Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ピエール・ボナール Pierre Bonnard
1867-1947 | フランス | 後期印象派・ナビ派・親密派




19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したフランスを代表する画家。幻想性と非現実性を調和させた柔らかな色彩を効果的に用いた独自の表現様式を確立し、明瞭な光と華やかさ満ちた絵画を制作。人物画、特に裸婦作品が著名であるが、風景画や肖像画、風俗的画題の作品でも優れた作品を残すほか、石版多色刷りポスターや版画、装飾デザインなども手がける。ナビ派として画家活動を開始するも、独自的で日常性の高い画題を数多く手がけていることから≪親密派(アンティミスム:装飾性と平面性を融合させた表現様式で、物語性の希薄な日常の室内生活空間を画題とする作品を手がけた画派)≫の代表的な画家としても知られている。またボナールの作風はポール・セザンヌ印象派、野獣派(フォービスム)など様々な絵画様式から影響を受けながら形成されたが、ナビ派の画家の中でも特に日本趣味(ジャポニスム)の影響が色濃く反映されており、画家仲間からは「ナビ・ジャポナール(日本かぶれのナビ、日本的なナビ)」と呼ばれていた。1867年、パリ郊外のフォントネー=オ=ローズで陸軍省の役人(中産階級)の一家の次男として生を受ける。1886年、大学入学資格試験に合格しパリで法律を学び始めるものの、アカデミー・ジュリアンにも通い始め、同アカデミーやその後入学したエコール・デ・ボザール(官立美術学校)でポール・セリュジエモーリス・ドニエドゥアール・ヴュイヤールフェリックス・ヴァロットンらと知り合う。1889年、商用ポスターのための図案が採用されたのをきっかけに画業を生業とすることを決意するほか、同年、セリュジエを中心にナビ派を結成。以後、ナビ派やアンデパンダン展などへ絵画作品を出品し画家としての活動をおこなうほか、アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックの影響を受けながら商用ポスターや挿絵などの仕事も精力的にこなす。1893年、マリア・ブールサン(通称マルト)と出会い親密な関係となる。以後、マルトは画家の最も重要なモデルともなった。1896年、画商デュラン=リュエルの画廊で初の個展を開催。1903年からはウィーン、ミュンヘンなど各地の分離派展やサロン・ドートンヌなどにも活動の場を広げる。1909年、南仏を初訪問、同地に強く惹かれ、調色板(パレット)の中の色彩の鮮やかさが、より一層増してゆく。またこの頃から美術雑誌などで大々的に取り上げられるようになるなど画家としての確固たる地位が確立。1925年、南仏のル・カンネで別荘を購入し、マルトと結婚。その後、南仏を拠点としニューヨーク、シカゴ、ロンドン、アムステルダムなど国内外で絵画作品を展示、好評を博す。その後も意欲的に制作活動をおこなっていたが、1940年に親友でもあったヴュイヤールが、2年後の1942年には妻マルトが死去し深い悲しみに包まれ、それを紛らわすかのように絵画制作に没頭してゆく。最晩年まで絵画制作をおこなうものの、1947年、ル・カンネで死去。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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戯れる二匹の犬(2匹のプードル犬)


(Deux chiens jouant) 1891年頃
36.3×39.7cm | 油彩・画布 | サウサンプトン市立美術館

ナビ派の中で最も日本趣味(ジャポニズム)に傾倒した画家ピエール・ボナール初期の代表作『戯れる二匹の犬(2匹のプードル犬)』。本作はボナールが飼っていた愛犬ラヴァジョーを描いたデッサンに基づいて制作されたと推測される作品で、元来、このデザインは飾り棚の扉に填め込まれるパネルとして考案されたものであった。画家は生涯で犬や猫などを画題とした作品を数多く残しているが、本作には画家の総合主義的要素と日本趣味(ジャポニズム)的要素が最も明確に表れている。画面には右上、左下へと二匹のプードル犬が配されており、二匹はじゃれ合う様に互いの方へ顔を向けている。黒い輪郭線で囲まれたプードル犬は、立体感を除外し平面的にアプローチすることによって影絵(シルエット)のような形状と化している。またプードル犬の柔らかい巻き毛の描写は斑模様のような独特の色彩によって表現されており、無意義的で意味の無い表現に陥る危険を避けている。それは背景として描かれる草叢も同様であり、あくまでも色面として取り組みながらも、その質感は独特な描写によって明確に表現されている。本作の陰影描写や写実的表現を否定し、色面化した対象を象徴的に捉え表現する手法は総合主義の大きな特徴であるが、それらと日本趣味的な奇抜な構図や画面展開とを複合した点にはボナールの独自性が感じられる。

