Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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アンリ・ルソー Henri Rousseau
1844-1910 | フランス | 素朴派




印象派時代に活躍した素朴派を代表するフランス人画家。魔術的とも比喩される夢想的で異国的な密林の情景や、都会の風景やその中に配した人物像などを描き、画業の当初は批評家たちの嘲笑の的となっていたものの、晩年には高評価へと一変し、現在では同時代を代表する画家として広く知られている。その詩情的で想像力に溢れた独自の画風は20世紀最大の画家のひとりパブロ・ピカソやイタリア出身の詩人ギヨーム・アポリネール(ポーランド人)らが高く評価していたほか、新印象派の創始者ジョルジュ・スーラや後期印象派を代表する画家ポール・ゴーギャンなど同時代の一部の画家たちからも注目されていた。素朴派の確立は19世紀末、アンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)出品作家に対して、評論家がそう称したことに始まり、西欧の伝統的な美術知識の乏しさゆえの素朴な作風を意味している。1844年フランス南西部ブルターニュ地方の小都市ラヴェルに生まれ、長年パリで税関吏として働きながら、1880年頃には絵画を描き始める。1893年、税関吏を退職し画業に専念する。1886年からアンデパンダン展に初出展し、当初は新聞や雑誌から稚拙だと酷評されたが、ほぼ毎年(1899年及び1900年以外)同展へと作品を出品し、1905年頃から次第に評価が高まっていった。1908年、ルソーを高く評価していたピカソが画家の芸術性を称えるために夜会を催す。最晩年頃は評価を高めた画家であったが、1910年パリで孤独のうちに死去。享年66歳。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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カーニバルの晩

 (Un soir de carnival) 1886年
116×89cm | 油彩・画布 | フィラデルフィア美術館

素朴派の巨匠アンリ・ルソー作『カーニバルの晩(カーニバルの夜、カーニバルの夕べ)』。1886年に開催された第2回アンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)への出品作である本作は、現存する画家の同展への最初期の作品として知られている。本作に描かれるのはカーニバルの夜に散歩するピエロとコロンビーヌに扮した男女であるが、現存する最初期の作品であるにも係わらず、本作からはルソーが既に独自の絵画表現や世界観を確立していたことを窺い知ることができる。画面下部ほぼ中央に配される仮装した男女は腕を組みながら夜(又は夕暮れ)の森を歩いている。その周辺にはシルエットのみで構成される平面的で影絵のような背の高い木々が枝を広げて、あたかも本場面を静寂と深淵で包むかのように鬱蒼と聳えている。また夜空には、これもルソー作品には馴染みの深い満月が静かに輝いている。単純な構図や絵画展開であるものの、画家独特の色彩の使用や、細密画を思わせる葉のない木々の細い枝の複雑な描写に、ルソーの画家としての確固たる自覚が感じられる。

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風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)


(Moi-Meme, Portrait-Paysage) 1890年
143×110cm | 油彩・画布 | プラハ国立美術館

素朴派の巨匠アンリ・ルソー初期の代表作『風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)』。本作は1889年に開催されたパリ万国博覧会の情景を背景に、まだ税関吏として働いていたルソーが画家としての己の46歳の姿を描いた自画像作品で、ルソーが死の間際まで手放さず、加筆し続けた作品でもある。背景の通行人と比較し、あまりにも巨大に描かれる、威厳と毅然に満ちた表情のルソー自身の姿や、パリを流れるセーヌ川と川に停泊する船舶、万国博覧会の喧騒的な雰囲気、空に浮かぶ気球や奇形な雲など本作に描かれる(絵画的)構成要素は、何れも観る者に不思議な印象を与える。本作の原題は『私自身、肖像=風景』であり、画家は風景(背景)と肖像を一体とすることで、それまでに類のない(画家独特の)独創的な自画像の世界観を表現し、新たなる絵画的展開を開拓した。さらに本作の中で画家が手にするパレットにはクレマンス(本作が制作される二年前に亡くなった妻)、ジョゼフィーヌ(クレマンスの死から9年後に再婚した二番目の妻)と二人の妻の名前が記されており、ジョゼフィーヌ部分は後の書き加えられたものであるが、かつてはクレマンス亡き後、再婚相手と考えていたマリーな名前が記されていたことが知られている。また襟元の教育功労勲章も1901年、芸術愛好学校(エコール・ド・ラソシアシオン・フィロテクニック)の教師に任命された際に書き加えられたものである。さらに本作の左上部分に描かれる上空の太陽の表現に、歌川広重による版画集『江戸名所図絵』の影響が指摘されている。

