Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ Giovanni Battista Tiepolo
1696-1770 | イタリア | ロココ美術・ヴェネツィア派




18世紀イタリア絵画における最大の巨匠。ヴェネツィア派最後の巨匠としても知られる。非常に軽快で優美な筆触と透明感に溢れる明瞭な色彩による、壮麗で輝きに満ちた独自の作風で出生地のヴェネツィアは元よりドイツ、スペインなど諸外国まで、その名声を轟かす。また幻想性や創造性にも優れており、建築的遠近法や仰視法を巧みに使用した空間構成による、画家が生涯手がけた数多くの連作的大装飾壁画は、18世紀の絵画作品の中でも傑出した完成度と芸術性が示されている。ティエポロの代表的作品は神話や宗教、歴史的画題が大半であるものの、写実的描写による肖像画なども残されている。1696年、貿易商の息子としてヴェネツィアに生まれ、同地の歴史画家グレゴリオ・ラッザリーニに絵画を学ぶ。その後、同時代に活躍したジョヴァンニ・バティスタ・ピアツェッタセバスティアーノ・リッチや、偉大なるヴェネツィア派の先人ティツィアーノ、バロック絵画の大画家ピーテル・パウル・ルーベンスなどの作品に影響を受けるが、特にこの頃、再評価されていたパオロ・ヴェロネーゼの享楽的で華麗な装飾性の高い表現に意識的傾倒を強め、同氏の再来と謳われるようになる。1719年、風景画家グアルディ兄弟の姉チェチリアと結婚。イエズス会、ドメニコ会、カルメル会などが建設した教会や修道会、有力商人や貴族などからの依頼による大規模な装飾壁画を手がけ、画家として確固たる地位を確立させる。その後、ティエポロの独自的な作風は諸外国まで及ぶようになり、ドイツのヴュルツブルクの司教カール・フィリップ・フォン・グライフェンクラウの依頼により、同地の司教宮殿の装飾をおこなう。このヴュルツブルク司教宮殿でおこなった一連の装飾画は、欧州ロココ様式の最高峰の作品として名高い。晩年はスペイン国王カルロス3世の招きでマドリッドへ赴き、王宮の装飾を手がけるが、1770年同地で客死。死後、ナポレオン軍のヴェネツィア侵攻や新古典主義の台頭などで急速に評価を落したものの、近年、ルネサンスより続いたイタリア絵画の最後の巨匠として再評価されつつある。なお息子ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロも父同様、18世紀のイタリアを代表する画家として広く知られている。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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聖母の教育

 (Educazione della Vergine)
1732年 | 362×200cm | 油彩・画布
サンタ・マリア・デラ・ファーヴァ聖堂(ヴェネツィア)

18世紀イタリア絵画随一の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ初期の代表的な的宗教画作品のひとつ『聖母の教育』。ヴェネツィアのサンタ・マリア・デラ・ファーヴァ聖堂(正式名称はサンタ・マリア・デラ・コンソラツィオーネ聖堂)の祭壇画として制作された本作の主題は、(聖母マリアの)母アンナが聖書を用いて幼き聖母マリアに読み書きを教える場面≪聖母の教育≫である。新約聖書外典では、聖母マリアは3歳から14歳まで神殿内で天使らの世話を受けながら育ったとされており、聖書が書物の形図がとられていることも含め、本作に描かれる場面描写にはあきらかな矛盾や時代錯誤が生じているものの、15-16世紀頃、本格的に一般へと普及した本主題では、この矛盾点に関してはほぼ問題視されていない。ティエポロは本作を手がける前に、画家が強く影響を受けていた同時代の画家ジョヴァンニ・バティスタ・ピアツェッタが1725-26年に本作同様、デラ・ファーヴァ聖堂のために制作した傑作『聖フィリッポ・ネリに顕現した聖母マリア』を見ていたが、本作にはピアツェッタの表現様式を踏襲しつつも次第にその影響から離れ、独自の様式へと変貌してゆく画家の姿が示されている。画面中央では、白色の服と青衣を身に着ける幼き聖母マリアが聖書を広げ、隣に寄り添う母マリアから教えを受けている。画面の中で最も明るく強い光に照らされる聖母幼マリアの輝くような色彩や、演劇性と非現実的な叙情性は秀逸の出来栄えを示しており、画面上下に配される天使らの描写と共に観る者を魅了する。また聖母の白色・青色を中心に、画面下部へは母アンナの衣服の緑色と黄色が、その対角線上に聖母マリアの父であるヨアキムが身に着ける濃紺と赤色が配され、そしてさらに画面上部へは天使らが黄色・赤色・青色の衣服(衣布)を持ってる。この絶妙な配色こそ、画家の類稀な色彩感覚の表れであり、この特徴的な色彩表現は、その後の作品でより一層、花開いてゆくことになる。

関連:ピアツェッタ作 『聖フィリッポ・ネリに顕現した聖母マリア』

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幼児キリストの礼拝

 (Adorazione del Bambino) 1732年頃
220×155cm | 油彩・画布 | サン・マルコ聖堂(ヴェネツィア)

18世紀のイタリア絵画界を代表する画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ後期を代表する宗教画作品のひとつ『幼児キリストの礼拝』。本作に描かれる主題は父なる神の大いなる意思によって降誕した幼子イエスを礼拝する天使たちを描く≪幼児キリストの礼拝≫である。画面中央やや左斜め上に輝きを帯びた白布に包まれる幼子イエスが配されており、幼子イエスは近寄る天使たちに祝福を与える仕草を見せている。その上部には幼子イエスの義父であり聖母マリアの夫でもある聖ヨセフが幼子イエスを大事そうに抱えながら見つめる姿が描かれており、イエスと聖ヨセフの関係性を強調している。さらに幼子イエスの対角線上となる右斜め下には聖母マリアが父なる神と会話するかのように(又は画面には描かれない天使らの降臨を見つめるように)天上を見上げており、本作の精神性と劇的な物語性を見事に表現している。激しい明暗対比による光彩表現や場面設定、重厚さを感じさせる筆触、ドラマチックでやや演劇的な姿態表現や場面展開などはティエポロが強く影響を受けていたジョヴァンニ・バティスタ・ピアツェッタの様式を踏襲しており、画家独特の軽やかで光に満ちた色彩表現はまだ明確に見出すことはできないが、それでも極めて高度な表現処理や多様性を感じさせる色彩描写などには画家の天賦の才能が感じられる。

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洗礼者聖ヨハネの斬首

 (Decollazione) 1732-33年
約350×500cm | フレスコ | コッレオーニ礼拝堂(ベルガモ)

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの類稀な傑作『洗礼者聖ヨハネの斬首』。ベルガモのコッレオーニ一族のアマデーオのための礼拝堂の装飾画のひとつ(入口上部リュネット)として制作された本作に描かれる主題は、ヘロデ王の娘サロメが王の前で踊りその褒美として洗礼者聖ヨハネの首を求めたことから、ユダヤの民を惑わしたとの罪や、王族の近親婚を否定した罪で投獄されていた、神の子イエスに洗礼を施した洗礼者であり、旧約聖書における最後の予言者でもある≪洗礼者聖ヨハネ≫が斬首の刑に処される場面≪洗礼者聖ヨハネの斬首≫である。画面中央から左側には今まさに斬首の刑に処された洗礼者聖ヨハネの肉体と執行人によって持ち上げられたヨハネの首が配されており、その首からは赤々とした鮮血が滴っている。画面最左側には洗礼者の首を乗せるための銀の盆を手にした従者(老婆)が斬首された首を見上げている姿が描き込まれている。画面中央から左側には斬首された洗礼者聖ヨハネの首の扱いを指示するヘロデ王の娘サロメを中心の複数の人物が配されているが、サロメの背後に描かれる女性だけは洗礼者の無残な姿を悲しむかのように目を覆う仕草を見せている。本作で最も注目すべき点は透明感に溢れた瑞々しく輝きを放つ色彩表現と、やや誇張的に描き込まれた人物の劇的な描写にある。特に斬首された洗礼者聖ヨハネの完全に生命が断ち切られた肉体の力無き描写やグロテスクな鮮血の表現、土気色の聖ヨハネの首などは不快的にもかかわらず観る者の目を釘付けにする。また画家の確固たる形体描写によって構成される各人物の鮮やかな衣服の色彩も観る者を惹きつける大きな要因となっている。