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砂遊びをする子供

 (L'Enfant au pâté) 1894年頃
165×50cm | 泥絵具・画布 | オルセー美術館(パリ)

画家仲間たちからはナビ・ジャポナール(日本かぶれのナビ、日本的なナビ)と呼ばれるほど日本趣味に高い興味を示していたナビ派の重要な画家ピエール・ボナールの、その日本趣味への傾倒が如実に示された代表的作例のひとつ『砂遊びをする子供』。日本の掛軸を容易に連想させるほど、横幅の3倍以上縦に長い画面で制作された本作は、道端で砂遊びをする子供の情景を描いた作品で、本作は本来、≪田舎のアンサンブル(現在はニューヨーク近代美術館が所蔵)≫と呼ばれた3幅対の作品群と共に4枚組みの衝立パネルとして構成されていた作品のひとつであったものの、後にボナール自身の手によって切り離され現在のように独立した作品として扱われるようになった。画面下部には、まるで和服を思わせるような特徴的な衣服を着た幼いおかっぱ頭の子供が、小さなシャベルで砂を掬いバケツに入れる後ろ姿でひとり離されるかのように独立して配され、画面上部には何処かの建物の入り口へと続く階段と、綺麗に丸く刈り込まれた背の低い木の植え込みが配されている。大胆にとられた余白部分や陰影感の乏しい平面的かつ装飾的な表現、精神性を醸し出す独特で特徴的な空間構成は明らかに日本美術の影響であり、画家の日本美術に対する熱烈な傾倒とその研究を如実に感じさせる。特に画面下部の砂遊びに熱中する子供の後姿の抒情性や装飾的描写は観る者の心情に強く訴えかけてくる。またデトランプ(テンペラの一種、泥絵具)と呼ばれる独特の素材を用いて描写される抑えられた抑制的な色彩の繊細な表現も本作の大きな特徴であり、特に注目すべき点のひとつである。

関連:ニューヨーク近代美術館所蔵 『田舎のアンサンブル』

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男と女

 (L'homme et la femme) 1900年
115×72cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

ナビ派の画家ピエール・ボナールが1900年に手がけた画家初期の代表的作品『男と女』。性行為(性交渉)をおこなう、又はおこなった後の情景を如実に、そしてあからさまに観る者へ感じさせる本作は、画家の作品の中でも男性の全身裸体が描かれた極めて珍しい作品としても知られている。本作に登場する男女に関して、夢想(憂鬱)に耽るようにベッドに座る女性は明らかに、当時画家と恋人(愛人)関係にあったマリア・ブールサン(通称マルト)の面影が残されており、また服を着ている(又は脱いでいる)のであろう裸体で立つ男性はボナール自身の姿であると考えられている。このような直接的な性の暗示は画家の作品としては珍しい部類に属するが、何よりも本作で最も注目すべき点は(本作を)より深遠で精神的緊張感を張らせている画面中央に描かれた衝立である。唐突に、かつ忽然と画面中央へ配されるこの衝立は本作で空間的・光彩的な分離の役割を果すだけではなく、男女間の精神的な分離の役割、ひいては登場人物(男と女)の孤立を明確に示す効果も担っている。画面左側に描かれる明瞭な光に包まれた気だるそうな裸体の女性はベッドの上でやや俯き、男に対する無関心を示している。さらに女性の下部には2匹の猫が描き込まれており、女性の孤独感を強調させている。画面右側に描かれる裸体の男性は衝立によって光が遮られ暗く沈んだ影が全身を覆っている。この男女の光と影の描写的対比も衝立によって生み出されているものであり、そのような点でも本作における衝立の重要性は特筆に値するものである。また本作のような≪男≫そして≪女≫の精神的、又は天命的な本質への深い洞察とその描写には、しばしば同時代の画家エドヴァルド・ムンクの世界観との関連性が指摘されている。