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戦争

 (La guerre) 1894年
114×195cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象主義時代に活躍した素朴派の画家アンリ・ルソーの代表作『戦争』。制作された1894年のアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)に出品されたものの、その後長い間行方が不明であったものの第二次大戦中に発見された本作は≪戦争≫の寓意を描いた作品で、フランスの民衆版画(エピナール)や当時の雑誌や新聞の挿絵から着想を得られていることが判明している。複雑で非汎用的な構図や構想、明らかな寓意的意図など画家の作品には例外的な内容が描かれる本作中で、中央の馬のような動物、画面左部分の木々や葉、死体の肉を啄ばむ鳥など最も印象的に用いられている黒色は、後期印象派を代表する画家であり象徴主義の提唱者でもあるポール・ゴーギャンも強い衝撃を受けたと賞賛の言葉を残している。またそれらと対照的な白い衣服に身を包む画面中央の≪戦争≫の擬人像は炎と剣を手に死体の上を駆け巡っている。画面下部では戦争で死した幾多の人々の死体が転がっている(この中で画面中央で観る者の方へ顔を向けた死体はルソー自身だとも推測されている)。画家は本作をアンデパンダン展に出品した際、「それは到る所に恐怖と絶望を残し、そして涙と廃墟を後に通り過ぎてゆく。」と文章を添えている。なおルソーは後年、本作とほぼ同様の版画を制作したことが知られている。

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眠れるジプシー女

 (La Bohémienne endormie) 1897年
129×200cm | 油彩・画布 | ニューヨーク近代美術館

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した素朴派を代表する画家アンリ・ルソーの代表作『眠れるジプシー女』。1897年のアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)へ出品された作品である本作に描かれるのは、夜の砂漠で深い眠りにつくジプシー女とそれに寄る一匹の獅子(ライオン)の姿で、19世紀アカデミーを代表する画家ジェロームの作品に典拠を得て制作された。ルソーは己が抱えていた多額の借金の返済を目論み、故郷ラヴァルの市長に本作の寄贈(買取)の嘆願する手紙(本作品の解説も記されている)を送っており、その手紙に記される画家自身の言葉によれば「マンドリンを奏で放浪する黒人の女(ジプシー)が、水差しを傍らに、疲れ果て深く眠っている。その時、一匹の獅子(ライオン)が通りかかり彼女を見つけ匂いを嗅ぐが、決して喰いつくわけではない。それは非常に詩的な月の光のせいなのだ。」と獅子(ライオン)とジプシー女の関係性を解説している。本作が制作された当時、殆どのルソーの作品は評価されておらず(稚拙であると嘲笑の的ともされていた)、この画家の目論み(本作の寄贈)も叶わなかった。本作に示される自由で前衛発想的な表現や、綿密に計算されたことが伺える線や色彩、形態の素直で的確な描写は、画家の全作品の中でも特に秀逸であり、今も観る者の眼を強く惹きつける。画家の死後、長く行方が知れなかったが1923年に発見され、現在はサイモン・グッゲンハイム夫人の寄贈によりMoMAが所有している。

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田舎の結婚式(婚礼)

 (La noce) 1905年
163×114cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

19世紀末頃から20世紀初頭にかけて活躍した素朴派の画家アンリ・ルソーの代表的な肖像画かつ集団人物画『田舎の結婚式(婚礼)』。画家とは直接的にも間接的にも関係は認められないものの、古いアルバムの記念写真(ポストカード)を基にして制作された本作は、田舎でおこなわれる婚礼の儀式≪結婚式≫の情景を描いた作品であり、画家は本作を制作した1905年のアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)に出品している。全体的な画面構築・構図は記念写真(ポストカード)とほぼ同一な、古典的な様式で描かれているものの、花嫁の右隣の人物がルソー自身の姿で描かれているほか、立ち並ぶ樹木や画面下部の黒い犬など画家独自の要素も加えられており、単なる集団人物画とは一線を画した、(自身の結婚を噛み締めるかのような)心情・心理的な画家の内面を見出すことができる。また多数の研究者や批評家らも指摘しているよう、本作に描かれる人物らの正面性や平面性、素朴で実直な精神性は厳格な宗教画にも似た感覚を観る者に与えている。描写手法的にも明確な輪郭線や、画面の中で際立つ中央に配される花嫁が身に着ける花嫁衣装の白色、地面や木々の葉などの緑色、雲の無い空のやや重厚で寒々しい青色などを始めとした冷感な色彩、構成要素の圧倒的な存在感、作品全体から醸し出される非現実世界的な雰囲気など画家独特の個性的な様式が良く表れている。