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無原罪の御宿り

 (Immaculate conception) 1734-1736年頃
378×187cm | 油彩・画布 | ヴィチェンツァ市立美術館

ロココ美術時代の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの代表的な宗教画作品のひとつ『無原罪の御宿り』。本作に描かれる主題は、最初は東方で唱えられ、神学者の間で盛んに議論された後、1854年にようやく公認されたという複雑な経緯によって制定された主題≪無原罪の御宿り≫で、画家は生涯の中で本主題の作品を数多く手がけており、本作はその中でも特に代表的な作例のひとつとして知られている。≪無原罪の御宿り≫は、神の子イエスの母である聖母マリアが、マリアの母(イエスの祖母)アンナの胎内に宿った瞬間、神の恩寵により原罪から免れたとする、原罪(性交)なしに生まれた汚れの無い存在でなければならないとする聖母の神性の主張によって制定された教義で、カトリック信仰の厚い国では人気の高かった(なおカトリックと対立していたプロテスタントは本主題で定義される聖母マリアの神聖的純潔性には否定的であった)。ルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠パオロ・ヴェロネーゼの影響を感じさせる流麗で色彩豊かな装飾性は本作の大きな魅力のひとつである。また画家独自の軽快な筆触によって描写される、聖母マリアの身に着ける清潔な白地の衣服と青外套の輝きを帯びる光彩と反射の表現は、この幼き姿の聖母マリアの純潔性を良く示しているだけでなく、同時に≪無原罪の御宿り≫における浮遊感を強調する効果をも生み出している。

関連:プラド美術館所蔵 『無原罪の御宿り』

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ダナエとユピテル

 (Danae e Giove) 1735-36年頃
41×53cm | 油彩・画布 | ストックホルム大学美術史研究所

18世紀のイタリアにおいて最大の巨匠であり、かつ古典絵画最後の巨匠となったジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ初期の美しい神話画作品『ダナエとユピテル』。本作に描かれる主題はアルゴス王アクリシオスの娘ダナエに恋をした主神ユピテルが、黄金の雨に姿を変えダナエの下へ降り立ち愛を成熟させるという、新約聖書に記される受胎告知の原型とも推測されるほど有名な神話上の逸話≪ユピテルとダナエ(この時、ダナエが授かったのが英雄ペルセウスとされる)≫で、主題に含まれるの官能的な様子や劇的な場面設定から、ティエポロの先人となる16世紀ヴェネツィア派の巨人ティツィアーノや、エミリア派の大画家コレッジョ、17世紀オランダ絵画黄金期のレンブラント・ファン・レインなど幾多の画家たちが本主題を手がけている。画面右上では黒雲に乗り黄金の雨を降らしながら主神ユピテルが金地の外套を翻しながらダナエの下へと姿を現している。一方、主神ユピテルの位置の対角線上となる画面左下に配されるダナエは寝具へ横たわり浅い眠りについており、その傍らでは幼い男児がユピテルの到来を告げるかのようにダナエの腰へ手を伸ばす仕草を見せている。そしてダナエとユピテルの間では老侍女が必死に黄金の雨を銀盆で受ける姿が描き込まれているほか、画面下部では立派な雄鷹と愛らしい子犬がユピテルとダナエの関係性の暗喩として対峙している。明暗対比の大きな光彩と陰影の描写や躍動感に溢れたダイナミックな構図展開、演劇的な登場人物の姿態、濃厚ながら輝きを帯びた色彩などは当時のティエポロの特徴を良く示しているほか、軽やかな筆触による独特の浮遊感や高揚的な場面の表現には、後にティエポロが手がけることになる一連の天井装飾画の傑作群を予感させる。

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聖三位一体を崇める教皇クレメンス


(San Clemente papa adora la Trinità) 1737-39年頃
488×256cm | 油彩・画布 | アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)

18世紀のイタリアを代表する大画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが手がけた有名な宗教画作品『聖三位一体を崇める教皇クレメンス』。ニュンフェンブルク城コールフラウエン聖堂のための祭壇画として、ケルン選帝侯クレメンス・アウグストが依頼し制作された本作に描かれるのは、選帝侯と同名の教皇クレメンスが、父なる神、受難者でもある神の子イエス、聖霊の三位を幻視し崇める場面である。≪聖三位一体≫とは神の実体は唯一でありながら、その位格は、この世の全てを創造した父なる神、全人類の罪をその身に背負い磔刑によって償った受難者(神の子)イエス、使徒や人類に命を下す聖霊の3位が同位にて存在するというキリスト教の中でも最も難解な教義で、本作ではその出現を目撃するという奇蹟的瞬間を演劇的に表現しているのが大きな特徴である。画面最上部には頭部のみで表現される天使を伴う父なる神と十字架を担った神の子イエスが神々しい光を放ちながら雲に乗り、天上から降りてくる姿が描かれ、その下には白い鳥の姿をした聖霊と天使らが配されている。画面下部には聖三位の(突然の)出現に驚きの表情を浮かべつつ父なる神らを一心に見上げ、自身が体験する奇蹟を受け入れる教皇クレメンスと、豪華な杖を持った子供の天使が描かれている。歴史上クレメンスの名を冠した教皇はクレメンス5世、7世、対立教皇など複数存在するが、本作に描かれる教皇は選帝侯の権威の象徴としての意味合いが色濃く反映されている。ピアツェッタの劇的な場面表現の影響を残しつつ、眩いほどの輝きを帯びた独自的な光の表現や激しい運動性、重厚かつ写実的でありながらも非現実感と軽快性も見出すことが可能な色彩表現などは、この頃のティエポロの作品の中でも特に秀逸の出来栄えであり、今なお観る者を強く魅了し続けるのである。

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ロザリオの制定

 (Istituzione del Rosario)
1737-39年 | 1400×450cm | 油彩・画布
サンタ・マリア・デイ・ジェズアーティ聖堂(ヴェネツィア)