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午睡

 (La Sieste) 1899-1900年
109×132cm | 油彩・画布 | ヴィクトリア国立美術館

親密派(アンティミスム)随一の画家ピエール・ボナール初期の代表作『午睡』。画家がナビ派として最も活躍していた19世紀末から20世紀初頭にかけて制作された本作は、散乱したベッドの上に横たわる裸婦を描いた作品である。画面の中央へほぼ水平に配される、あからさまに性的行為後を連想させる乱れたベッドの上の裸婦は、全身を脱力させながらうつ伏せに横たわりながら眠りについており、そのあられもない姿には否が応にも親密な男性の存在を感じさせる。この裸婦の極めてエロティックな姿態は、ルーヴル美術館に所蔵される彫像≪まどろむヘルマフロディトス≫に典拠を得たものであるが、そこには自然主義的な思想や表現が顕著に表れている。また腰から臀部にかけて当てられる鮮烈でありながら柔和性をも感じさせる光彩の描写と、上半身部分の深い陰影表現には閉ざされた空間(室内)ならではの密接的な印象を観る者に与える。さらに画面下部には一匹の犬が配されており、ここに18世紀半ばの都市流行に対する郷愁性を見出すことができる。本作の観察的表現手法に注目しても、波打つかのような裸婦の緩やかな曲線や寝具の厚ぼったい皺の描写に画家の客観性と鋭い観察眼が示されるほか、頭部近くの机の上に置かれる雑貨に親密派たる日常性も感じることができる。なおボナールは同時期に(現在はオルセー美術館に所蔵される)『けだるさ(ベッドでまどろむ女、しどけない女)』という裸婦作品も制作しており、こちらの挑発的な裸婦展開と本作の自然体的な性的展開の対比も特に注目されている。

関連:オルセー美術館所蔵 『けだるさ』

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兎のいる屏風

 (Paravent aux lapins) 1902年
六曲一双(161×45cm) | 油彩・紙 | 個人所蔵

ナビ・ジャポナール(日本かぶれのナビ、日本的なナビ)と呼ばれたナビ派の画家ピエール・ボナールの日本趣味への傾倒が顕著に示された代表作『兎のいる屏風』。1902年に制作された本作は複数の兎や交わう男女、東洋的(日本的)な情景などが配された、六曲一双で構成される屏風形式の作品で、ボナールは当時、版画や屏風、扇、家具など日常での生活用具における美の導入を志しており、本作はその思想が具現化した一例でもある。六面何れも画面中央より下部の灰色(銀色)の平面的な背景の中へ兎が配されており、作品に軽やかな躍動感と独特の品の良さを与えている。一方、画面上部の黒色で表現される雲形の空の中を漂うように愛を確かめ合う裸体の男女や、雅な風景が交互に描かれている。単純化された平面的な空間構成や雅やかな装飾性、流水的な要素表現などに日本趣味、特に尾形光琳など琳派の絵師らの影響を如実に感じさせる(事実、ボナールは尾形光琳の極めて独創的で洗練された装飾性を高く評価していた)本作の、リズミカルな構成要素の配置や、通常とは明暗が逆転している(又は夜景を思わせるかのような)背景の配色、交わう男女など西洋的な画題と東洋的な画題の融合性などは、日本趣味へ高い関心と興味を示し積極的に自身の作風へ取り入れたボナールならではの個性的展開であり観る者を魅了するほか、画家の様式形成においても特に注目すべき点として特筆に値する。なおボナールは本作以外にも屏風的な作品として『乳母たちの散歩、辻馬車の列』などを制作している。

関連:ピエール・ボナール作 『乳母たちの散歩、辻馬車の列』

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水の戯れ、旅

 (Jeux d'eau ou Le Voyage) 1906-10年
250×300cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