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飢えたライオン


(Lion ayant fain se jette sur l'antilope) 1905年
200×300cm | 油彩・画布 | バーゼル美術館(スイス)

素朴派の巨匠アンリ・ルソー随一の大作『飢えたライオン』。画家の全作品の中でも、代表作『』と並び、最も巨大な作品として知られる本作に描かれるのは、一匹の飢えたライオンがカモシカを捕食する場面で、妹ジュリアが前年(1904年)のサロンに出品した規模の大きなタペスリーに触発され、大画面構成による本作を手がけたとされている。本作はパリで行われる(国際的に)最も歴史の古い国際公募美術展≪サロン・ドートンヌ≫に出品され(なおこの年のサロン・ドートンヌにはルソーに注目していた印象派の画家ルノワールのほか、後のフォーヴィスム(野獣派)の大画家アンリ・マティスやアンドレ・ドランなども出品している)、好評を博し、当時の上流階級向け高級新聞≪サロン・ドートンヌ≫に図版と共に取り上げられた。画面中央では一匹のカモシカに飢えたライオンが鋭い爪を立てながら頭部の後ろに噛み付いている。カモシカは脱出しようと抵抗を試みるが、頭部と胴体をライオンに押さえられ身動きが取れない。噛み付かれた背中上部や、(おそらくライオンの爪で傷つけられたのであろう)右脚部、右側部からは鮮血が滴り落ちている。また背後の森林では梟などの鳥達や一匹の豹が木の上からこの情景を静観している。赤々とした太陽が暮れ、ジャングルに深い夜が訪れようとしている本場面の瞑想的であり、思想的でもある独特の雰囲気や表現は画家の作品の大きな特徴でもあり、特筆に値するものである。なお本作の名称『飢えたライオン』は『飢えたライオンは身を投げ出してカモシカに襲いかかる…』と続く長い銘文の冒頭の一句から引用されたものであるほか、本作は20世紀前半に起こった芸術運動のひとつシュルレアリスム(超現実主義)の画家ら、特にドイツ人画家マックス・エルンストに多大な影響を与えたことが知られている。

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第22回アンデパンダン展への参加を芸術家に呼びかける自由の女神

 (La Liberté invitant les artistes à prendre part à la 22e exposition des Indépendants) 1906年
175×118cm | 油彩・画布 | 東京国立近代美術館

素朴派の巨匠アンリ・ルソーを代表する集団肖像画的作品『第22回アンデパンダン展への参加を芸術家に呼びかける自由の女神』。本作の名称同様、第22回アンデパンダン展に出品された本作は、ルソーのほぼ唯一の作品発表の場であり、画家としての存在意義を示すことのできた同展への、他の画家たちの参加を促す宣伝(告知)ポスター的な意図やその意思が強く表れた作品である。アンデパンダン展は、1890年代に新たな絵画表現とした一躍センセーショナルな存在となり、印象派の画家たちの分裂の原因ともなった点描表現の創始者ジョルジュ・スーラを始め、ポール・シニャックアンリ=エドモン・クロッスら新印象派の画家たちが1884年に創設した無審査出品制による美術展覧会で、絵画の正規教育を受けていないルソーは、同展への最も精力的・意欲的な出品者のひとり(常連)であった。画家の同展への強い意識が顕著に表れている本作は、他の作品同様、古い版画や写真を基にして各要素を組み合わせ画面を構成している。画面上部ではアンデパンダン展の自由性のほか、正当性と公式性の象徴として自由の女神がラッパを吹きながら中空を舞い、芸術家(画家)たちに同展への参加を呼びかけている。画面下部では自由の女神に呼応した画家たちが自身の作品を手に列を成し、アンデパンダン展へと向かっているほか、作品を運搬する色彩豊かな荷馬車も配されている。さらにその後ろ(遠景)には無数の画家たちの姿が確認できる。画面下部分の中でも最も観る者の視線を惹きつける中央の獅子が下に敷く白い布には(1880年代後半に印象主義の影響を受けていた)カミーユ・ピサロスーラシニャック、カリエールらの名前が記されており、画家自身も彼らの同列として己の名前をそこへ加えている。また画面最前景にはアンデパンダン展会長ヴァルトン(背の高い白髪の男)と握手する画家(背の低い黒髪の男)の代表として自分の姿を描き込んでいる。これらはルソー自身の(画家としての)誇りの表れであると解釈することができ、本作では画家の極めて個性的な性格と自意識の高さもうかがい知ることができる。

