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Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像

カラヴァッジョ Caravaggio
1573-1610 | イタリア | バロック

徹底した写実性と劇的な明暗対比や感情表現で、後にあらゆるバロック期の画家に多大な影響を与えたと言われるイタリアバロック絵画最大の巨匠(本名はミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi)。しかしその強烈すぎた表現は品位に欠けるとして非難を浴びることも多々あった。また画家として名声を得ていたカラヴァッジョは1606年、35歳の時に喧嘩で一人の男と決闘、相手を刺し殺しローマから逃亡。殺人犯として追われる身となったが、逃亡先のマルタ共和国で『洗礼者聖ヨハネの斬首』を描き、これが認められ教皇より免罪される。しかし一年も経たずして再度些細なことで決闘し投獄される。一度は脱走を試みるも、数日後に逮捕、同作品の目前で斬首刑を宣告される。享年38歳。
※カラヴァッジョの模倣とされていた英国王室の「聖ペテロと聖アンデレの召命」について、近年おこなわれた洗浄・修復の結果、画家の真作であることが判明した(2006年11月追記)。


Work figure (作品図)
Description of a work (作品の解説)
【全体図】
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リュートを弾く若者 (Suonatore di liuto) 1590年頃
94×119cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館

激情の画家カラヴァッジョの初期様式の頂点を示す傑作『リュートを弾く若者』。前景には初期様式によく見られる譜面やヴァイオリン、水差し、生け花、果物などの静物が配され、また主題となる若者は虚ろ気にこちらを見つめ、その手はリュートを奏でており、その表現はいずれも圧倒的なリアリズムが示される。絵画の中心であった宗教画と、本作のような風俗画の二種を描くことを試みていたローマに到着して間もないカラヴァッジョの青年期(1590年代)の作風は、青年(又は少年)を思わせる若々しい男子に、病的にも思える虚実な表情を浮かべて描かれており、これは画家の内面を示すものとして捉えられている。

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病める少年バッコス (Bacchio malato) 1593年頃
67×53cm | 油彩・画布 | ボルゲーゼ美術館(ローマ)

若きカラヴァッジョの自画像とされる、初期の代表的な人物画作例のひとつ『病める少年バッコス』。カラヴァッジョの現実主義的思想(自然主義的思想)がよく示される本作は、ギリシア・ローマ神話に登場する酒神バッコスを題材にし描かれた人物画であるが、それまで通例となっていた対象の美化は見られず、あくまでもモデル(カラヴァッジョ自身)の映る姿をそのままに捉え、極めて正確な写実に基づき描かれている。これはカラヴァッジョの全作品に共通する理想を求めない現実主義的な表現の最も初期の作例として、重要な位置を占める。また馬に蹴られ療養所に入ったときに描いたとされる説は、現在、否定的である。

関連:ウフィツィ美術館所蔵『バッコス』(1595年頃)

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果物籠を持つ少年(果物売り) 1593年頃
(Fanciullo con canestro di frutta (Fruttaiolo))
70×67cm | 油彩・画布 | ボルゲーゼ美術館(ローマ)

人物と静物の高い表現力による融合を見せるカラヴァッジョの代表作『果物籠を持つ少年』。通称『果物売り』とも呼ばれる本作は、カラヴァッジョ初期の人物描写における大きな特徴である、やや陰鬱で虚ろげな表情の、おそらく自身をモデルとした青年が、溢れんばかりの果実の入る籠を抱える姿を描いたもので、極めて写実的に描かれる果実と籠の描写は、まさに圧巻の一言である。そして、このカラヴァッジョによる写実的な静物描写は、1596年頃に描かれたとされる『果物籠』で頂点を見せることになる。また本作はローマに出た直後の、ジュゼッペ・ダルビーノの下で修行していた頃に描かれたと推測されている。

関連:カラヴァッジョ作『果物籠』

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果物籠 (Canestro di frutta) 1596年頃
31×47cm | 油彩・画布 | アンブルジアーナ絵画館(ミラノ)

バロック絵画最大の巨匠カラヴァッジョによる静物描写の頂点を示す代表作『果物籠』。若き修行時代の頃から写実的描写力を開花させていたカラヴァッジョの恐るべき才能を存分に示す本作は、それまで幾多の画家が描いてきた瑞々しく美しい果物の描写のみならず、枯れ朽ちる葉や腐敗する果実など、醜さや下劣とされる描写まで、徹底したリアリズムを以って現実を描いている。これは若きカラヴァッジョから晩年にまで生涯貫かれる写実による現実描写の表れであり、後世に多大な影響を与えることになる画家の類稀な才能を示す最良の作例のひとつである。