親密派(アンティミスム)を代表する画家ピエール・ボナール1930年代の傑作『水の戯れ、旅』。本作は雑誌「ルヴュ・ブランシュ」の主催者タデ・ナタンソンの元妻で、「ル・マタン」氏の発刊者であるアルフレッド・エドワルスと再婚したミシア・エドワルスの依頼により、同夫妻の住むパリ中心部ヴォルテール河岸21番地のアパルトマンの食堂を飾る4枚の連作装飾パネルの中の1点で、≪水と旅≫を理想郷的に表現した作品である。本連作の依頼主であるミシアはボナールのほかエドゥアール・ヴュイヤールモーリス・ドニなどナビ派の画家の良き理解者のひとりであり庇護者でもあった人物で、画家が本作に4年もの歳月を費やしていることからもボナールの同時期を代表する作品として重要視されている(完成した1910年には「ある全体を成す装飾パネル」との名称でサロン・ドートンヌに出品されている)。画面下部中央には水浴の女性として海獣と戯れる上半身が人間(女性)の下半身が鳥の姿をした海の妖鳥シレーヌ(英語ではセイレーン)が官能的な姿で描かれている。その右側にはシノワズリ(中国趣味)を思わせる果実の生る樹の下の中国官吏(マンダリン)が、左側には帆船に乗る人々が配されており、そして画面奥には陽光で燦々と輝く異国的な街並みが広がっている。本作で最も注目すべき点は快楽(享楽)的で楽園化された海景図の色鮮やかな色彩と装飾性豊かな枠の表現にある。海景の深遠で清々とした青色と補色関係にある橙色を枠の色彩に用いることによって、画面の中に明確な色彩的対比と彩度的調和を同時に生み出すことに成功している。また猿やカササギを平面的に描写した装飾的な枠の表現は幻想的であるほか、中世のタピスリー的な雰囲気も感じさせる。なお本作の順序は諸説考えられているものの、一般的にはマーグ画廊が所蔵する『歓喜』、本作『水の戯れ、旅』、池田20世紀美術館が所蔵する『大洪水(洪水の後)』、ポール・ゲッティ美術館所蔵の『浴女たちのいる風景』とされている。

関連:マーグ画廊所蔵 『歓喜』
関連:池田20世紀美術館 『大洪水(洪水の後)』

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逆光の裸婦(薔薇の長椅子のある化粧室、オー・デ・コロン)

 (Nu à contre-jour (Le cabinet de toilette au canapé rose))
1908年 | 124×108cm | 油彩・画布 | ベルギー王立美術館

親密派(アンティミスム)随一の画家ピエール・ボナール1900年代の代表作『逆光の裸婦』。ベルギーのブリュッセルにある王立美術館に所蔵される本作は、後に最愛の妻となるマリア・ブールサン(通称マルト)をモデルに室内の≪裸婦≫を描いた画家の典型となる裸婦作品のひとつである。『薔薇の長椅子(ソファー)のある化粧室』、『オー・デ・コロン』など過去、複数の名称で呼称された本作では、画面中央やや右側に香水(オーデコロン)を己の体に付ける若いマルトが一糸纏わぬ姿で描かれており、その無防備で私的な情景は、あたかもマルトの日常を垣間見ている感覚すら(本作を)観る者に抱かせる。画面左側にはマルトが自身の裸体を映している鏡と化粧台、そしてその下方には浴槽代わりの金盥(たらい)が配されており、画面右側には薔薇柄を思わせる長椅子と黄色・緑色・橙色の柄で彩られた横壁が描かれている。さらに画面奥の大きな窓にはレースのカーテンが掛けられており、射し込む陽光を柔らかく遮光している。描写手法自体は大ぶりで流動的な画家独自の筆触によって重量感や力強さすら感じさせるものの、このカーテンによって程よく遮られた光の洪水の効果で画面全体には色彩と明度に溢れている。特に窓に掛けられたカーテンのうねる様な独特の質感や、逆光的に描かれるマルトの背中で反射する光と陰影部分のコントラストなどは特に注目すべき点であるほか、青味がかった色彩が基調となる窓と化粧台部分、赤味の差したマルトの裸体と床と長椅子、そして黄色味を強く感じさせる横壁との色彩的対比も本作の大きな見所のひとつである。