18世紀に生地イタリアやドイツ、スペインなど諸外国で活躍したヴェネツィア派最後の大画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ1730年代を代表する天井画作品『ロザリオの制定』。本作は聖ドミニコ修道会の依頼により同会のサンタ・マリア・デイ・ジェズアーティ聖堂の天井画として制作された作品である。本作に描かれるのはスペインのカスティリャ地方の貴族出身で、ロザリオを用いた祈祷信仰で有名な聖ドミニコ修道会の創始者≪聖ドミニクス(ドミンゴ)≫が、ロザリオを掲げることによって異端者らを退け、信仰者らにロザリオの有効性を示す場面≪ロザリオの制定≫である。画面中央やや下部に配される聖ドミニクスは複数の天使らが上空を舞う中、右手でロザリオを掲げ、画面下部に描かれる異端者らを退けている。聖ドミニクスの周囲には信仰者や民衆が聖ドミニクスの掲げるロザリオに手を伸ばし聖ドミニクスの奇蹟を称え敬っている。本作で最も注目すべき点は聖ドミニクスがロザリオを掲げる舞台のイリュージョン的な空間構成と構築にある。ロザリオを中心に幅広の階段と画面左側の二本の太円柱を描き込むことによって天井画ながら非常に遠近感と立体感に富んだ三次元的な場面を展開させており、観る者にこの聖ドミニクスが起こした奇蹟の所業の劇的な瞬間を存分に感じさせる(疑似体験させる)。また画面中央と上部に向けて輝度と明度が増してゆくティエポロ独特の軽やかで調和的な色彩や、群像が配される画面下部分とは対照的に無限の広がりを感じさせる画面上部の空間構成も、それらをより強調させる効果を発揮しており、本作にはティエポロの装飾壁画家としての高い力量が明確に示されている。

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十字架の道行き(十字架を担うキリスト)


(The way to galvary) 1738-1740年頃
450×517cm | 油彩・画布 | サンタルヴィーゼ聖堂

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロを代表する宗教画作品のひとつ『十字架の道行き(十字架を担うキリスト)』。ヴェネツィアのサンタルヴィーゼ聖堂のために制作された本作に描かれる主題は、弟子であるイスカリオテのユダの裏切りによってローマ兵士やユダヤの司祭たちに逮捕された受難者イエスが、下された磔刑を執行される為に、己の身が掲げられることになる木製の十字架を自ら背負い、処刑所であるゴルゴタの丘への道を進む≪十字架を担うキリスト≫である。画面中央下部に岩盤の上で自らが背負う十字架の重さに潰され這い蹲る受難者イエスの姿が描かれており、その表情は疲労と苦悶の表情に満ちている。肌の質感は、まるで死者のように生命力を失い蒼白い光を反射している。這い蹲る受難者イエスの上方には、イエスの疲労感溢れる肉体とは対照的な筋骨隆々の男ふたりが、イエスの背負う十字架を引いており、手前の男は受難者イエスへと視線を向けている(奥の男は画面左側に配される受難者イエスと共に磔刑に処された二人の盗賊の中のひとり善き盗賊ディスマの方へと視線を向けている)。画面右下には十字架を担う受難者イエスの汗を拭ったとされる聖ヴェロニカが布を広げており、その布には逸話としても語られるよう受難者イエスの顔が写っている。そして画面上部には(処刑場となる)ゴルゴタの丘の上ではユダヤの司祭たちが受難者イエスと二人の盗賊を待ち構えている姿が描かれている。画家の様式的特徴となる軽快な筆触によって、本作の独特の光と輝くような色彩に満ちた人物の描写や、ドラマチックな印象を強く感じさせる感情性に溢れた場面表現がより強調されており、この相乗的効果こそティエポロ作品の最も大きな魅力のひとつである。

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マナの収集

 (Raccolta di manna) 1738-43年頃
1000×525cm | 油彩・画布 | サン・ロレンツォ聖堂

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの大作『マナの収集』。ブレーシア県ヴェロラヌオーヴァのサン・ロレンツォ聖堂に収められる本作は、同地の執政官G・F・ガンバーラの依頼によって制作された祭壇画作品で、主題に≪マナの収集≫が描かれている。本作の主題≪マナの収集≫は、エジプト軍の追撃から逃れたイスラエルの民が約束の地カナンを求め、荒野を進む途中に、「食料の豊富なエジプトへ居た方が良かったのでは?」と一行の中から不満が漏れるものの、その翌日早朝、民の不満を聞き入れた父なる神が、霜のような薄く小さな円形のマナ(パンのようなもの)を、約束の地カナンへ辿り付くまでの40年間天から降らせてたとする逸話で、先導者モーセはマナが最初に降ってきた時に「これは父なる神より与えられしパンである。必要な分だけ集めよ」と述べたとされている。画面中央やや左へ配された岩の上に立つモーセは、父なる神の命によってマナを黄金の瓶から大地へと降り注ぐ天使に対して両手を広げており、モーセの神々しい姿はこの奇積を象徴しているかのようである。画面下部では、大人数のイスラエルの民が父なる神によって齎された大いなる恵みを身を屈めながら必死に拾い集めている。強烈な光と深い陰影など明暗対比がやや強調された、画家の作品としては多少重々しさを感じる表現であるものの、本作の大画面構成による複雑な群衆描写や感情性の豊かな激しい運動性は白眉の出来栄えであり、今も高き信仰心と共に観る者を魅了し続けている。また色彩表現においても赤色、青色、黄色、緑色と画面栄えする原色を用いながら、多様な中間色と輝くような白色を絶妙に配置することによって見事な統一性を生み出している。また遠景の山々と黄色に染まる空の幻想的な表現も特筆に値する出来栄えである。

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聖母とシエナの聖カタリナ、幼児イエスを抱くリマの聖ローザ、モンテプルチャーノの聖アグネス


(Madonna con le sante Caterina, Rosa col Bambino e Agnese) 1740年
340×168cm | 油彩・画布 | サンタ・マリア・ディ・ジェズアーティ聖堂(ヴェネツィア)

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの傑作的宗教画作品『聖母とシエナの聖カタリナ、幼児イエスを抱くリマの聖ローザ、モンテプルチャーノの聖アグネス』。画家が1737年から1739年にかけてヴェネツィアで手がけた聖ドミニコ修道会系の教会であるサンタ・マリア・ディ・ジェズアーティ聖堂の大規模な装飾壁画の補完的な作品として制作された本作には、聖母マリアと幼子イエスのほか、聖ドミニコ会の第三会女として知られる三人の聖女、シエナに生まれ幼子イエスに婚姻の指輪を与えられる神秘的体験で知られる≪カタリナ≫、新大陸最初の聖女であるリマ出身の≪ローサ≫、若くして聖ドミニコ会女子修道院の院長を務めた≪モンテプルチャーノの聖アグネス≫が描かれている。画面上部には聖母マリアがやや右寄りに配され、左手を胸に、右手を傍らの天使の頭へと置いている。画面中央の左側では幼子イエスを抱くシエナの聖カタリナが聖母の方を向き(天上を見上げ)、聖ローサが自身のアトリビュートである茨の冠(薔薇の冠)、薔薇の束、そして十字架を手に幼子イエスへと視線を落している。さらに画面下部右部分には小さな十字架が付いた首飾りを手に俯いている。画家独特の筆触による輝きを帯びた色彩や、画面内で左右リズミカルに配された叙情的な詩性や高い品位を感じさせる聖母と、苦行と清浄の象徴とされる黒外套と白衣から成る聖ドミニコ会の衣服を身に着ける三人の聖女の美しさは、制作当時から比類無き美の極致として誉れ高く、画家が数多く手がけた宗教画の中でも傑作中の傑作として知られている。

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聖シモン・ストックに現れる聖母子

 1740-44年
(The Virgin appearing to blessed simon stock)
533×342cm | 油彩・画布 | スクオラ・グランデ・ディ・カルミニ