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女占い師(ジプシー女) (Buona ventura (La zingara))
1596年頃 | 89×131cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館

カラヴァッジョ初期における最大の傑作のひとつ『女占い師(ジプシー女)』。本作の後に描かれる『トランプ詐欺師』と同様カラヴァッジョ作品で数点確認されている風俗画に属する本作は、カラヴァッジョの自然主義的表現が画業の初期から非常に明確に示された代表的な作例のひとつであり、身なりのよい服装と刀剣を纏った若い男が女占い師に右手を差し出し未来を占っている、極めて現実的な主題を以って描かれている。当時、古代を含む過去の偉大な画家たちが残した宗教画や歴史画が絵画の絶対的な高位であり、それらの主題が絵画において中心的な存在だったことに対し、カラヴァッジョは自らの眼で見る現実の世界を唯一の手本とし、それらを表現することが最も崇高であると考えていた。この考えから、後に生み出された(画家が残した数々の)作品は一部から熱狂的な支持を得るも、殆どの知識人は拒絶されたが、このカラヴァッジョによって描かれた自然主義的表現を用いる作品は、イタリアのみならずスペインやフランドルを中心とした諸外国で幾多の巨匠たちに影響を与えている。なおカラヴァッジョ自身による本作のヴァリアント(又は他者による模作)がローマのカピトリーノ美術館に所蔵されている。

関連:カピトリーノ美術館版『女占い師』

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エジプトへの逃避途上の休息 (Riposo nella fuga in Egitto)
1594-1596年頃 | 135.5×166.5cm | 油彩・画布 |
ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ)

カラヴァッジョ初期の代表的な宗教画のひとつ『エジプトへの逃避途上の休息』。本作の主題はユダヤの王ヘロデがベツレヘムに生まれる新生児の全てを殺害するために放った兵士から逃れるため、エジプトへと旅立った聖母マリアと幼子イエス、マリアの夫の聖ヨセフを描いた≪エジプトへの逃避途上の休息≫であるが、カラヴァッジョはヴェネツィア派の影響を思わせる豊かな色彩と、天使を配することによって、場面をより広く見せようと試みていることが、研究者から指摘されている。

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ホロフェルネスの首を斬るユディト 1595-1596年頃
(Santa Caterina d'Alessamdria)
145×195cm | 油彩・画布 | ローマ国立美術館

人間の暴力性と残虐性がよく示される傑作『ホロフェルネスの首を斬るユディト』。カラヴァッジョ自身の持つ暴力性と残虐性によって表現される本作は、軍を率いてベツリアの街を侵攻する将軍ホロフェルネスを殺害するため、美しい未亡人であったユディットが将軍ホロフェルネスに近づき、泥酔したところを剣で斬首する架空の物語≪ホロフェルネスの首を斬るユディト≫を典拠として描かれており、その類稀な暴力性と残虐性によって、17世紀に活躍した女流画家アルテミジア・ジェンティレスキなど、幾多の画家に多大な影響とインスピレーションを与えた。

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アレクサンドリアの聖カタリナ 1595-1596年頃
(Santa Caterina d'Alessamdria) | 173×133cm
油彩・画布 | ティッセン=ボルネミッサ・コレクション

カラヴァッジョの若くして開花させた自然主義的表現の発展が示される傑作『アレクサンドリアの聖カタリナ』。本作の主題は4世紀キリスト教の聖女で、大釘を打ち付けた車輪で拷問を受けた後、斬首され殉教したとされる≪聖カタリナ≫を描いたものであるが、本作に示されるのは、若きカラヴァッジョの最も特徴的であった世俗性からの逸脱であり、同時にあくまでも写実性を重んじながらも、神聖なる宗教画としての尊厳と聖性に富んだ表現である。これはそれまでのカラヴァッジョの作品には際立って示されていない新たなる特徴で、後にカラヴァッジョが描く宗教画の特徴となる、写実性と聖性の融合の最初の作品として、今日も画家の過渡期における代表作として重要視されている。

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エマオの晩餐 (Cena in Emmaus) 1596年頃
141×196.2cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