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蛇使いの女

 (La Charmeuse de serpents) 1907年
169×189cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

素朴派の巨匠アンリ・ルソーが手がけた傑作『蛇使いの女』。本作に描かれるのは1891年に始めて登場し、1905年以降にしばしば描かれるようになった密林の中で笛を奏でる≪蛇使い≫の女の姿である。印象的に輝く満月の光によって神秘的に照らされる蛇使いの女は、逆光によってそのふくよかな裸体のシルエットが浮き出るように描写されているものの、瞳だけが(本作を)観る者を見据えるかのように際立って怪しく輝きを帯びて描かれている。また蛇使いの女の肩や足元、密林の木々などに、女と同様シルエットのみが描かれる複数の大きな蛇を始め、梟や伽藍鳥(ペリカン)らしき鳥らが象徴的に配されている。植物の描写においても書籍や植物園で観察しながら己の頭の中で創り出した空想上の草木は、観る者を幻想的な世界へと誘うかのように独特な表現が示されている。しばしば魔術的とも比喩される本作のような世界観は画家アンリ・ルソーの最も大きな特徴のひとつであり、同時に最も注目すべき魅力のひとつでもある。

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詩人に霊感を与えるミューズ


(La muse inspirant le poete) 1909年
144×114cm | 油彩・画布 | バーゼル市立美術館

素朴派の画家アンリ・ルソー晩年を代表する肖像画作品のひとつ『詩人に霊感を与えるミューズ』。本作は美術評論家としても活躍していた詩人兼小説家ギヨーム・アポリネールと、その恋人ローランサンの肖像画である。この『詩人に霊感を与えるミューズ』という作品は2点あることが知られ、アンデパンダン展に出品された最初の作品(第1ヴァージョン)では、本来、画家が描こうとした詩人の花を象徴するカーネーションを、誤ってウォールフラワーとも呼ばれるアブラナ科エリシマム属の花であるチェイランサス(和名ニオイアラセイトウ)で描いてしまった為に、訂正作品として本作(第2ヴァージョン)が制作された(※第1ヴァージョンは現在モスクワのプーシキン美術館が所蔵)。本作を300フランで購入したアポリネールの証言や、画家との手紙のやり取りによると、本作を描く際、ルソーはモデルであるアポリネールやローランサンの鼻、口、耳、額、身体など全身を巻尺で正確に採寸し、それら測定値を元に画面の寸法(大きさ)を決めたとされている。画面中央では、太陽神アポロンに付き従う諸芸術を司る9人の女神ミューズ(ムーサ)の中から、喜びや叙事詩を司るとされているエウテルペ(又は恋愛詩を司るエラート)に扮したローランサンが、詩人(本作ではアポリネール)に霊感を与えるという、古典的主題に即した場面が展開されており、背景には画家の希望によってリュクサンブール公園の一角が描かれている。これら主題(人物)と背景の密接な関係性は、画家が自画像として制作した『風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)』でも示された、風景(背景)と肖像の一体性に他ならない。また人物やカーネーション、木々など構成要素の描写でも、伝統的な写実的表現を大きく逸脱した、対象の真実性に迫る独自の表現が用いられており、観る者を画家独特の世界観へと惹き込む。