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田舎の食堂

 (Salle à manger à la campagne) 1913年
168×204cm | 油彩・画布 | ミネアポリス美術研究所

親密派(アンティミスム)の大画家ピエール・ボナールの重要な転機となった代表作『田舎の食堂』。本作は画家が1912年に購入したセーヌ渓谷近郊のヴェルノネの自宅の一室から見た眺望を描いた作品である。この頃の画家は、当時、新たな芸術として俄然注目されていたパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックが創始したキュビスムや、アンリ・マティスに代表されるフォーヴィスム(野獣派)などの台頭によって自身の表現に流行的な遅れを感じ焦燥していたが、本作では己の求める絵画表現の核心(本質)に迫り、その為に必要な表現手法の模索(探求)が示されている。それまでのボナールの作品は色彩を最も重要視し、そこに発生する偶発的な色彩効果を絵画表現の核としていたものの、本作では絵画の基礎とも言える形態描写≪デッザン≫への取り組みと、それによる堅固な構図の構成を感じることができる。画面中央の開けられた扉を中心に、画面右部分には明瞭な陽光によって光り輝く屋外の風景が、画面右側には近景として室内の様子が描かれており、明確かつ等分に隔てられたふたつの空間を開放された扉が過不足無く繋いでいる。入念なデッザンによって的確かつ計算的に描かれた構成要素とその配置は、このふたつの空間、近景として描かれる部屋の壁のやや重く強い赤味を帯びた色彩と、中〜遠景として描かれる庭先の黄色味を帯びた緑色の明るさを存分に感じさせる色彩との対比をより効果的なものとしている。さらにそれは赤い壁(暖色)と画面手前の薄青色の円卓(寒色)との色彩的対比にも同様のことが言える。色彩の多様性という点ではそれまでのボナールの絵画様式を踏襲したものであるものの、この計算された要素の配置や配色は画家が本作で新たに見出した最も重要な特徴であり、これはその後のボナールの作品制作の重要な転機となった。

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田園交響曲(田舎)

 (La Symphonie pastorale) 1916-20年
130×160cm | 油彩・画布 | ベルネーム=ジュヌ・コレクション

親密派の画家ピエール・ボナール作『田園交響曲(田舎)』。本作は第一次大戦中となる1916年から1920年にかけて制作された、画商ベルネーム・ジュヌ家がパリに所有するアパルトマンの装飾パネル4連作品の中の1点である。この装飾パネルは本作『田園交響曲(田舎)』と『地中海』『地上の楽園』『グランド・ジャット島の労働者たち』から構成される作品群で、各パネルが古代と現代、都会と田舎、北と南など主題的な対比が示されているのが大きな特徴である。本作『田園交響曲』は田舎の牧歌的な真夏の情景を色彩豊かに描いた作品で、この頃の画家の様式的特徴が良く現れている。画面右側前景には牡鹿を愛撫する女性が2人描かれており、自然と観る者に古代的な神話主題『ディアナとアクタイオン(女神ディアナの水浴姿を目撃してしまったアクタイオンが怒り狂ったディアナに牡鹿へと姿を変えられてしまうという逸話)』を連想させる(なおこの牡鹿についてはフランス王家の紋章との関連性も指摘されている)。また左側前景には雌牛の乳を搾る農婦が配されおり本作に牧歌的な様子と雰囲気を付与しているほか、画面中央では幼児が猫と戯れる姿や家畜(馬)を牽く農夫の姿が情感豊かに描かれている。さらに質量感に溢れた木々が画面の端を(あたかも額縁のように)囲む中、画面の中央には幻想的な風景(遠景)が広がっており、観る者に心地よい開放感を感じさせる。本作の強烈で鮮明な色彩による理想郷的な風景表現と場面構成は、アダムとエヴァを連想させる『地上の楽園』と共にボナールの古典的要素を含んだ作品展開におけるひとつの頂点を示しており、画家の代表作として今なお観る者を魅了し続けている。

関連:シカゴ美術研究所所蔵 『地上の楽園』

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浴槽に入る薔薇色の裸婦(浴槽のピンク色の裸婦)


