Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
■ 

ギュスターヴ・カイユボット Gustave Caillebotte
1848-1894 | フランス | 印象派




印象主義時代を語る上で欠かせない同派を代表する画家。観る者に現代性を強く喚起させる独特の自然主義的作品を制作。カイユボットは収集家としての知名度の方が高かったものの、近年(1960〜70年代)の再評価によって画家として正当な扱いを受けるようになった。また「ブルジョワ的」とも呼ばれた古典的な表現手法とその印象も特筆すべき点である。画題としては労働、家族、生活など近代的な都市生活的画題の作品が傑出しているが、後年に手がけた風景画なども高い評価を受けている。ブルジョワ階級出身で生涯裕福であったカイユボットは収集家としても良く知られており、クロード・モネルノワールカミーユ・ピサロアルフレッド・シスレーポール・セザンヌなどの作品を購入することによって、経済的に彼らを支えたほか、印象派展の開催などでも意見調整や経済支援などをおこなった。1848年、繊維業を営む裕福な事業家の息子としてパリで生まれ、ナポレオン3世による第二次帝政時代に上流階級層の高級住宅地として新造されたマルゼルブ大通りの邸宅で不自由なく育つ。1870年に法律学校を卒業した後、1872年頃に19世紀後半を代表する(アカデミー)肖像画家レオン・ボナのアトリエに出入りするようになり、翌1873年にパリ国立美術学校へ入学。おそらくボナの友人であったエドガー・ドガを通じバティニョール派(後の印象派)の画家らと知り合い、モネルノワールなどを始めとした印象派の画家らとの交友を持つようになったが、その中でもとりわけドガの作品から影響を受ける。1876年の第2回印象派展以降、第6回、第8回以外の印象派展に参加。以後、印象派の画家らを支援しながら自らも作品を精力的に制作。1894年、生地であるパリで死去。カイユボットの死後、遺言書により画家が所有していたモネルノワールピサロシスレーセザンヌなど印象派の画家らの作品はルーヴル美術館へと寄贈されることとなっていたが、美術館当局やサロン画家らの猛烈な反対に遭い受け入れられなかったが、1928年に受理。今日ではオルセー美術館へと移管され、同美術館の重要なコレクションとして収蔵されている。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
■ 

床の鉋かけ(床削り、床に鉋をかける人々)


(Raboteurs de parquet)1875年
102×146.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派を代表する画家ギュスターヴ・カイユボットが手がけた最も有名な作品のひとつ『床の鉋かけ』。1876年に開催された第二回印象派展に出品された作品の中で最も重要な作品のひとつとなった本作に描かれるのは、新居の床を削るために鉋をかける三人の下層階級の労働者の姿で、極端とも言える程の遠近法による場面展開や自然主義的な現代性、幾何学的な画面構成などカイユボット独自の表現様式が随所に示されている。『床削り』、又は『床に鉋をかける人々』とも呼ばれる本作には、上流階級出身である画家が労働者階級の者を描くという、一見、矛盾のようにも感じられる画題が描かれているが、クロード・モネルノワール(両者は労働者階級出身)とは異なるブルジョワ(富裕者)階級ならではの労働者に対する新鮮な視点によって描かれる場面表現は、第二回印象派展出品時、観者に衝撃を与えたと伝えられている。なお別の視点と構図から展開した同主題の作品もある。

関連:別ヴァージョン 『床の鉋かけ』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

バルコニーの男(窓辺の若い男)

 1875-76年頃
(Jeune homme à sa fenêtre (Homme au balcon))
116.2×80.9cm | 油彩・画布 | 個人所蔵(パリ)

