Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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グスタフ・クリムト Gustav Klimt
1862-1918 | オーストリア | 象徴主義・ウィーン分離派




19世紀末から20世紀かけて活躍したユーゲントシュティール(象徴主義)を代表するゼツェッション(ウィーン分離派)の画家。黄金色を多用した豪華で装飾的な画面構成と明確な輪郭線を用いた対象描写、平面的な空間表現などと、人物の顔や身体での写実的描写を混合させた独自の絵画表現で19世紀末の美術界を席巻し一世を風靡。晩年期には最も様式的特徴であった黄金色の使用を捨て、色彩に新たな活路を見出した。また世紀末独特の退廃・生死・淫靡的要素を顕著に感じさせる作風も画家の大きな特徴である。ビザンティン様式や画家が高く評価をしていた尾形光琳を始めとする日本の琳派、エジプト美術などに着想を得ながらクリムトが形成した独自の装飾的美術様式は、若きエゴン・シーレやココシュカなど後世の画家に多大な影響を与えた(※クリムト自身はフェルナン・クノップフやフェルディナント・ホドラーなど同時代の象徴主義・表現主義の芸術家から影響を受けている)。なお画家が数多く手がけた風景画には印象主義(筆触分割)や点描表現の影響も示されている。1862年7月14日に貴金属彫金師であった父エルンスト・クリムトと母アンネ・フィンスターの第2子として生を受ける。14歳で奨学金を受け、ウィーン美術工芸学校に入学、在学中に父と同名の弟エルンスト、友人フランツ・マッチュと共に美術史館中庭部分の壁画制作に携わり、1883年、3人でウィーン芸術家協会(芸術商会、芸術カンパニー)を設立し、トゥラーニ宮天井画用寓意画やウィーン美術史館の階段ホール内装など数々の装飾的壁画を制作。1897年、伝統主義者や保守的な人々へ反発心を抱いた当時の芸術家らによってゼツェッション(ウィーン分離派)を創設、同派の会長に任命される。平面的で装飾的な官能性溢れる様式を確立するも、ウィーン大学講堂のために制作した天井装飾画≪哲学/医学/法学≫や、マックス・クリンガー作のベートーヴェン像を中心に楽聖ベートーヴェンを称賛するために企画された第14回分離派展への出品作≪ベートーヴェン・フリーズ≫でのスキャンダルによって集団内が分裂、1905年、数名の仲間と共にゼツェッション(ウィーン分離派)を離脱し、翌1906年、オーストリア芸術家同盟を設立。2度開催したウィーン総合芸術展≪クンストシャウ≫で確固たる名声を確立。しかし、その後マティスに始まるフォービズム(野獣派)やアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、そしてエゴン・シーレなどの台頭によって、人気に陰りが見せ始めると、色彩に新たな道を求め、スラブ的な民族美術や中国趣味など東洋的表現を取り入れながら自身の様式を変化させた。1918年初頭に脳卒中を発症し半身不随となり、その三週間後にスペイン風邪(急性インフルエンザ)を患ったことによって死去。享年56歳。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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牧歌

 (Idylle) 1884年
50×74cm | 油彩・画布 | ウィーン市立歴史美術館

ウィーン分離派の巨匠グスタフ・クリムトの芸術商会(芸術カンパニー)時代を代表する作品のひとつ『牧歌』。本作は1882年から1885年にかけて編集者マルティン・ゲルラッハによって出版された書物≪寓意と象徴(アレゴリーとエンブレム)≫の挿絵の原画のひとつとしてクリムトに依頼され制作された作品の中の1点である。クリムトは≪寓意と象徴≫の挿絵制作において、ルネサンス期の偉大なる大画家たちを始め、過去の巨匠らの作品から着想を得て制作をおこなっているが、本作では特にルネサンス三大巨匠のひとりミケランジェロからの肉体表現的影響を顕著に感じさせる。画面中央のトンド(円形)には優美な裸体で描かれるミューズが鳥の巣を手に取り、その中の卵を2人の子供に見せている。この牧歌的で生命的息吹を感じさせる表現も特筆に値する出来栄えであるが、本作では何と言っても画面の左右に配される裸体の羊飼いの隆々とした肉体的表現に注目したい。筋肉のひとつひとつまで克明に描写される羊飼いらの肉体の人間味に溢れた逞しい表現は、あたかもルネサンスの彫刻を思わせるほど迫真性に満ちている。そして、その中で男性の裸体から微かに匂い立つエロティックな官能性や神秘性は、後にクリムトが辿り着く独自の象徴的絵画表現を予感させる。この点において本作は、画家の象徴主義への萌芽的作品のひとつに位置付けられている。

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 (Liebe) 1895年
60×44cm | 油彩・画布 | ウィーン市立歴史美術館