(Nu rose à la baignoire) 1924年
106×96cm | 油彩・画布 | 個人所蔵

親密派(アンティミスム)の画家ピエール・ボナールが手がけた裸婦画の代表的な作例のひとつ『浴槽に入る薔薇色の裸婦(浴槽のピンク色の裸婦)』。本作は画家が長きにわたって親密な交際を続けてきたマリア・ブールサン(通称マルト)と結婚する前年(1924年)に制作された、浴槽に入る女性を画題とした裸婦作品で、ボナールの他の裸婦作品同様、マルトをモデルとしている。画面中央に配される、外側が濃緑の浴槽へ左足の甲を洗いながら入るマルトの姿は女性らしい丸みを帯びた柔らかな姿態で描かれており、薔薇色の肌が明瞭な光によって輝いている。本作の日常性や客観的写実性には印象派の巨人エドガー・ドガの影響が予てから指摘されているが、柔和で暖かみを感じさせる色彩や雰囲気の表現にはボナールの個性が滲み出ている。また(潔癖症との記述も残されている)浴槽に入るマルトの細身で官能的な瞬間の描写にはボナールの瞳に映った最愛の女性マルトの理想化された姿が顕著に感じられ、それは本作を観る者にもよく伝わってくる。さらに本作の名称ともなっているマルトの複雑に輝く薔薇色の肌の濃密で幻想性豊かな色彩は、背後の色とりどりに配されるタイルと見事な調和を示しているほか、画面下部に描かれる浴槽外側の濃緑と明確な対比を示している。なおボナールは『右足を上げた裸婦』や『大きな青の裸婦』など、本作のような片足を上げる裸婦の姿を描いた作品を複数手がけていることが知られている。

関連:『右足を上げた裸婦』
関連:『大きな青の裸婦』

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棕櫚の木(ヤシの木)

 (La Palme) 1926年
114.3×147cm | 油彩・画布 | フィリップス・コレクション

親密派(アンティミスム)を代表する画家ピエール・ボナール1920年代の代表作『棕櫚の木(ヤシの木)』。本作は画家がこの作品を手がける前年(1925年)に別荘を購入した南仏ル・カンネ近郊の風景を基に構成された作品である。前景となる画面下部棕櫚(ヤシ科の常緑高木)の生垣と共にひとりの少女らしき女性が林檎を手にした姿で配されている。また同じく前景として画面上部には棕櫚の青々とした葉がアーチ状に描き込まれている。そして遠景として画面中央には赤屋根が特徴的な南仏の街並みとそのさらに奥へ地中海が悠々と配されており、強い陽光によって輝きながら広がる風景は観る者に心地よい開放感を与えている。本作で最も注目すべき点はこの頃のボナールの取り組みのひとつに数えられる逆説的描写効果にある。遠景の街並みや輝く地中海とは対照的に近景となる画面下部の女性は、幻想的なまでの淡い陰影に包まれている。この本来の光の取り組みを逆転させた視覚的効果は本作にある種の神秘性を与えながら、絶妙な色彩感覚によって観る者に不思議な調和を感じさせており、ここにボナールの絵画的仕掛けを見出すことができる。

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朝食の部屋(庭に面した食堂)


(La Salle à manger sur le jardin) 1930-31年頃
159.6×113.8cm | 油彩・画布 | ニューヨーク近代美術館

親密派(アンティミスム)を代表する画家ピエール・ボナールの傑作『朝食の部屋(庭に面した食堂)』。本作は1930年代初頭にボナールが数多く手がけた正面からの視点による室内生活空間を物語性が希薄に描いた親密派的室内画のひとつである。画面下部の最前景には薄青い太縞模様のテーブルクロスとそこに配される朝食が描かれており、画面中央から上部にかけては、ほぼ画面の半分を使用し大きな窓と木の窓枠が大胆に描かれている。そしてその左側はカップを手にしたひとりの人物の半身が突如現れたかのように配されている。本作で最も注目すべき点は、溢れんばかりの豊かで非現実的な色彩の表現と独自的画面構成にある。本作では画家が19世紀末にナビ派として活躍していた頃の総合主義的な象徴的表現は影を潜め、むしろその時代には否定し続けていた印象派的な光と色彩に溢れている。特に上部に向かうにつれ大胆に変化してゆく窓枠や、その左側に配される紫色の壁紙、窓(テラス)の奥に見える風景などの多様的で幻想的な色彩表現は観る者の目を強く惹きつける。しかしながら本作に示される明確な左右の対称性や垂直を強調する窓枠の描写、堅牢的な画面構成などは印象派の展開と明らかに一線を画すものであり、ここにボナールの絵画表現における独自性や、内面的世界観を見出すことができる。また表現手法に目を向けてみても、乱暴にすら感じさせる荒々しく短径的な筆致や震えるような筆触も画家の表現様式の大きな特徴であり、本作で特に注目すべき点のひとつである。