18世紀イタリアで最も偉大な画家のひとりジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの傑作『聖シモン・ストックに現れる聖母子』。ヴェネツィアのスクオーラ・グランデ・ディ・カルミニのための装飾天井画のひとつとして制作された本作に描かれる主題は、キリスト教カトリックの一派であるカルメル会の托鉢修道士であり、同会6代目の総長でもあるイングランド出身の聖人シモン・ストックの奇跡的幻視体験≪聖母から茶色のスカプラリオ(袖無し肩衣。聖母の聖衣として知られる)を授かる聖シモン・ストック≫である。本主題は1251年7月16日にケンブリッジに滞在していたシモン・ストックの下へ聖母子が現れ、茶色のスカプラリオ(スカプラ)を渡すと共に、同肩衣を身に着ける死者たちの救霊を約束したとされる逸話で、この茶色のスカプラリオはその後、カルメル会の重要な教義として扱われるようになった。本作では天上から降臨する聖母マリアと幼子イエスを中心に、(聖母子が伴った)天使より茶色のスカプラリオを授かるシモン・ストックと、墓場で仰々しい苦悶の表情を浮かべる死者たちの姿が仰視法(ソッティンスー。極端な短縮法を用いて人物が上から観る者を見下ろしているかのように表現する描写法)によって見事に描き出されている。画面中央やや右側へ配される複数の天使らを引き連れた聖母子は後光を輝かせながら静粛で厳格的な表情を浮かべている。その対角線上となる画面左下へは聖母子の出現に跪く白衣の聖シモン・ストックが描かれているが、聖シモン・ストックの姿態はそのまま、さらに画面右下へと描き込まれる墓場の死者たちの姿へと視線を導く効果を生み出している。

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アルミーダと眠るリナルド


(Armida rapisce Rinaldo dormiente) 1742年
187.5×216.8cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

18世紀イタリア絵画の大画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『アルミーダと眠るリナルド』。本作は16世紀イタリアを代表する詩人トルクァート・タッソが手がけた傑作叙事詩≪解放されたエルサレム≫の中の一場面で、敵対する十字軍を混乱させた魔女アルミーダが将軍リナルドによって退けられ、その復讐として魔法で将軍リナルドを眠らせ短剣で刺すことを試みるも、眠るリナルドの美しい姿に心を奪われ(恋をし)、己が所有する宮殿に誘拐してゆく場面≪眠るリナルドを誘惑する魔女アルミーダ≫を描いた作品である。ティエポロはその生涯の中で本主題の作品を数多く制作していることがよく知られているが、本作に描かれる将軍リナルドと魔女アルミーダの甘美性が漂う官能的表現はそれらの作品群の中でも秀逸の出来栄えを示している。画面中央やや右下側に描かれる将軍リナルドは魔女アルミダの魔法によって安らかな眠りについており、その姿は純真無垢な幼子を彷彿とさせる。一方、その対角線上となる画面中央やや左上側には白煙を立たせる馬車に乗った魔女アルミーダが将軍リナルドの美貌に魅了され、従者に将軍リナルドを宮殿へ連れ去るよう指示している。両者の曲線的で流麗な姿態の対比や、従者と矢筒を持った天使との位置的関係性に対する絶妙な距離感は見所の多い本作の中でも特に注目すべき点であり、ティエポロの絵画展開のひとつの典型を読み取ることができる。また本作に用いられる色彩の鮮やかな表現や明瞭な光の描写も特筆に値する出来栄えであり、特に将軍リナルドの身に着ける鮮明な青色の衣服と魔女アルミーダの軽やかな衣服の黄色などに見られる色彩的対比は圧巻の一言である。

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ロレートの聖家の奇蹟


(Volo della Casa cerso Loreto) 1743-1745年頃
124×85cm | 油彩・画布 | アカデミア美術館(ヴェネツィア)

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが手がけた宗教画における最高傑作のひとつ『ロレートの聖家の奇蹟』。サンタ・マリア・ディ・ナザレート聖堂(通称スカルツィ聖堂)の天井画(第一次大戦時のオーストリア軍による爆撃により現在は焼失)の下絵として制作された本作に描かれる主題は、13世紀末、聖地ナザレが異教徒(イスラム教徒)に侵略され、受胎告知が行われた聖母マリアと夫ヨセフの聖家(Sante Casa)にもその攻撃が及ぼうとした時、突如、天使らが現れイタリアのロレートへと聖家を運び去ったという15世紀イタリア発祥の逸話≪ロレートの聖家の奇蹟≫である。画面中央やや右下に聖家の屋根に座る聖母マリアと床面(注:伝えられる逸話では本来、床の四隅とされている)を支える天使らが描かれ、画面中央やや左上などその周囲には音楽を奏でる楽器を持った天使らが複数配されている。そして画面下部には敵対する武器を手にした異教徒らが描き込まれており、その中の一人はこの常識では計り知れない光景を指差している。本作は下絵である為、大部分がスケッチ的な描写であるものの、本作に示されるティエポロ独特の軽やかで演劇的な浮遊感や、奇蹟的現象による高揚感は秀逸の出来栄えであり、観る者を否応なく感動させる。また天井画として制作された完成版(※これは残されている白黒写真で確認が可能)では、ティエポロの計算された構図展開によってスカルツィ聖堂の天井を横切っているかのような錯覚的な視覚効果が得られていることも特に注目すべき点のひとつである。

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フローラの勝利(フローラの帝国)


(Trionfo di Flora) 1743-1744年
71.8×89cm | 油彩・画布 | サンフランシスコ美術館

18世紀イタリアの画家の中で最も名を残した巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの代表的な作品のひとつ『フローラの勝利(フローラの帝国)』。ヴェネツィアの文筆家であり鑑定家でもあったフランチェスコ・アルガロッティが、ザクセン選帝侯アウグスト3世に美術顧問として仕えていたハインリヒ・フォン・ブリュール伯爵に贈呈し、ヴェネツィアとザクセン選帝侯の宮廷都市ドレスデンの友好的な関係を得ようとする為に、ティエポロへ注文された作品で、本作と共に、対画として『皇帝アウグストゥスに諸芸術を示すマエケナス(エルミタージュ美術館所蔵)』が制作されている。本作に描かれる場面に関しては諸説唱えられているものの、画面左下に描かれる二人の男の姿を、イタリアの著名な叙事詩人トルクァート・タッソの傑作叙事詩≪解放されたエルサレム≫に登場する、将軍リナルドの従者カルロとウバルドとする説が有力視されており、『皇帝アウグストゥスに諸芸術を示すマエケナス』では、当時ブリュール伯爵が選帝侯アウグスト3世に諸芸術の保護を求めていた姿を古典的な典拠に準え、より明確に示しているのに対して、本作では同じく古典的な典拠を用いながらも、将軍リナルドが魔女アルミーダの魅力に取り付かれたかのように、絵画そのものに対しての芸術的価値を示しているかのようである。また画面右端で踊る女の描写については、フランス古典主義の巨匠ニコラ・プッサンによる同名の作品『フローラの勝利』に着想を得たとの推測もされている。本作の赤色、青色、黄色という三原色を大胆に起用した、ロココ様式特有の軽快かつ優美に満ちた輝くような色彩や、画面全体から醸し出される豊潤な官能美に、画家の極めて高度な力量を感じさせる。

