画(1871年のパリ・コミューンで破壊されている)を見て強く感銘を受け、ピコの教室を離れて同氏に師事、画家としても大きな影響を受ける。1852年、ピエタ(現在は行方不明)を官展(サロン)に出品、好評を博す。その後、社交界へ頻繁に出入りするも、1856年、シャセリオーが死去。親友でもあった師の他界に大きな打撃を受け、1857年には社交界と縁を切り、数ヶ月間、自宅に引き篭った後、イタリアへと旅立つ。ローマ、フィレンツェなどを滞在し、ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロ、ソドマ、ヴェロネーゼコレッジョティツィアーノマンテーニャヴァン・ダイクホルバインなど過去の巨匠らの作品の模写をおこない、ドラクロワやシャセリオー風の様式を脱し、独自のスタイルを確立するきっかけを得る。また同地でエドガー・ドガらとも知り合う。1859年、パリへ帰国。1864年、十年ぶりにサロンへ作品を出品。復帰作『オイディプスとスフィンクス』が好評を博す。その後、サロンや個展、万国博覧会などで作品を展示し、画家としての名声を確固たるものとしてゆくも、画家自身は孤高の存在であった。1888年、美術アカデミー会員に選出、1891年からはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の教授となり、20世紀を代表する画家ジョルジュ・ルオーや野獣派(フォーヴィスム)の大画家アンリ・マティスらを教える。1898年、癌のために死去。なお生涯独身であったモローは人間嫌いだと言われていたが、今日では当時台頭していた写実主義や印象主義の風潮を拒否した為だとされている。
Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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出現

 (L'Apparition) 1874-1876年
105×72cm | 水彩・紙 | ルーヴル美術館(パリ)

19世紀のフランスで活躍した孤高の画家であり、象徴主義の先駆者でもあるギュスターヴ・モローが50歳の時に制作した傑作『出現』。本作に描かれる主題は、ユダヤ王ヘロデ=アンティパスの姪で、その後妻ヘロデヤの娘サロメがヘロデ王の前で踊り、褒美として、洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の首を求めたとされる場面≪ヘロデ王の前で踊るサロメ≫であるが、本作では斬首された洗礼者ヨハネの首がサロメの目前に出現した場面をモロー独自の解釈で幻想的に描いている。なお『出現』は複数制作されており、サロンに出典された本水彩画版の他に、フォッグ美術館が所蔵するひと回り大きい『出現』や、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する『出現』が最も完成度が高い作品として知られているほか、『ヘロデ王の前で踊るサロメ』、『踊るサロメ(刺青のサロメ、入れ墨のサロメ)』など本画題≪ヘロデ王の前で踊るサロメ≫のみ(洗礼者ヨハネの首を配さない)を描いた作品も複数手がけている。

関連:フォッグ美術館 『出現』
関連:ギュスターヴ・モロー美術館 『出現』
関連:アーマンド・ハマー美術館 『ヘロデ王の前で踊るサロメ』
関連:ギュスターヴ・モロー美術館 『踊るサロメ』

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【全体図】
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Work figure (作品図)


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