19世紀末に活躍した象徴主義の画家グスタフ・クリムト成熟期の代表作『愛』。世紀末的な画題や表現が席巻した1890年代後半(1895年)に制作された画家の作品の中でも代表的作例としても知られている本作は、若い一組の男女が、やや鬱蒼とした園の中で今まさに口づけを交わそうとする姿を描いた作品である。非常に甘くロマンティックな雰囲気の場面描写、悲愴的でありながら目の前の相手のみに意識を集中させる運命的な表情は、二人のただならぬ内密的な関係を予感させ、観る者にその後の(悲劇的な)成り行きを想像させるほか、この二人の関係性にはファム・ファタル(運命の女)的思想も感じられる。また叙情性や幻想的を如実に感じさせる色彩描写や初期の画家にも通じる繊細な写実的描写も特筆に値するものである。さらに画面上部に描かれる二人を見守る(※覗いているかのようでもある)印象的な複数の頭部の解釈は諸説あるものの、≪幼少期≫、≪青年期≫、≪老年期≫、そして≪死≫など、人生の経過とその儚さを表現したものであるとの説が有力視されている。画面の左右には金地の上に桃色の薔薇が左右非対称に描かれており、この余白を活かした装飾的な薔薇の表現は明らかにクリムトのジャポニズム(日本趣味)様式の取り入れを示すもので、このジャポニズムの影響は、印象主義時代にロンドンやパリで活躍したアメリカ出身の画家ホイッスラーを介したとも推測されている。なお本作には対となる作品『カルロスの衣装を身にまとった俳優ジョセフ・ルインスキー』が存在する。

関連:『カルロスの衣装を身に着けるジョセフ・ルインスキー』

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パラス・アテネ(パラス・アテナ)

 (Pallas Athene) 1898年
60×44cm | 油彩・画布・金箔 | ウィーン市立歴史美術館

19世紀末に誕生した象徴主義の画家グスタフ・クリムトが手がけた代表作『パラス・アテネ』。第二回分離派展への出品作である本作に描かれるのは、知恵と諸芸術、そして戦いを司る女神であり、ギリシャ神話において最高の女神とされる≪パラス・アテネ(ローマ神話のミネルヴァと同一視される)≫である。女神アテネ(アテナ)は、王座を奪われることを恐れた主神ユピテルが、アテネを身篭った最初の妻を呑み込んで亡き者としたものの、火神ウルカヌスによって主神ユピテルが斧で頭を叩き割られ、その傷口から武装した姿で雄叫びをあげながら生まれ出でたとされ、本作に描かれるアテネの姿は、その神話的逸話をまざまざと感じさせるほど恐々しく威厳に満ちており、女神としての聖性を感じさせると共に、狂気的で悪魔的な性格も顔を覗かせている。また女神アテネが倒した巨人族バラスが名称の由来となった≪パラス≫は、処女や武器を持つ人を意味するとされている。女神アテネの真正面を向き厳しい眼差しを向ける表情の表現にはクリムトも高く評価していたベルギー象徴派の画家フェルナン・クノップフの影響が指摘されているほか、クリムトらが伝統主義者(キュンストラーハウス)らと断絶し、結成したゼツェッション(ウィーン分離派)の象徴的作品となった本作のパラス・アテネが身に着ける黄金の甲冑の胸部に描かれる、舌を出した(見た者を石にするという逸話でも知られる)ゴルゴンは、ゼツェッションへの理解を示さない保守的な伝統主義者たちへの侮蔑・挑戦と解釈されている。画面背後にはギリシャの壷絵から借用した文様が描かれており、女神アテネが黄金の槍を持つ左腕部分に描かれる梟(フクロウ)はアテネの象徴であるほか、その上に配された格闘するヘラクレスの姿は伝統と対峙し争う分離派を意味するとされている。また女神が右手に持つ勝利の女神ニケ像の姿は、翌年に画家が手がけた傑作『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』の裸婦像を予感させる。その他にも妖艶な官能性や金色を多用した豊かな装飾性、平面的表現と写実的表現が混在した分離派好みであるクリムト独自の画面展開・構成など注目すべき点は多い。

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ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)