関連:対画 『皇帝アウグストゥスに諸芸術を示すマエケナス』
関連:ニコラ・プッサン作 『フローラの勝利

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東方三博士の礼拝

 (Adorazione dei Magi) 1753年
408×210.5cm | 油彩・画布 | アルテ・ピナコテーク

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、ドイツ滞在期(1751-53年)を代表する宗教画作品のひとつ『東方三博士の礼拝』。本作はヴュルツブルク司教館の装飾画を制作する為に訪れていたドイツ滞在時に、シュヴァルツアッハの修道院の祭壇画として制作された作品である。ヴュルツブルク司教館はフレスコで制作されたものの、同地は高湿度のために夏季しか装飾制作をおこなうことができず、ティエポロはそれ以外の季節(秋〜冬)に油彩画を数点手がけおり、本作はその中でも特に代表作に数えられる1点である。本作に描かれる主題は、神の子イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の王(一般的にはメルヒオール、カスパル、バルタザールとされる)が、エルサレムでヘロデ王にその出生地を聞いた後、星に導かれベツレヘムの地で幼子イエスを礼拝し、黄金、乳香、没薬の3つの贈り物を捧げる場面≪東方三博士の礼拝≫で、画面右側部分には聖母マリアに抱かれる幼子イエスが、聖母の背後には聖ヨセフが配されている。画面中央では東方三博士(三王)の中で長老格の王である(アジアを指す)カスパルが、降誕した神の子イエスに寄り添い礼拝しており、その後ろでは青年の王で欧州を指すメルヒオールと黒人の王でアフリカを指すバルタザールが神の子への拝謁を心待ちにしている。神の子イエスを中心に聖母マリアとカスパルへ最も強い光が当てられており、この華やかで明度の高いティエポロ独特の光彩表現は、両者の劇的な出会いの瞬間を盛り上げる効果を存分に発揮している。さらにルネサンスヴェネツィア派の画家ヴェロネーゼに倣う大画面による装飾性豊かで個性的な場面表現は、宗教画としてはやや感情的であるものの、この演劇性こそ画家の最も注目すべき特徴であり、観る者を強く魅了するのである。

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聖ルチアの最後の聖体拝領

 1745-50年頃
(Ultima comunione di Santa Lucia) 222×101cm |
油彩・画布 | サンティ・アポストリ聖堂(ヴェネツィア)

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロを代表する宗教画作品のひとつ『聖ルチアの最後の聖体拝領』。本作に描かれるのは、貧者へ財産を分け与えたことから婚約者の怒りを買い、キリスト教徒だと密告された後、娼妓と同等の刑罰を裁判で裁かれるが、如何様な拷問をおこなおうも傷ひとつ負わせることが出来なかった為に、最後は短剣を頸部へ刺され殉教した、ディオクレティアヌス帝時代(4世紀)のキリスト教の聖女≪聖ルチア(聖ルキア)≫が死の直前に受けたとされる聖体拝領の場面である。画面中央やや右側に、胸の前で腕を交差させながら司教(司祭)から聖体の拝領受ける聖ルチアが描かれ、その周りを囲むようにキリスト教信者が配されている。画面上方には頭部のみで構成される2天使が、さらにその奥(遠景)にはこの聖ルチアの最後の聖体拝領の場面をバルコニーから身を乗り出して眺める2人の男らが描かれている。本作の透明感と壮麗性に満ちた輝きを帯びる色彩によって描写される登場人物の悲劇的かつ悲愴的な瞬間を、画家はドラマティックな場面として魅惑的に描き出している。また厳粛ながら力強い建築的な人物の配置や画面展開はそれらをより効果的に盛り上げており、観る者の目を惹きつける。聖ルチアは、Lucia=光を意味するルチアの美しさに心を奪われた求婚者に、原因となる自らの目をくり抜いて与えるとその求婚者は改宗したという、またルキアが天に祈ると目も回復したという伝説から、眼病の守護聖人としても知られている。

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オリーブ山のキリスト(ゲッセマネの園、ゲッセマネの祈り)

 (Cristo nell'orto) 1745-50年頃
79×90cm | 油彩・画布 | ハンブルグ美術館

18世紀イタリア美術界において最大の巨匠として君臨する偉大なる画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロを代表する宗教画作品のひとつ『オリーブ山のキリスト(ゲッセマネの園、ゲッセマネの祈り)』。本作に描かれる主題は、キリスト十二使徒とおこなった最後の晩餐の後、弟子の筆頭である聖ペトロ、漁師ゼペダイとサロメの子で激しい気性からボアネルゲス(雷の子の意)と呼ばれた聖大ヤコブ、そして主イエスが弟子の中で最も愛したとされる聖ヨハネを連れ、ゲッセマネのオリーブ山(橄欖山)に赴き、父なる神へ「この杯を取り除けてください」と、自らに降りかからんとする苦難(受難)を退けるよう祈りを捧げる場面≪オリーブ山の祈り(ゲッセマネの園やゲッセマネの祈りとも呼ばれる)≫である。画面中央やや左寄りに描かれるオリーブ山(橄欖山)の頂上では、父なる神に祈りを捧げる受難者イエスを、(受難を意味する)杯を手にした天使が父なる意思を伝え諭すかのように視線を向けながら抱きかかえている。画面下部には眠りの誘惑に負けてしまった聖ペトロ、聖大ヤコブ、聖ヨハネが深い眠りについている。そして画面右部分には裏切り者ユダを道案内に、受難者イエスを逮捕する為にオリーブ山(橄欖山)へと歩みを進めるローマ兵士や司祭らが迫る様子が描かれている。画面中で最も明瞭で劇的な光に包まれる受難者イエスと天使の精神性深い表現や、受難者イエスへと迫るローマ兵士らの高ぶる感情表現、それらとは対照的に深い影に包まれる三人の弟子らの静寂的な雰囲気の描写などはティエポロの最も特徴的な表現的特長であり、画家独特の軽快で瑞々しい筆触による描写的効果との相乗によって、観る者に強い感銘と感情移入を促している。

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アントニウスとクレオパトラの出会い


(Incontro di Antonio e Cleopatra) 1747-50年頃
約650×300cm | フレスコ | パラッツォ・ラビア(ヴェネツィア)

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが手がけたフレスコ画の傑作『アントニウスとクレオパトラの出会い』。建築枠組みの専門家メンゴッツィ・コロンナの協力を得てヴェネツィアの新興貴族であったラビア家の所有するパラッツォ・ラービアの装飾画として制作された本作は、古代エジプトプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世フィロパトルがユリウス・カエサルの死後、その部下であった古代共和政ローマの政治家(兼軍人)マルクス・アントニウスの命令により同氏とタルスで出会う場面を描いた作品である。画面中央から左側にはタルスに上陸する豪華な衣服に身を包みまるで女神のような装いのクレオパトラと、クレオパトラの美しさに一目で魅了させ、手を差し伸べながら付き添うアントニウスの姿が描かれており、その周囲には大勢の侍女たちや部下、民衆などが配されている。画面右側には一匹の犬を連れた黒人の少年が描かれ、画面上部にはタルスまでの航海で乗ってきた豪華な船と乗船者が描き込まれている。コロンナによる古代的で豪壮な石柱と連動するような舞台的な場面展開がおこなわれている本作で最も注目すべき点は、やはり画家独特の空気的な色彩表現にある。繊細に陰影を描写しながら、あたかも色彩の中へ光を閉じ込めたかのような透明感に溢れる軽快で華麗絢爛な色彩は、ティエポロによるフレスコ画表現のひとつの到達点を示しており、歳月の経過によってやや色褪せてはいるものの、今も観る者を魅了し続けている。なお本作の対面には当時ヴェネツィアで好まれていた主題『クレオパトラの饗宴』が描かれている。