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化粧(鏡の前の裸婦)

 (La toilette (Nu au miroir)) 1931年
153.5×104cm | 油彩・画布 | ヴェネツィア近代美術館

親密派の偉大なる画家ピエール・ボナール1930年代を代表する裸婦作品のひとつ『化粧(鏡の前の裸婦)』。ボナールが晩年期となる64歳の時に制作された本作は、画家最愛の妻マルトをモデルに室内に置かれた大きな鏡の前で立つ裸婦を描いた作品である。1914年にもボナールは同主題の作品『化粧』を制作しているが、本作と比較すると明らかに様式的な変化を見出すことができ、画家の晩年の大きな特徴である、所謂≪時代遅れ≫と呼ばれる様式の典型的な作品としてもよく知られている。画面中央へ、現実には老いていたものの、作品中では瑞々しく官能的な若い女性の姿で裸体を露にしながら鏡の前にヒールを履きながら立つ妻マルトの後ろ姿(全身像)が配され、その左側には(観る者の角度からはマルトの姿が見えない)大きな鏡が置かれており、室内の様子を映している。さらに画面右側には白い足長のテーブルとそこに置かれる小さな鏡や果物らしきもの、緑色の背凭れが付いた木製の椅子、カーテンの掛かる窓などが描かれている。室内へと射し込む柔らかい陽光を背に浴びるマルトの背中はまるで彼女の美しさを称えるかのように白く輝いており、裸婦としての日常的な官能性を強調している。また色彩表現においても描かれる各対象があたかも渾然一体と溶け合うかのように多様な色彩が混ざり、非現実的で夢想的な雰囲気を醸し出しているものの、そこには統一的な調和を感じることができる。このような一種の抽象的表現は同時代では既に時代遅れとなっていたが、本作にはボナールが幾多の絵画制作を経て、晩年だからこそ辿り着いた美と芸術の粋が示されており、だからこそ今も観る者に感動を与え続けているのである。<

関連:1914年制作 『化粧』

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白い部屋(ル・カンネ)

 (Intérieur blanc) 1932年
109×156.5cm | 油彩・画布 | グルノーブル美術館

親密派(アンティミスム)を代表する画家ピエール・ボナール1930年代の傑作『白い部屋(ル・カンネ)』。本作は、フランス南東部プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏に位置し、現在は国際映画祭の開催地としても名高いカンヌの入り江を眺望できるル・カンネと呼ばれた丘の上に建つ邸宅≪ル・ボスケ≫の一室の情景を描いた作品である。画面中央下部には一匹の猫と(おそらくは画家の最愛の妻マルトであろう)背を丸め屈んだ姿の婦人が配され、その左右には不思議な形状(まるで二つに分断されたかのような)のテーブルが描かれている。テーブルの上には色鮮やかな食器類が無秩序に置かれており、画面右端にはガラス製の花瓶が控えめに配されているほか、さらにテーブルの手前には橙色の木製椅子の背が見えている。一方、画面左側に配されるマントルピース(暖炉の焚き口の装飾枠)の上部には鮮やかな緑色が映える球形の花瓶に活けられた植物が置かれており、そこから右側へ視線を向けると唐突な空間的開放を感じさせる開かれたドアと、フランス窓の奥の、まるで異世界のような風景が目に飛び込んでくる。本作の構成要素や空間処理などは1910〜1920年代のボナールの様式を踏襲しているものの、無彩色(本作では名称ともなっている白色)を主色に広がる、輝きと光に満ちた無数の色彩の混沌とした表現はこの時代の大きな特徴である。特に屈んだ婦人に用いられる色彩はもはや、一見しただけでは婦人の存在に気付かないほど床面の色彩と混ざり合っており、この一体的な色彩表現と白色との多様な色彩的対比は今も我々の心を強く掴み続けるのである。