(Nuda Veritas) 1899年 | 252×56.2cm
油彩・画布 | ウィーン国立図書館演劇コレクション

ウィーン分離派の巨匠グスタフ・クリムトが19世紀中に手がけた作品の中で随一の傑作として知られる代表作『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』。本作に描かれるのは、真実を映す水晶(又は鏡)を手にする裸体の女性であるが、露骨に裸体を表現したことで公開当時、保守的な人々や伝統主義者らから大批判を浴びた(ただし賛美者も少なくなかった)。本作同様、画家の代表作である、前年に手がけられた『パラス・アテネ(パラス・アテナ)』では、女神アテネは分離派と対立していた伝統主義者らと戦うかの如く、黄金の甲冑を身に着け武装した姿で描かれていたものの、本作ではその鎧を脱ぎ捨て、ひとりの女性の裸体を描くことによって、クリムトの自身が探求する芸術の≪真実(真理)≫が宣言されている。本作に描かれる裸体の女性の解釈については、一般的に画家が探求する芸術の真実の擬人化とする説が採用されているが、画面下部に蒲公英(タンポポ)が描かれていることから、新たに芽吹いた芸術である分離派の聖なる春を象徴する女神ヴィーナスとする説など諸説唱えられている。画面下部には一匹の蛇が≪真実≫の裸体の足元に絡み付いているが、これは時の寓意(分離派は時が経てばやがて認められる)と解釈するか、≪真実≫を貶める邪悪な敵意と解釈するか、意見が分かれている。とはいえ、この蛇が本作に官能性を付与しているのは明らかであり、その左右に配された、やや抽象的かつ精子を思わせるような2本の蒲公英と共に、本作の幻想性をより豊かなものとしている。また画面上部にはドイツ古典派を代表する詩人であり、ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章に歌詞として用いられた詩『歓喜に寄す』の作者としても著名なフリードリヒ・クリストフ・フォン・シラーによる警句「汝の行いと芸術で多くの人の心に喜びを満たせないならば、少なき人の真の喜びのためにそれを成せ。多くの心にそれが叶うのは悪しきことだ。」が記されており、大勢に認められ、喜ばれるような大衆性を求めず、真に芸術を理解する少数の者へ向けて発信される、分離派の芸術的方向性を代弁しているとされている。なおウィーン市立歴史美術館に本作の最終的な習作(素描)『習作:ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』が所蔵されている。

関連:習作『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』

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ユディト I(ユーディット I)

 (Judith I) 1901年
82×42cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)

ウィーン分離派を代表する画家グスタフ・クリムトの傑作『ユディト I(ユーディットとホロフェルネス I)』。本作に描かれるのは、旧約外典(旧約続編、第二正典)のユディト記に記された美しい女≪ユディト≫の姿である。≪ユディト記≫とは、美しく裕福な未亡人ユディトの住むベツリアへ、アッシリア王ネブカドネツァルの命により、将軍ホロフェルネスが軍を率いて侵攻するも、暗殺を目論むユディトが将軍ホロフェルネスの気を惹くために近づき、酒宴に招かれたその夜、酔いつぶれた将軍の首を切り落とし、ベツリアの街を救ったとされる逸話であるが、本作では英雄的な姿でユディトを描くのではなく、匂い立つような妖艶性と官能性を全面に押し出し表現されているのが最も大きな特徴である。薄く唇をあけ、白い歯を見せるユディトは恍惚とも怠惰とも解釈できる不可思議な表情を浮かべ、その視線はあたかも観る者を淫靡に挑発しているかのようである。また金色で装飾されたユディトの身に着ける薄透の衣服や、そこから微かに見える右乳房などは、観る者に対して直接的に肌を露出し表現するよりも、よりエロティックな妄想や官能性を掻き立てる効果を生み出している。さらに古代アッシリアのレリーフの断片に着想が得られている背景の、黄金と黒色による豪奢で平面的な画面構成や色彩表現は、ユディトの美しい肌と見事に対比している。本作に描かれるユディトのモデルについては、裕福な銀行家兼企業家フェルディナント・バウアーの妻アデーレ・ブロッホ=バウアーと考えられており、一部の研究者たちからは一時的に画家と愛人関係にあったとする説も唱えられている(クリムトは後にアデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像画を二点手がけている)。なお画家は数年後(1909年)に、同主題の作品『ユディト II』を制作している。