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大豹に襲われる黒人


(Un nègre attaqué un léopard) 1910年頃
114×162cm | 油彩・画布 | バーゼル市立美術館

素朴派の画家アンリ・ルソーを代表する作例のひとつ『大豹に襲われる黒人』。本作は画家が数多く手がけてきた密林に沈む夕日の風景の中に描く対象を配した作品で、本作には黒人(の男性)が人間の背丈ほどはある大きな豹に襲われるというショッキングな画題対象を置いているのが大きな特徴である。人間が動物に襲われるという画題は、本作以外にも『異国風景−猿とインディアン(猿とネイティブアメリカン)』などで用いられているが、本作では『異国風景−猿とインディアン(猿とネイティブアメリカン)』とは異なり、襲われる人間(黒人)の苦痛的、恐怖的な表情などは一切描写されず、逃れるような姿態とシルエット的な人体描写によって表現されており、観る者により一方的で重圧的な捕食的態度を感じさせる。さらに、それらによって画家特有の異国的密林風景の静寂性もより強調されていることは、特に注目すべき点のひとつである。本作の襲われる人間(黒人)と大豹の姿態は、子供向けに出版された≪野獣たち≫という写真アルバムの中にあった、飼育員と豹が戯れる写真の姿態から取られたものであるが、本作では豹の方を向き戯れる飼育員を、顔を背けた姿に変えて描かれている。また本作の野性味に溢れた原色的な花々や、原始的で葉肉の厚い、色鮮やかな草木の表現は、ルソーの典型的な密林描写であり、観る者に不可思議で夢想的な印象・心象と、非現実感を植えつける。

関連:『異国風景−猿とインディアン(猿とネイティブアメリカン)』

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異国風景 − 原始林の猿


(Les singes dans la foret viêrge) 1910年
130×162cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

19世紀末頃から20世紀初頭にかけて活躍した素朴派を代表する画家アンリ・ルソー作『異国風景 − 原始林の猿』。本作に描かれるのは、題名に『異国風景』と付けられているよう、画家が1904年頃から精力的に取り組んだ画題である異国情緒に溢れた密林(熱帯)風景で、本作はルソー随一の代表作『』と共に、最晩年に制作された作品である。鮮やかな熱帯植物や木々の緑色と青々とした空の見事な明瞭感は画家の作品の中でも特に際立っており、観る者を強く惹きつける。さらに三匹の黄毛の猿が連なりぶら下がる樹木に実る柑橘類を思わせる橙色の果実のほか、画面中央の赤味の強い花々や、画面の左右に配される純白の花々は画面内へ絶妙なアクセントをもたらしている。また画面中央ややみぎよりには一匹の白毛の猿が橙色の果実を口元へ運んでいる。本作の各構成要素はどれも画家の個性に富んでおり、生き生きと描かれていながらも、画面全体が醸し出す雰囲気や観る者が受け取る印象は静寂とある種の幻想性に包まれている。この作品から伝わる独特な感覚こそルソー作品に通じる魅力であり、本作はそれが顕著に感じられる代表的な作品のひとつでもある。なお画家は本作と同時期に、内容は全く異なる夕暮れ時の密林(熱帯)風景の中で猿(ゴリラ)とインディアンが格闘する場面を描いた同名の作品『異国風景−猿とインディアン(猿とネイティブアメリカン)』を制作しており、現在その作品はバージニア州(ワシントン)のポール・メロン・コレクションに所蔵されている。

関連:『異国風景−猿とインディアン(猿とネイティブアメリカン)』

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 (Le rêve) 1910年
204.5×298.5cm | 油彩・画布 | ニューヨーク近代美術館

素朴派を代表する画家アンリ・ルソー随一の代表作『夢』。本作は国外へ旅行したことがなかったルソーが、想像力と独特の観察眼によって制作した大作であり、1910年にアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)へ出品され、多くの批評家らから賞賛を受けた作品である。同展へ出品された際、イタリア出身の詩人ギヨーム・アポリネール(ポーランド人)による次の詩が添えられたことが知られている。「甘美な夢の中のヤドヴィガ、いとも安らかに眠りへと誘われ、蛇使いの吹く笛の音を聴き、その瞑想を深く胸に吸い込む。そして緑燃える木々の波の上では、月影がきらめき、野生の蛇たちは、曲の陽気な調べに耳傾ける」。ヤドヴィガとは画家が数年前に恋焦がれていたポーランド人女性の名前であり、画家自身の言葉によると「このソファーの上で眠る女は森の中に運ばれて、蛇使いの笛の音を聴く夢を見ているのだ。」とソファーに横たわるヤドヴィガについて解説している。本作に描かれる動植物は雑誌や書籍、動・植物園などに何度も足を運び、観察を重ねて描かれたものであるほか、本作ではルソー作品に通ずる緑色を多用した独特の静謐な世界観が画面全体を夢想的に支配しており、本作の不可思議で幻惑的な雰囲気は観る者を強く魅了する。なお本作は画商ヴォラールからニューヨークのジャニス画廊に入り、その後、大富豪ロックフェラー家が所有し、ネルソン・A・ロックフェラーによってMoMA(ニューヨーク近代美術館)へと寄贈された。

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