関連:『クレオパトラの饗宴』

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聖アガタの殉教

 (The martyrdom of St. Agatha) 1750年頃
184×131cm | 油彩・画布 | ベルリン国立絵画館

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ後期を代表する宗教画作品のひとつ『聖アガタの殉教』。以前はレンディナラの聖アガタ聖堂の祭壇に安置されていた本作に描かれる主題は、デキウス帝統治下時、島の総督に求婚されるも主イエスの花嫁であるという理由で拒否し、鉄鋏で乳房を切り取られるなど数々の拷問を受けた後に殉教(昇天)したとされる3世紀シチリア島カターニャ出身の聖女で、四大殉教童貞聖女のひとりとしても知られる≪聖アガタ≫の殉教である。画面中央からやや左寄りに鉄鋏で乳房を切り落された惨々しい聖アガタが女に胸部を抑えられながら懸命に神へと祈りを捧げる姿が配されており、その周囲には聖アガタの乳房を切り落としたと思われる鮮血の付着した刀剣を持った執行人や、聖アガタの乳房が乗せられた盆を持つ人物、拷問の執行を目撃する民衆らが描かれている。本作で最も注目すべき点は何と言っても聖アガタの陰鬱的な悲劇性や演劇的感情表現にある。天へと視線を向け、自身の耐え難い苦痛を堪えながら一心に己の信仰を受難者である主イエス(そして父なる神)に示す聖アガタの姿は、観る者に深い感動と宗教的精神性を強く感じさせる。この観る者に対し強烈な印象を与えることができる表現はティエポロの大きな特徴であり、それこそ18世紀イタリア絵画最大の巨匠と呼ばれる由縁でもある。また本作の独特の軽快性を感じさせる個性的な筆触や赤色(執行人の衣服や鮮血)、黄色(乳房の乗せられた盆をもつ人物の衣服)、青色(聖アガタの背後の聖布)などに示される鮮明な色彩表現も特筆に値する出来栄えである。

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赤髭王フリードリヒ1世に花嫁ブルグンドのベアトリクスを導く太陽神アポロン

 (Apollo che conduce al Barbarossa la sposa, Beatrice di Burgundia) 1751-53年
約900×1800cm | 油彩・画布 | ヴュルツブルク司教館

18世紀イタリア絵画の大画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの最高傑作『赤髭王フリードリヒ1世に花嫁ブルグンドのベアトリクスを導く太陽神アポロン』。本作はヴュルツブルク(現ドイツのバイエルン州内の都市)の司教カール・フィリップ・フォン・グライフェンクラウの依頼により、ロココ様式を代表する建築家バルタザール・ノイマンが1735年頃に建設した≪ヴュルツブルク司教館≫の「皇帝の間」の天井装飾画としてティエポロが同地へ赴き制作したフレスコ画で、主題には初代ヴュルツブルク司教であり、身体的特徴から赤髭王(バルバロッサ)とも呼称された神聖ローマ皇帝≪フリードリヒ1世≫と、ブルグント伯ライナルト3世の娘ベアトリクス・フォン・ブルグントの(政略的)婚姻場面が選定された。画面右側には豪奢な衣服に身を包むベアトリクスが、太陽神アポロン(と太陽神の象徴でもある松明を手にした天使)に導かれつつ(太陽神所有の)白馬に引かれる戦車(馬車)に乗って赤髭王フリードリヒ1世の許へ向かう姿が、躍動感に溢れた軽快な表現で丹念に描き込まれている。画面左側ではドイツ、オーストリア、イタリアなどに跨る大国家集合体であった神聖ローマ帝国皇帝の中でも英雄視されるほど政治に長けていた≪赤髭王≫こと皇帝フリードリヒ1世が、玉座に腰を下ろしながら花嫁ベアトリクスの到着を待ち構えており、その頭上では喇叭(ラッパ)を手にした天使が皇帝フリードリヒ1世の栄光を称えている。正確な遠近法や得意の仰視法などを用いたイリュージョン(錯覚)的でダイナミズムに溢れた画面構成と空間構築、清々しく明瞭な色彩と軽やかで奔放な筆触による幻想性に溢れた主題の表現などは、ティエポロの画業の中でも最も優れた出来栄えを示しており、他のヴュルツブルク司教館装飾画群と共に最高傑作として今も人々を感動させ続けている。

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聖ヨハネス・ネポムクの前に現れる聖母子


(The Virgin appearing to Saint John Nepomuk) 1754年
346×145cm | 油彩・画布 | サン・ポーロ聖堂(ヴェネツィア)

18世紀のイタリア絵画界において最も名が知られる巨匠中の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの宗教画作品のひとつ『聖ヨハネス・ネポムクの前に現れる聖母子』。ヴェネツィアのサン・ポーロ聖堂の祭壇画として制作された本作は、14世紀ボヘミアのネポムクで生まれたキリスト教の司祭で、当時の欧州随一の規模を誇っていたプラハの聖堂参事会員の職に就いていた聖ヨハネス・ネポムクが聖母マリアと幼子イエスを幻視する奇跡的体験の姿を描いた作品である。当時の国王ウェンケスラウス4世の妻の告解(ゆるしの秘跡、懺悔の意味)の秘密を、国王の命があっても漏らさなかった為に殺害された殉教者としてもよく知られる聖ヨハネス・ネポムクは本作のほぼ中央に配され、その左手には大きな十字架が握られている。天を仰ぐ仕草の聖ヨハネス・ネポムクの視線の先には凛とした表情が印象的な神々しい聖母マリアと、聖母に抱かれつつ観る者へと視線を向ける幼子イエスが配されており、聖母子と聖ヨハネス・ネポムクの関係性が明確に示されている。さらに両者の周囲には少年の姿の天使が2名、頭部のみの天使が4名配されており、この奇跡的出来事の聖性と正統性を強調している。本作で最も注目すべき点は、純的ながら重厚感と多様性に溢れる色彩描写とドラマチックな光彩表現にある。特に白い簡素な衣を身に着ける聖ヨハネス・ネポムクの輝きを帯びた光の表現と、やや逆光気味の陰影に隠れた聖母子の濃密な表現との明暗的対比は、聖ヨハネス・ネポムク(主人公)となり神の奇跡を目の当たりにする感覚すら観る者へと与えるようでもあり、当時の信者たちの感動が容易に想像することができる。

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ヴィーナスと時の擬人像

 1754-57年頃
(Allegoria con Venere e il Tempo)
292×190cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロを代表する神話画作品のひとつ『ヴィーナスと時の擬人像(ヴィーナスと時の寓意像)』。おそらくはヴェネツィアの有力一族コンタリーニ家が所有していた邸宅の装飾画のひとつとして制作された(又はコンタリーニ家に子息が誕生したのを記念して制作されたとも考えられている)本作に描かれるのは、天空神ウラノスの切り落とされた生殖器から滴る精液が海に落ちた時に、その泡から生まれたとされる愛と美と豊穣を司る女神≪ヴィーナス≫と、天空神ウラノスと大地の女神ガイアの間に生まれた6番目(末弟)の巨人族で、時の翁(時の擬人像)としても知られているサトゥルヌスである(※サトゥルヌスは天空神ウラノスの生殖器を切り落としたクロノスと同一視されている)。天井画として制作されている為に、観る者が見上げた場合を想定して画面が展開される本作では、女神ヴィーナスにより多くの光を、時の擬人像により深い陰影を描き込むことによって、空間を強調するイリュージョン的な視覚的効果を与えている。この錯覚的な表現手法はティエポロの最も特徴的な空間構成のひとつであり、本作はそれを感じるのに最も適した作品のひとつでもある。画面中央では女神ヴィーナスが右腕に黄金の瓶を抱え、己が生んだ赤子に手を伸ばしている。年老いた時の擬人像は女神ヴィーナスが生んだ赤子を地上へ連れて行く為に抱きかかえ、女神へと視線を向けている。一部の研究者や批評家は、この老いた時の擬人像はヴェネツィアの没落を意味していると指摘している。また画面上部には三美神と二羽の(番の)鳩が描き加えられており、画家の創造力の高さをうかがい知ることができる。本作は色彩描写においても、桃色、黄橙色、白色の三色で構成される女神ヴィーナスの衣服と、時の擬人像が身に着ける緑味が加わる青地の衣服の対比、そしてさらにその下方に描かれるキューピッドの濃赤の矢筒の配色などは特に注目すべき点であるほか、画面上空に広がる(夜明けを思わせる)霊妙な青空の表現も秀逸の出来栄えを示している。