関連:ヴェネツィア近代美術館所蔵 『ユディト II』

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ベートーヴェン・フリーズ≪第3場面−歓喜・接吻≫


(Beethovenfries - Freude / Der kuβ) 1902年
高さ216cm | ガゼイン・塗料・漆喰・塗金 | 分離派館

ウィーン分離派最大の画家グスタフ・クリムト随一の大作『ベートーヴェン・フリーズ』から≪第3場面−歓喜・接吻≫。1902年に開催された第14回分離派展への出品作である本作は、18-19世紀に活躍した古典派最後の、そしてロマン派最初の大音楽家であり、その偉大な功績から楽聖とも呼称されるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが手がけた最後にして最大の交響曲≪交響曲第9番≫の≪第4楽章−歓喜の歌≫を絵画化した作品である。第14回分離派展は、分離派の画家たちと交友のあった世紀末ドイツの芸術家マックス・クリンガーが制作したベートーヴェン像を中心に、楽聖ベートーヴェンを称え称賛するために企画され開催された展示会で、クリムトは同展において交響曲第9番を絵画化した大壁画『ベートーヴェン・フリーズ』として楽聖に対し敬意を表した。この『ベートーヴェン・フリーズ』は≪第1場面−幸福への憧れ・弱き人間の苦悩・武装した強者に対する弱者の哀願≫、≪第2場面−敵対する勢力≫、そして本作≪第3場面−ポエジーに慰めを見出す憧れ(詩)・歓喜(天使たちの歓喜のコーラス)・接吻≫の3場面によって構成され、第14回分離派終了後は撤去される(取り壊される)ことになっていたものの、当時、美術愛好家であったカール・ライニングハウスに買い上げられ、現在ではオーストリア美術館の分離派館に移築保存されている。公開当時、批評家や新聞・雑誌から「卑猥で醜悪」と多くの批判を受けたものの、本作にはクリムトが探求した理想美の到達点が示されている。画面左部分には≪第4楽章−歓喜の歌≫として用いられたドイツ古典派を代表する詩人フリードリヒ・クリストフ・フォン・シラーによる詩≪歓喜に寄す≫を女性たちが高らかに謳い上げる姿が描かれており、この女性らの秩序正しく配列された正面性の高い表現は、表現主義の先駆者フェルディナント・ホドラーが前年(1901年)の分離派展へ出品した『神に選ばれし者』からの影響を感じさせる。画面右部分には≪歓喜に寄す≫の一句「抱き合おう、諸人よ!喜びよ!神々の炎よ!この接吻を全世界に!」の場面として、抱擁し接吻する男女の姿が配されている。取り壊す予定であったにも係わらず高価な金泥を用い、装飾性・詩情性豊かに描写される本場面の、美への至上の喜びとも解釈できる独特の繊細かつ豪壮な表現様式は、クリムトの美的世界の到達点であり、愛と感動に満ち溢れている。なお『第3場面−ポエジーに慰めを見出す憧れ≪詩≫』はクリムトの初期作『音楽 I(1895年)』から姿態が引用されている。

関連:『第3場面−ポエジーに慰めを見出す憧れ≪詩≫』部分
関連:ノイエ・ピナコテーク所蔵 『音楽 I』
関連:フェルディナント・ホドラー作 『神に選ばれし者』

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希望 I

 (Hoffnung I) 1903年
180×67cm | 油彩・画布 | カナダ国立美術館(オタワ)

オーストリア最大の画家のひとりグスタフ・クリムトの母性を感じさせる代表作『希望 I』。本作に描かれるのは赤毛の髪を翻し、こちらを向く裸体の妊婦の姿で、制作された1903年の分離派展へと出品が予定されていたものの、このあまりにも直接的な妊婦の、しかも裸体での表現ゆえに大きな物議を醸し、検閲官からは「卑猥である」と拒絶されたことでも知られている。本作は画家のお気に入りのモデルであったヘルマが妊娠し、妊娠中はクリムトの期待には応えられないと画家のモデルの依頼に関して断りを入れるも、クリムトが無理を言って説得し、ヘルマも了承。そして妊娠姿のヘルマに典拠を得て≪希望≫という作品が誕生したという伝説的な逸話も残されてるが、真相が不明である。画面右側にほぼ全身像で描かれる裸体の妊婦は胸に手を置き、本作を観る者へと視線を向けている。その姿は異様で、極端に腹部が出たその妊婦の姿の解釈については、画家自身が「彼女も、そして彼女が見るものも全てが醜悪である。」と説明しているが、続けて「しかし彼女の内部(腹部)には、輝くように美しいものが、そう、≪希望≫が育っているのである。彼女はそれを訴えているのだ。」という言葉も残している。このように本作は妊婦が宿した小さな生命の≪希望≫が表現されているものの、妊婦の背後に骸骨や陰鬱な顔が忍び寄るかのように並んでおり、≪希望≫と同時に、それと必ず隣り合う≪死≫や≪病≫、そして≪絶望≫も示されている。また本作の表現を考察しても、右側へ配される妊婦の白い肌と、左側の巨大な鯰(ナマズ)やオタマジャクシ(又は精子の暗喩)を思わせる黒い生物、画面下部の抽象的な青色と赤色など明暗的・色彩的対比、そして画面全体の平面的な装飾構成は特筆に値する出来栄えである。なおクリムトは1907-08年に同主題の作品『希望 II』を制作している。

関連:ニューヨーク近代美術館所蔵 『希望 II』

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人生の三段階(女の生の三段階、人生の三世代)


(Die drei Lebensalter) 1905年
180×180cm | 油彩・画布 | ローマ国立近代美術館

ウィーン分離派の巨匠グスタフ・クリムトの重要な作品のひとつ『人生の三段階(女の生の三段階、人生の三世代)』。本作は中世以来、一般的な画題のひとつとして定着した、幼少期、若年期(青年期)、老年期(さらに老年期の前へ成人期を入れる場合もある)と人間の≪人生の段階≫を描いた作品である。本作では女性の人生の3段階が描かれており、若年期を表す若く美しい女が、幼少期の女の子供を抱き、その背後に老年期となる醜く老いた老婆が配されている。若年期と幼年期の2者は瞳を閉じ、穏やかな表情を浮かべながら互いを慈しむように抱き合っている。また両者の下半身は薄く透けた緑色の布に包まれ、さらに鮮やかな青色と黄色によって華やかに装飾されている。これらは若年期と幼年期の輝く若さと純潔性、そして未来への喜びを意味している。一方、左手で顔を覆い、うな垂れるかのような姿態の痩せ衰えた(老年期の)老婆の姿は、若年期と幼年期の瑞々しく光に満ちた姿とは対照的に、観る者に対して否が応にも人生の終着≪死≫を予感させる。この老婆の姿は19世紀最大の彫刻家であり、クリムトも尊敬の念を抱いていたオーギュスト・ロダンの彫刻『昔は美しかった兜鍛冶の女(老いた娼婦)』から着想が得られている。本作の背景の豪奢で平面性が際立つ表現も見事であるが、画面上部の黒色で塗られた暗部的表現は、金色使用による華麗で装飾的な表現から離れた画家の晩年期の作風を予期させる点でより重要視されている。