印象派を代表する画家ギュスターヴ・カイユボット作『バルコニーの男(窓辺の若い男)』。本作は、アパルトマンの一室のバルコニーからサント・オーギュスタン広場を眺める画家の弟ルネの後姿を描いた作品である。背後のみを主体として人物を描くという、(人物を画題として描く絵画作品としては)非常に奇抜な用いられている本作の構図は、日本の浮世絵からの影響(またはそれに基づいた展開)であると考えられている。この近代化の進むパリの象徴的住居であるアパルトマンの一室のバルコニーや窓から外を眺める人々、そこ見える風景や情景は、印象派の先駆者エドゥアール・マネ(関連:マネ作『バルコニー』)や、マネの緊密な関係にあった同時代随一の女流画家ベルト・モリゾ、アメリカ出身の女流画家メアリー・カサットを始めとした多くの印象派の画家らが注目した画題であり、カイユボットも同様にこの画題に強い興味を示したが、本作がその中でも特に注目されるのはその客観性にある。本作に描かれる弟ルネはバルコニーの前に仁王立ちし、(おそらく)通りを歩く女性に視線を向けている。真後ろから多少左に寄った視点で弟ルネの姿が描かれている為、弟ルネの顔の表情は見えないものの、描かれる人物の存在感は観る者を圧倒する。しかしその圧倒的な存在感があるにも係わらず、観る者はマネが手がけた『バルコニー』を始めとした他の画家の作品と比較し、描かれる人物(本作では弟ルネ)に親近感や心情・心理的感情の移入を全く抱くことは無い。この観る者が本作に向ける客観性こそ近代的(写真的)な視感効果の表れであり、本作の大きな魅力でもある。なおカイユボットは同画題の作品や、バルコニーからの眺望を描いた作品を数多く制作している。

関連:『バルコニーの男』
関連:『バルコニーの男、オスマン大通り』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ヨーロッパ橋

 (Le pont de l'Europe)1877年
124.7×180.6cm | 油彩・画布 | プティ・パレ美術館

印象派を代表する画家ギュスターヴ・カイユボットの代表作『ヨーロッパ橋』。1877年に開催された第三回印象派展に出品された本作は、発展著しいパリ市内に架けられる≪ヨーロッパ橋≫と、そこを行き交う人々を描いた作品で、画面左部分に描かれた橋を渡る帽子の男と日傘を差す女のうち、帽子の男はカイユボット自身がモデルである。一時期はクロード・モネも画題として描いたサン・ラザール駅(参照:モネ作『サン・ラザール駅』)とその(機関車)倉庫の上に架けられているこの橋の≪ヨーロッパ橋≫という名称は、この橋を中心に放射状に伸びている各通りの名称が、ヨーロッパの都市の名前を用いていることから、そう呼称されるようになった。本作において最も注目すべき点は、急激な遠近法による情景(風景)描写と、特異な画面構築にある。画面左部分に描かれた男(カイユボット)の頭付近にある消失点へと吸い込まれるような極端な遠近法は、橋本体とその手すり部分や影、道路に引かれる線などによって、より強調されている。古典的とも呼べるような写実的描写手法が用いられながらも、カイユボットの個性を感じさせる写真的な構図や独特の視点展開によって活発に再開発がおこなわれたパリの急激な近代性を画家は本作で見事に捉えている。なお本作を描く前の段階で制作した習作が二点(習作A習作B)残されているほか、画面右側部分遠景にサン・ラザール駅が描かれる(本作同様、第三回印象派展に出品された)同名作品の別ヴァージョンがアメリカのキンベル美術館(フォート・ワース)に所蔵されている。

関連:『ヨーロッパ橋(習作A)』『ヨーロッパ橋(習作B)』
関連:キンベル美術館所蔵 『ヨーロッパ橋(別ヴァージョン)』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

パリの通り、雨(パリの街角、雨)


(Rue de Paris, temps de pluie)1877年
209×300cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所(シカゴ)

印象派を代表する画家ギュスターヴ・カイユボット1870年代随一の大作『パリの通り、雨(パリの街角、雨)』。1877年に開催された第三回印象派展に出品された本作は雨の日のパリのヨーロッパ広場を描いた作品で、雨で濡れた石畳の路面などに見られる反射的な光の表現、孤立的な人物の配置、写真や映画のワンシーンのような大胆なトリミング的構図や画面構成、急激な遠近法の使用などに、画家独特の都会的で近代的な都市生活を強く感じさせる。特に最も特徴的なのは画面前景に描かれる二人の傘を差す男女の姿で、膝から下が描かれないほど近接している。この当時としては奇抜ですらある人物の配置と表現は観る者に強烈な印象を与えたのである。また7〜8歳年上であるクロード・モネルノワールもパリの街角を画題に作品を手がけているが(例:ルノワール作『雨傘』)、それらと比較しても、伝統的な写実的描写手法を用いながら、奥行きと広がりを感じさせる空間構成や、人々の間の絶妙な距離感、雨のパリの街角の独特な緊張感などは、29歳の時に本作を手がけたカイユボットの類稀な才能や発展を続けるパリを見る豊かな観察眼、確固たる印象主義的主張が感じられる。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

Work figure (作品図)


Salvastyle.com 自己紹介 サイトマップ リンク メール
About us Site map Links Contact us

homeInformationCollectionDataCommunication
Collectionコレクション