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ペストからエステを救う聖テクラ

 1758-59年
(Saint Tecla interceling for plague-Stricken)
675×390cm | 油彩・画布 | エステ大聖堂

18世紀イタリアにおける最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ晩年期の傑作『ペストからエステを救う聖テクラ』。エステ大聖堂の祭壇装飾画として制作された本作は、エステ地方で猛威を振るったペスト病の患者を介抱しながら父なる神に疫病を退けるよう祈りを捧げる(同地方で信仰されていた1世紀の処女殉教者)≪聖テクラ≫を描いた作品である。画面下部左側には両手を合わせ天上を見上げる聖テクラが配されており、その表情は神の顕示という奇跡的体験に感動しているかのようであり、父なる神を見上げるその面立ちは非常に美しい。画面右側には無念にもペストに倒れ天に召された女性が描かれているが、その傍らで(おそらくはこの女性の娘であろう)幼い少女が母親に縋りつきながら涙を流す姿は、観る者の心を掻き乱すほどの悲痛に満ちている。そして画面下部中央へはペストによる街の惨状を嘆き苦しむ民衆が感情豊かに描かれている。画面上部には複数の天使らを伴いながら天上から降臨し、ペスト(本作では画面中央へ擬人化された姿で表現されている)を退ける父なる神が威厳高く配されている。本作で最も注目すべき点は宗教的主題に対する劇的かつ格調の高い表現と、深刻な場面描写による深い精神的表現にある。特に画面右下の死した母親と娘の姿や、対角線上に配される聖テクラと父なる神との奇跡的対面は宗教画としての精神的感情性を見事に表現している。また研究者などから指摘されている本作の新古典主義的な性格も特筆すべき点である。

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マンドリンを持つ若い娘

 (Girl with Mandolin) 1758-60年
98.08×74.93cm | 油彩・画布 | デトロイト美術館

18世紀のイタリア絵画界における最大の画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが手がけた人物画の傑作『マンドリンを持つ若い娘』。1758年から1760年頃に制作された画家晩年期の作品である本作は、17世紀頃から使用されていた無花果や洋梨を縦割りにした胴形が特徴的なイタリア発祥の撥弦楽器≪マンドリン≫を調弦する若い女性の半身像を描いた作品である。肖像画として手がけられた作品であるかなど制作動機や目的は現在も議論が続けられている本作に描かれる若い娘は、観る者のやや上方に視線を向けながら左手でマンドリンの糸巻を回しながら調弦をおこなっている。その艶かしく魅惑的な視線や赤味の差す健康的な頬などはティエポロ独特の軽やかな筆触によって繊細に描写されており、非常に整った顔立ちと共に観る者を強く惹きつける。さらに時としてルネサンスヴェネツィア派の偉大なる巨匠ティツィアーノのヴィーナス像に匹敵するほどの官能性と美しさに溢れていると称えられる、半裸となった若い娘の白く輝く肌の質感や優雅な姿態の表現は、ティエポロの作品の中でも傑出した完成度を示している。また本作の色彩表現も特に注目すべき点のひとつである。若い娘の輝きに満ちた上半身の肌の色彩や頭部の鮮やかな黄色と対比するかのように、衣服に青布を加えるほか背景に緑褐色を用いているなど、気品漂う本作においても極めて高度な色彩計画が認められる。さらに画面右下へ黄土色の厚布を配置することによって画面全体での明確な色彩対比を生み出しているほか、マンドリンとの色彩的連続性を与えることに成功している。なお同年頃に制作された『オウムを手にする娘(鸚鵡を抱える若い女性)』もティエポロの人物画における代表的な作例として広く認知されている。

関連:『オウムを手にする娘(鸚鵡を抱える若い女性)』

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聖母被昇天

 (Assunta)
1759年 | 1900×1000cm | フレスコ
オラトリオ・デラ・ブリタ(ウーディネ)

ルネサンス期から続く黄金のイタリア絵画における最後の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ晩年期の傑作『聖母被昇天』。ウーディネのオラトリオ・デラ・ブリタの装飾画として制作された本作に描かれる主題は、聖母マリアの死後、一度は魂が天に召されたものの3日後に地上に復活を遂げ、その肉体と魂が再び天上へと還る場面≪聖母被昇天≫で、本主題は主イエスの昇天に倣いながら、(聖母マリアに対する)より崇拝的な思想で取り組まれるのが大きな特徴である。聖母マリアは荘厳な光に包まれながら複数の有翼の天使によって天上へと登ってゆく姿で画面中央よりやや上部へ配されており、『聖シモン・ストックに現れる聖母子』など他の作品でも用いられる仰視法(ソッティンスー。極端な短縮法を用いて人物が上から観る者を見下ろしているかのように表現する描写法)を駆使することによって場面の高揚感と浮遊感を見事に表現している。さらにティエポロの最も得意としたフレスコによる軽やかで透明感のある清潔な色彩表現やドラマチックながら宗教主題としての精神性を同時に感じさせる画面構想や展開は、画家のフレスコ画作品の中でも特に優れた出来栄えを示している。

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スペイン王家の栄光(スペイン王家の称揚)


(Apoteosi della monarchia spagnola) 1762-66年
約1500×900cm | フレスコ | マドリッド王宮

18世紀イタリアにおける最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの集大成的な作品『スペイン王家の栄光(スペイン王家の称揚)』。本作はスペイン国王カルロス3世の招きでマドリッドへ赴いたティエポロが、1762年から1766年にかけて制作したマドリッド王宮の天井装飾画のひとつである。この頃のスペイン美術界は新古典主義が台頭し、ティエポロの様式はやや軽視傾向にあったが故、制作環境としては満足できるものではなく、一連のマドリッド王宮装飾画全体としてはやや抑制的表現が目立つものの、その中で画家の華々しく豊潤な表現が際立つ本作『スペイン王家の栄光(スペイン王家の称揚)』は特筆に値するものである。楕円形の巨大天井画面のほぼ中央へは太陽神アポロンが笛を手にしながら戦車に乗る姿が配され、その左下へは玉座に鎮座する女性の姿をしたスペイン君主の擬人像が(その正統性を示す)王冠を授けられようとする光景が描き込まれている。さらにその右下へはスペイン王国そのものの擬人像が、富や権力、栄光、そして貞淑を象徴する塔と共に天上へと上昇しスペイン王国の絶対的な栄光を表している。本作の濃密で輝きを帯びた明瞭な色彩表現や軽快で高揚的な筆触、典雅で優美な場面表現、遠近法や仰視法を用いた大気感に溢れた空間構成と描写など、ティエポロが長年培ってきた表現方法を駆使し構築された本作の世界観や芸術性は、諸外国まで名を轟かせていたティエポロの画家としての集大成的作品に相応しい完成度を示しており、現在も我々観る者を驚愕させる。