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フリッツァ・リードラーの肖像


(Bildnis Fritze Riedler) 1906年
153×133cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)

ゼツェッション(ウィーン分離派)の巨匠グスタフ・クリムトの代表的な肖像画作品のひとつ『フリッツァ・リードラーの肖像』。本作に描かれるのは、詳細は不明であるが、ドイツ出身でありながらウィーンで高級官僚となった男の妻≪フリッツァ・リードラー≫である。本作で最も特徴的なのは、写実的に描写されるフリッツァ・リードラーの顔と、それとは全く対照的な、平面的・抽象的描写によって表現される背景や装飾具、家具などの対比にある。裕福なブルジョワ階級らしく気品に溢れたフリッツァ・リードラーの顔は、古典的な自然主義的な写実によって描写されているものの、その頭部の極めて独創的な装飾的表現はウィーン美術史美術館に所蔵されているスペイン・バロック絵画の大画家ディエゴ・ベラスケスの『マリア・テレーサ王女の肖像』や、エジプト美術からの影響が何度も指摘されている。またフリッツァ・リードラーが座る椅子の孔雀の羽や生物の瞳を思わせる(やや奇怪な)抽象性や平面性、背後の数箇所に散りばめられた小さな四角形のモザイク文様の使用や、平坦な色面によって面化された表現などは、ウィーン分離派独自の様式の特徴を良く示している。さらにフリッツァ・リードラーの顔の写実性と背後の装飾性との対比はもとより、画面左上の金色と背景の大部分を占める朱色、この朱色とフリッツァ・リードラーが身に着ける柔らかな白地の衣服、そしてこの単色的な白地の衣服と椅子の複雑な文様性など至る箇所での対比的表現も注目すべき点のひとつである。

関連:ディエゴ・ベラスケス作『マリア・テレーサ王女の肖像』

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ダナエ

 (Danae) 1907-08年
77×83cm | 油彩・画布 | 個人所蔵(グラーツ)

分離派の大画家グスタフ・クリムトの現存する最もエロティックな作品のひとつ『ダナエ』。本作は、オウィディウスの≪転生神話≫に記される、アルゴス王アクリシオスの娘ダナエに恋をした主神ユピテルが、妻ヘラの嫉妬を逃れる為に黄金の雨に姿を変え、ダナエの下へ降り立ち、愛の契りを交わすという逸話≪ダナエ≫に典拠を得て制作された、神話を主題とする作品である。ほぼ正方形の画面の中へ蹲るような姿態で描かれる本作のダナエの股間部に、まるで精子を思わせるような円と線、そして鉤状の形をした黄金の雨に姿を変えた主神ユピテルが流れ込んでおり、その情景はあたかも主神ユピテルによる愛するダナエへの愛撫を連想させる。ダナエはユピテルの激しく至福的な愛撫を受け、頬は紅潮し恍惚の表情を浮かべている。あまりの快楽ゆえなのだろうか、右手は胸部(乳房)へと置かれ、己の敏感になった感覚を掻き毟るかのように爪を立てている。またダナエの姿態の大部分を占める大きな左大腿部で隠れてはいるが、ダナエの左手は性器へと向けられているかのようであり、古くから本作のダナエは自慰行為をおこなっているとの指摘がされている。本主題≪ダナエ≫はルネサンスヴェネツィア派の巨人ティツィアーノを始め、コレッジョレンブラントなど過去の偉大なる画家たちもしばしば描いてきた、神話の中でも最も一般的な主題であるものの、ここまであからさま(露骨)に主題≪ダナエ≫に含まれる性と快楽を表現した作品は他に例が無く、その点でも本作は画家の作品の中でも特に重要な作品として位置付けられている。