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浴槽の裸婦

 (Nu Dans le bain) 1936-37年
93×147cm | 油彩・画布 | プティ・パレ美術館(パリ)

20世紀前半のフランス美術界を代表する親密派(アンティミスム)画家ピエール・ボナールが晩年期に手がけた生涯随一の傑作『浴槽の裸婦』。本作はボナールの最も重要な霊感源(着想源)のひとりであった最愛の妻マリア・ブールサン(通称マルト)をモデルに、浴槽(バスタブ)の中に横たわる裸婦を描いた作品である。画家は約10年ほど前に、やや水平が強調されるもののぼぼ同様の構図で同画題の作品『浴槽』を手がけているが、ボナール自らの言葉によれば、本作の高位置からの視点による独特の構図展開は、画家自身、それまでの画業の中で最も難しいものであったと述べている。本作で最も特徴的かつ、最も観る者の眼を惹きつけるのは、南仏ル・カンネに拠点を置き、さらに晩年期へ向かうに従い奔放性と非現実性が増していった鮮やかな色彩の表現にある。画面中央に配される浴槽とそこへ横たわる裸体のマルトは、腹部・下腹部では肌の色を思わせる赤味が差すものの、下半身や胸部は蒼白く輝くかのような色彩が用いられている(それはマルトを中心に手前と奥で明確に分けられる水面の色彩と不思議な統一感を感じさせる)。さらに画面上部の壁の色彩はさらに自由奔放であり、印象主義の手法にも通じる独特な筆触によって表現される、光の微妙な加減により変化する色彩の多様性・変幻性と、隣り合う色調の塊の対比はある種の抽象性すら感じさせる。また『浴槽』と比較し、さらに進んだ平面性や色彩による空間構成性、画面下部の浴室内に敷かれたタイルの単純・文様化された表現も特に注目すべき点である。

関連:1925年制作 『浴槽』

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自画像

 (Portrait du peintre par lui-même) 1945年
56×46cm | 油彩・画布 | 個人所蔵(ニューヨーク)

ナビ派、そして親密派を代表する画家ピエール・ボナール最晩年の重要な作品『自画像』。画家が死去する2年前となる1945年に制作された本作は、ボナール78歳の姿を描いた≪自画像≫作品で、画家は本作以外にも『化粧室の鏡の中の自画像』など同年に2点の自画像を手がけている。画面のほぼ中央に描かれる老いたボナール自身の姿は虚空を見つめるかのように眼窩には深い陰影沈み込み、そこからは否が応にも迫り来る≪死≫に対する諦めや無関心的な境地を観る者に抱かせる。さらに画面全体を支配するどこか陰鬱で重々しい印象は、本作に描かれるボナールの虚無的な表情はもちろん、褐色的に描写される色彩の効果も大きい。本作を考察するにあたり、しばしば指摘されているのは、1936年頃から制作され続け、未完のまま絶筆となった『サーカスの馬』との関連性、類似性である。『サーカスの馬』に描かれる白馬も、本作中のボナール自身の姿と同様、どこか非現実染みた眼窩のみで眼部が表現されており、その印象はまるで得体の知れない怪物のようでもある。さらに『サーカスの馬』で用いられる奇抜的でどこか狂気や幻想性に満ちたコントラストの激しい色彩表現は画家の内なる不安や、ある意味における現実からの逃避を容易に連想させる。そのような観点から本作を今一度考察すると、本作にはボナールの真摯で実直な心情そのものを描くという画家の意図を読み取ることができ、その点においても本作は最晩年の画家の作品の中でも非常に重要な作品と言える。

関連:1936-45年頃制作 『サーカスの馬』
関連:1945年制作 『化粧室の鏡の中の自画像』

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