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アイネイアスの称揚

 (Apoteosi di Enea) 1765-66年
約1600×2300cm | フレスコ | マドリッド王宮

18世紀イタリア最高の画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ晩年の代表作『アイネイアスの称揚(アイネイアスの栄光)』。本作はスペイン国王カルロス3世の招きでスペインのマドリッドへ赴いたティエポロが同地の王宮の天井装飾画として手がけた作品の中の1点で、神話上の英雄≪アイネイアス≫とスペイン王家の起源的正統性を画題に制作されている。マドリッド王宮「近衛兵の間」に描かれる本作の画題≪アイネイアスの称揚≫の選定理由としては、神話において美の女神ヴィーナスとトロイア王家の間に生まれた皇子アイネイアスが、故郷トロイア滅亡後、ローマを探す旅の途中で西方の伝説の国スペリア(※当時はこの伝説の国スペリアこそスペインだと考えられていた)へ立ち寄ったとされる逸話から、スペイン王家がその正統性を示す為(又はその起源を示す為)であると現在では考えられている。画面中央よりやや左下に配される英雄アイネイアスは複数の従者や天使を伴いながら、偉大なる母である美の女神ヴィーナスの許へと上昇している。アイネイアスの視線の先には母である美の女神ヴィーナスがやや見下ろした表情で配されており、その姿は美の化身に相応しい優美で神々しい姿態である。画面下部には時の翁や美の女神ヴィーナスがアイネイアスへ与えた剣を鍛えた火の神ウルカヌスとその鍛冶場など、アイネイアスに関連する神話上の人物(神々)が配されており、英雄アイネイアスの、ひいてはスペイン王家の偉大性が示されている。本作に用いられた表現的にはイリュージョン的な表現を抑えた、ティエポロ晩年期の様式の典型となる、やや平坦な表現が顕著で、硬質的かつ冷謐的な印象を観る者に与えるものの、豊かな色彩と、うねりにも似た大胆な構図展開は今なお色褪せることなく我々を感動させる。

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聖痕を受ける聖フランチェスコ

 1767-69年頃
(Saint Francis of Assisi Receiving the Stigmata)
278×153cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

18世紀イタリア絵画界における最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ最晩年の代表的作品のひとつ『聖痕を受ける聖フランチェスコ』。ティエポロが晩年に滞在したスペインの地で制作された本作に描かれる主題は、清貧・純潔・服従を信仰の旨とすることでも知られる名高きフランシスコ会の創始者であるアッシジの聖フランチェスコが、アルヴェルナ山での隠棲生活で50日間の断食をおこなった際、脱魂体験と同時に6翼の熾天使(セラフィム)を通じて、主イエスと同位置に聖痕を受けたとされる逸話≪聖痕を受ける聖フランチェスコ(聖痕拝受)≫である。画面中央やや右下に配される聖フランチェスコは、50日間もの断食をおこなったが故にその姿は窶れ、表情も鬼気迫るような印象を受けるが、その視線の先(聖フランチェスコの対角線上)には6翼の熾天使(セラフィム)が配されており、聖なる光が聖フランチェスコの掌(イエスが磔刑に処された際に掌へ打たれた釘の痕)と脇腹(イエスが死の確認の為にローマ兵士長ロンギヌスによって刺された脇腹の傷)に刻まれた聖痕を指し示している。己の身体に刻まれる奇積に感極まる聖フランチェスコの傍らには非常に端整な天使が寄り添うように配されており、天使が浮かべる慈しみに満ちた穏やかな表情は、この感動的な場面をより盛り上げている。表現様式的にはティエポロ晩年期の特徴となるやや重厚な色彩描写が良く示されているが、夜の情景に用いられた、吸い込まれるかのような深く複雑な青色は、6翼の熾天使(セラフィム)が放つ神々しい光の色彩(黄色)と見事な対比を見せており、画家の衰えを知らぬ自己を突き通した崇高な絵画表現を見出すことができる。

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無原罪の御宿り

 (Immaculate conception) 1767-1769年頃
279×152cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

18世紀イタリア絵画最大の巨匠であるジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ晩年を代表する宗教画作品のひとつ『無原罪の御宿り』。1762年、当時のスペイン王カルロス3世から王宮の装飾画制作のためにマドリッドに招かれた際、同王から重ねてアランフェスのフランシスコ会サン・パスクアル聖堂の祭壇画の依頼を受け画家が制作した本作に描かれるのは、カトリック信仰(そして聖母マリア信仰)の厚かった当時のスペインで最も人気の高い宗教的主題のひとつ≪無原罪の御宿り≫である。ティエポロはその生涯の中で本主題を数多く手がけているものの、本作は画家の晩年期における独特の様式的特徴が良く表れている作品として特に名高い。例えば30年程前にティエポロによって手がけられた同主題の代表的な作品のひとつ『無原罪の御宿り(ヴィチェンツァ市立美術館所蔵)』と比較してみてもそれは顕著であり、ヴィチェンツァ市立美術館が所蔵する『無原罪の御宿り』は、軽やかな筆触によって、聖母マリアの神聖的純潔性が強調されるかのように表現されているものの、本作では純潔性を表現しながらも、より壮麗で重厚な宗教的威厳と美しさに溢れている。この一連の祭壇画が制作された当時は、新古典主義が勢力を強めており、本作が祭壇に飾られた数年後、(新古典主義の熱狂的な信望者であった同会修道士によって)バイェウなど他の画家が手がけた作品に置き換えられてしまい、長く保管状態が続いた為に劣化が著しいのであるが、それでも本作の濃密で威風堂々とした色彩描写や、複雑に変化を見せながらも上方へと昇華してゆくかのような計算された構図展開などは、画家の(画業によって築き上げた)独自の様式美の集大成を感じさせる。

関連:ヴィチェンツァ市立美術館所蔵 『無原罪の御宿り』

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聖パスクアル・バイロンの幻視(天使による聖体拝受)


(Visione di San Paschal Baylon) 1769-1770年
185×188cm,153×112cm | 油彩・画布 | プラド美術館

18世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの遺作との推測される最晩年期の作品『聖パスクアル・バイロンの幻視(天使による聖体拝受)』。スペインのサン・パスクアル・バイロン聖堂のために制作された7点から構成される連作祭壇画の中の1点の断片である本作は、フランシスコ会信徒修道士で、聖体信仰の守護者でもあるスペイン出身の聖人≪パスクアル・バイロン≫の幻視体験の場面を描いた祭壇画である。画家の息子ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロの残した手紙に典拠を得れば1769年に、同氏が刊行した版画に典拠を得れば1770年に完成したとされる本作は、同時期の急速な新古典主義の台頭によって無残にも切り取られた後、同派を代表する画家ラファエル・メングスらの作品などと置き換えられたという非常に嘆かわしい目に遭っているものの、残された断片からも最晩年期のティエポロの見事な表現様式を見出すことができる。下部を構成する断片には本祭壇画の画題となる聖パスクアル・バイロンが両手を合わせながら上空に現れた天使へと視線を向けている姿が丹念な筆致によって描き込まれている。もうひとつの(上部を構成する)断片には聖パスクアル・バイロンの前に姿を顕示した天使が、教会を示しているのであろう金色に輝く教会の模型を手にしながら聖パスクアル・バイロンへと視線を向けている。その周囲には幼児の頭部のみで表現された小天使たちが複数配されており、本場面の感動性を盛り上げている。本作で注目すべき点は明瞭な光を感じさせえる明暗対比の描写と、軽やかでありながら豊潤さも兼ね備える色彩の表現にある。特に上部断片の天使の翼における純白の清潔性と、神の威光を思わせる黄金の模型を中心とした黄橙色の神秘的描写は、本場面の聖性を見事に表現しており、今なお観る者を惹きつける。

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【全体図】
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Work figure (作品図)


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