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希望 II

 (Hoffnung II) 1907-08年
110×110cm | 油彩・画布 | ニューヨーク近代美術館

オーストリア最大の画家のひとりグスタフ・クリムトの母性を感じさせる代表作『希望 II』。本作は1903年にクリムトが手がけた『希望 I』同様、妊婦の姿を描いた作品であるが、『希望 I』と比較し、より装飾的で、より平面化して表現されているのが大きな特徴である。本作に描かれる妊婦の姿は、穏やかな表情を浮かべ、自身の身体に宿った小さな、しかし確実な生命を慈しむかのように俯きながら腹部へと視線が向けられている。生命を宿す腹部は『希望 I』とは異なり、円と三角によって構成し、そして赤色、青色、黄色、緑色、黒色などで彩られた極めてクリムトらしい装飾的な衣服で隠されており、観る者にある種の安心感を与えているが、そのすぐ傍には≪死≫を暗示する骸骨が描かれている。また妊婦の足下には複数の若い女性が描かれており、この解釈については諸説唱えられているが、一般的には妊婦に対する妊娠未経験(処女)者たちの願いや祈りとされている。生命の神秘そのものを表現したかのような無限性を感じさせる、金色単色での背景の平面的で宇宙的な空間表現は、クリムトが高く評価していた、17-18世紀に京都や江戸で活躍した絵師尾形光琳を始めとした琳派の影響が指摘されている。本作では『希望 I』に示されたようなあからさまな攻撃性や病的とも受け取れる表現は影を潜めており、その内包的で保身的な表現は一部の賛同者たちからは「伝統への回帰」と批判も受けた。

関連:カナダ国立美術館所蔵 『希望 I』

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アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I


(Bildnis Adele Bloch-Bauer I) 1907-08年
138×138cm | 油彩・画布・金箔・銀箔 | 個人所蔵

ウィーン分離派最大の巨匠グスタフ・クリムトの類稀な代表作のひとつ『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』。本作に描かれるのは、裕福な銀行家フェルディナント・バウアーの妻であり、一部の研究者たちからは一時的に画家と愛人関係にあったとする説も唱えられている女性≪アデーレ・ブロッホ=バウアー(※彼女は画家が1901年に手がけた傑作『ユディト I』のモデルでもある)≫で、本作には自然主義的な写実表現と、金箔・銀箔を多用した豪奢で華麗な平面的装飾性を融合させた、クリムト独自の表現・様式美の頂点が示されている。本作中で写実的な描写が用いられた、やや頬が紅潮したアデーレの表情は寛いでいるようにも、緊張しているようにも見え、胸の前で組まれた両手と共に複雑な感情や性格を感じさせる。一方、エジプト美術から着想が得られている三角形の目によって装飾されるアデーレの身に着けたドレスを始め、その上に羽織られる流々と広がった布衣、そしてアデーレの背後の大小様々な円形で構成される文様は、画面の中で一体となり心地よいリズムを刻んでいる。この優れた装飾性こそ本作の最も注目すべき点であり、今なお観る者を魅了する。またアデーレが座る椅子の渦巻模様(唐草模様)も画家が好んだ異国趣味の表れであるほか、画面下部に配された金色と対比する緑色は、色彩のアクセントとして有効的にその効果を発揮している。なお本作はかつてナチスに没収され、戦後は国家所蔵の美術品としてオーストリア美術館に所蔵されていたものの、元の所有者であるフェルディナント・バウアーの姪マリア・アルトマンが所有権を訴えて裁判を起こし、勝訴。2006年のオークションで競売にかけられ、化粧品会社エスティー・ローダー会長ロナルド・ローダー氏が当時、史上最高値となる1億3500万ドル(約160億円)で落札し、現在は同氏が所有するニューヨークのノイエ・ギャラリーで(永久貸出として)展示されている。なおクリムトは1912年にもアデーレ・ブロッホ=バウアー氏の肖像画『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II』を制作している。

関連:1912年制作 『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II』

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接吻

 (Der kuβ) 1907-1908年
180×180cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)

ゼツェッション(ウィーン分離派)最大の画家グスタフ・クリムトが残した傑作『接吻』。おそらく画家の最も著名な作品である本作は、クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして、当時タブーとされていた題材である≪接吻≫を主題とし描いた作品で、1908年にウィーンで開催された総合芸術展≪クンストシャウ≫で、検閲を逃れ発表された本作は熱狂的なまでに大好評を博し、クンストシャウ終了直後にオーストリア政府に買い上げるという、国が認めた名作であることのみならず、ファム・ファタル(運命の女)思想とエロス的表現を、クリムト独自の世界観による金箔を使用した、いわゆる黄金時代期において頂点を成す、最も優れた作品としても広く知られている。眩いばかりの黄金の中に溶け合う男と女は、非現実的でありながらも、極めて深い思想と官能性に満ちている。それは平面的に描かれる男性の纏う衣の装飾≪四角≫と、女性の纏う衣の装飾≪円形≫が補完を意味しているものであり、同時に男女の間に潜む敵意をも表しているからに他ならない。また男女が立っている色彩豊かな花の咲く崖が、愛の絶頂期においても愛や幸せと疑心や不安が紙一重であることを示し、否が応にも見る者にその先に待つ悲劇を予感させる。

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水蛇 I

 (Wasserschlangen I)
1904-1907年 | ミクスト・メディア・羊皮紙 | 50×20cm
オーストリア美術館(ウィーン)

ウィーン分離派の最大の巨匠グスタフ・クリムト黄金様式の典型的な作品のひとつ『水蛇 I』。本作はクリムトがその画業の初期からしばしば取り組んできた≪水の中における官能的女性美≫を象徴的画題とした作品の中の1点であり、また同時に同系統の作品中、同性愛的傾向が顕著に示された最も優れた作品としても広く認められている。画面上部に配される美しい黄金の頭髪を水中でたゆたわせる裸体の女は恍惚の表情を浮かべながら、同じく金髪の女性を胸に抱き寄せている。抱き寄せられる金髪の女性は表情こそ見えないものの、明らかに薄くそして非常に細い(抱き寄せる)女性の胸を愛撫している様であり、観る者へ否が応にも官能的な印象を抱かせる。そして両者の背後にはまるで文様のような鱗が特徴的な水蛇が女性たちの官能的な愛の世界と絡み合うかのように配されており、ある種の象徴的雰囲気を感じさせることに成功している。さらに画面下部へは頭部が巨大化する古代的な魚と黄金色の水草、加えて様式化された蛸の足などが描き込まれており、水中の様子を強調させている。本作で最も注目すべき点は2人の女性らの同性愛的抱擁表現と、その退廃的でエロティクな雰囲気を絶妙に隠蔽する装飾性の高い模様的描写にある。特に女性2名の水中で揺らめく細い黄金の髪やそれと呼応するかのような水蛇の文様、そして同色の水草に示される単純化された形状による主題の象徴的表現は当時のクリムトの典型を明確に感じることができ、またその完成度も極めて高い。なお本作に描き込まれる水蛇には画家の第14回分離派展出品作として知られるベートーヴェン・フリーズからの引用が認められる。

関連:1898年 『流れる水』
関連:1899年頃 『水の精(銀の魚)』
関連:1901-1902年 『金魚』
関連:1904-1907年制作 『水蛇 II』

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ストックレー・フリーズ−生命の樹(原図)


(Stoclefries - Der Lebensbaim) 1905-09年
138.8×102cm | テンペラ・紙 | オーストリア工芸美術館

ウィーン分離派の巨匠グスタフ・クリムト後年を代表する作品『ストックレー・フリーズ−生命の樹』。本作は熱心なコレクターであった裕福な実業家(富豪)アドルフ・ストックレーがウィーン分離派を代表する建築家ヨーゼフ・ホフマンに依頼し、テルフューレン通りに建築させた邸宅(ストックレー邸)の食堂の左右と正面の壁の装飾画として制作された≪ストックレー・フリーズ≫の中から、最も印象的な≪生命の樹≫の原図(下絵)である。クリムトはこの装飾壁画で、中央に非常に抽象的な『狭き壁面(抽象的装飾)』を、左壁面には本作『生命の樹』を中心に『薔薇の茂み』と『期待』を、右壁面も左壁面同様『生命の樹』を中心に『薔薇の茂み』と『成熟(抱擁)』を配する構想を練り、この装飾原図を元にしストックレー邸の壁画装飾≪ストックレー・フリーズ≫をモザイク画として、ヨーゼフ・ホフマンが主催する建築・デザイン集団「ウィーン工房」が施工した(なおストックレー邸の内装全てが、このウィーン工房によって施工されている)。本作に描かれる大地に根を下ろした生命の樹は、太く雄弁な幹が示すよう、その(大地から吸い上げ)溢れ出す生命力を拡散させるかのように渦巻状の枝を四方へと伸ばしている。また幹部分には『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』や『接吻』でも用いられた円形と三角形による装飾が施されており、この生命の樹の表情をより豊かなものとしている。さらに枝には一匹の隼(又は鷹)が留まっており、画家が装飾のモチーフとして用いたエジプトの美術において、古代から図案化されていた天空と太陽の神ホルスとの関連性も指摘されている(本作に描かれる三角形の目もホルスの目を思わせる)。このように本作は、クリムトが様々な形で表現してきた装飾様式の頂点を示すものであり、拡散する枝から感じられる生命の連鎖的永続性と共に、観る者に強く迫ってくる。

関連:『ストックレー・フリーズ−狭き壁面(抽象的装飾)の原図』
関連:『ストックレー・フリーズ−薔薇の茂みの原図』
関連:『ストックレー・フリーズ−期待の原図』
関連:『ストックレー・フリーズ−成熟(抱擁)の原図』

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乙女(処女)

 (Die Fungfrau) 1913年
190×200cm | 油彩・画布 | プラハ国立美術館

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した不世出の大画家グスタフ・クリムトの代表作『乙女(処女)』。7人もの女性が複雑に絡み重なり合った、異様な光景が描かれる本作は、多種多様な美術様式が登場し、己の芸術が理解されず人気に陰りが見え、黄金を多用した豪華な表現を捨て、新たな表現を模索・探求したクリムト晩年期の様式を代表する作品である。本作に描かれる楕円形の塊のような女性達の、現実と非現実の狭間に居るような夢想的・幻惑的な表情や、安堵感に満ちた穏健な眠りの表情、性的な快楽を感じさせる恍惚に満ちた表情などは、観る者に彼女らが同性愛的な傾向にあるような印象を与える(クリムトはレズビアンを題材に『女友達』という作品を最晩年(1916-17年)に制作しているものの、この作品は1945年に焼失した)。さらに空間的構成が全くおこなわれない平面的で宇宙的な背景の暗く沈んだ色彩と、乙女たちの身に着ける(又は縺れ巻き付く)様々な文様で図案化・装飾された衣服(布)の無秩序的な多様性を示す奔放な色彩との色彩的対比は、晩年期の画家の特徴を良く表している。また漠然とした無限的な広がりを感じさせる空間の中を漂っているかのような乙女らの浮遊感は、まるで宇宙空間を永遠に彷徨う星雲群を思わせ、この乙女たちの未来の行く末に対する不安感を観る者に抱かせる。

関連:1916-17年 『女友達』

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死と生

 (Tod und Leben) 1911-16年
178×198cm | 油彩・画布 | レオポルト・コレクション

オーストリアで活動した大画家グスタフ・クリムト晩年の代表する作品のひとつ『死と生』。1911年に制作が開始され、同年ローマ国際美術展で第一等を獲得するものの、その後大幅に加筆修正され、最終的な完成までに5年もの歳月がかけられた本作は人間の≪生≫と≪死≫の対峙・循環を画題とした作品である。クリムトは≪生≫と≪死≫に対する意識やその対比をこれまでの作品の中でも度々描き入れてきたが(例:希望 I)、大人、子供、男、女、若人、老人など人生の様々な段階で描かれる10人もの人々が、忍び寄る≪死≫に対抗するように、互いに寄り添い、ひとつの塊となることで≪生≫を護り、生き抜く糧(そして希望)としているかのようである。しかしその中で数人は目を瞑り、眠っているような姿で描かれているなど、≪生≫そのものの中にも≪死≫の存在を暗示させている。本作には≪生≫や≪命≫へのリビドーとしてのエロス、そして、それと対極の位置にある≪死≫や≪消滅≫としてのタナトスが象徴的かつ寓意的に表現されており、特に多様な十字架の文様が装飾された衣を身に纏った、棍棒を持ち不適に笑みを浮かべるタナトスの姿は、観る者に強い精神的圧迫を強いる。またマティスに始まるフォービズム(野獣派)の画家たちやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、そして若きエゴン・シーレなどの台頭によって、ウィーン総合芸術展での成功により得た名声に陰りが見え始めた画家が、自身が確立した金色を使用した豪華で装飾性豊かな表現様式を捨て、多色的な色彩表現に新たな道を見出した為に、元々は金色で描写されていた本作の背景は、後に人生の淵を思わせる藍緑色で塗り潰されている。さらにこの背景色の変更と同時に、≪死≫タナトスの姿や画面右側の群衆も4人追加された。

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アダムとエヴァ(アダムとイブ)

 (Adam und Eva) 1918年
166×190cm | 油彩・画布 | オーストリア美術館(ウィーン)

ウィーン分離派の最大の巨人グスタフ・クリムト最晩年の代表作のひとつ『アダムとエヴァ(アダムとイブ)』。1917年に最初の筆が入れられた本作に描かれるのは、旧約聖書中に記される、天地創造の六日目に、神が自らの姿に似せ、地上の塵から創造したとされる最初の人間(男性)≪アダム≫と、≪アダム≫の肋骨から創造された最初の女性≪エヴァ≫の姿である。首を傾げ、まるで観る者へ媚びるかのような視線を向け、薄く口角を上げた艶かしく勝ち誇った表情を浮かべた最初の女性エヴァが、柔和ながら明確な光を浴び、脱力しながらゆったりと立っている。その姿態は全体で緩いS字を描いており、豊満な身体の表現と共に、女性的な身体の曲線美を強調している。一方、エヴァに寄り添うアダムの姿は、エヴァの姿で頭部と両肩・腕部分しか見えないものの、その表情は疲弊感と諦念感が漂っており、暗く沈んだ肌の色彩は、重々しい背景と同化しているかのようである。エヴァの足下には(男を誘惑する)己の美しさを飾り立てる花々が、アダムの足下には、聖書では悔悛しない悪や不信の象徴とされる斑点状の豹の毛皮が描かれている(※ただしエジプト美術やギリシャ神話では光の生命・聖獣とされており、クリムトの傾倒も考慮し解釈は分かれている)。エヴァの両手部分やアダムの右手部分などが示すよう、最晩年の代表作『花嫁』と同じく、未完の作品である本作の退廃的な雰囲気や妖艶な表現、太く明確な輪郭線によって描写されるエヴァの人体表現、あたかも死した肉体を思わせる蒼白色と黄色味を帯びた斑点が混在する肌の質感は、クリムト晩年の様式的特長を良く示している。

関連:1917-18年 『花嫁』

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