カラヴァッジョ全作品中、最もよく知られる作品のひとつ『エマオの晩餐』。描かれた当時より傑作との呼び声が高く、これまでに20点以上の模写が確認されている本作の主題は、復活の日に二人の弟子がエマオに向かう道中に主(イエス)と出会い、主(イエス)だと気付かぬまま夕食を共にするも、食卓でパンを分け祝福する姿から主(イエス)であることに気付く場面を描いた≪エマオの晩餐≫で、初期作品の特徴である食卓の果物の写実的な描写や、正確な光源による光の色彩、迫真性を増す人物表現など画家の才能が余すところなく示されている。またカラヴァッジョはローマ滞在の最末期に、より伝統的な構図を用いて再度『エマオの晩餐』を描いている。

関連:ブレラ美術館版『エマオの晩餐』

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トランプ詐欺師 (Bari) 1598年頃
90×112cm | 油彩・画布 | キンベル美術館(フォート・ワース)

バルベリーニ一族のシャルラ家が旧蔵しているも、その後、長く行方不明とされていたが、近年再発見され、現在はフォート・ワースのキンベル美術館が所蔵しているカラヴァッジョの代表的な風俗画『トランプ詐欺師』。長くその所在が知れず、幻とされてきた本作の発見は、当時、美術界は元より世間一般の注目をも集めた。トランプに興じる身なりの良い若い青年とテーブルを挟み、手前の羽帽子は後ろに手をまわし、今まさにイカサマをおこなわんとする劇的な一瞬の緊張感を、カラヴァッジョは巧みな光の使用により演出している。また本作と同主題をフランス古典主義の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールも描いている。

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聖トマスの懐疑 (Incredulita di san Tommaso) 1599年頃
107×146cm | 油彩・画布 | サンスーシ宮国立美術館

カラヴァッジョが残した、忘れがたい傑作のひとつ『聖トマスの懐疑』。本作の主題は、キリスト十二弟子の中で唯一イエスの復活を目撃していない聖トマスが「主の傷痕に指を差し入れるまで復活を信じない」と、その復活を否定した八日後、聖トマスの前にイエスが現れ自らの傷痕に聖トマスの指を差し入れる場面≪聖トマスの懐疑(聖トマスの不信)≫を描いたもので、画面の中に凝縮されたイエス、聖トマスと二人の弟子の配置は、見る者が本作の主題を違和感なく注視させることに見事成功している。また本作はカラヴァッジョの作品の中で最も模写された作品のひとつで、17世紀に描かれたものだけで22点の存在が確認されているほか、本作の客観的な自然観察による主題の描写はスペイン絵画の巨匠ベラスケスへの影響も指摘されている。

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聖マタイの召命 (Vocazione di san Matteo)
1600年 | 322×340cm | 油彩・画布 |
サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂(ローマ)

イタリアバロック絵画の巨匠カラヴァッジョの代表作であり、コンタレッリ礼拝堂聖マタイ連作画のひとつ『聖マタイの召命』。主題は、徴税人であったマタイが収税所で机に向かっているところに、キリストが自分に付き添うよう呼びかける場面の≪聖マタイの召命(本場面で呼びかけられる聖マタイとはキリスト教十二使徒のひとりであり、後に≪マタイ福音書≫の著者とされ、4人の福音書記者のひとりとして描かれる場合も多い)≫。画面左側には聖マタイを指差し、弟子に指名する主イエスが配されている。そして画面中央から右側にかけては聖マタイを始め収税所に集う複数の人物が配されており、本作中に登場する人物で聖マタイと解釈できる者は、指を指す髭を生やした初老の男、うなだれて金貨を見つめる男など複数人存在しているが、現在では画面左端のうなだれる男が聖マタイであると位置付けられている。本作では画家の独自的な表現様式である光と陰の強い対比(コントラスト)を用いることにより、伝統的なこれまでの絵画では例に無いほどの緊迫感を醸し出すことに成功している。なおコンタレッリ礼拝堂聖マタイ連作壁画は祭壇画である『聖マタイと天使』と、壁面左に配される本作『聖マタイの召命』、壁面右に配される『聖マタイの殉教』から構成される。

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聖マタイの殉教 (Martirio di san Matteo)
1600年 | 323×343cm | 油彩・画布 |
サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂(ローマ)

イタリアバロック絵画の巨匠カラヴァッジョの代表作であり、コンタレッリ礼拝堂聖マタイ連作画のひとつ『聖マタイの殉教』。同じくカラヴァッジョの代表作『聖マタイの召命』の対面に配置される本作は、聖マタイの生涯よりその殉教の場面≪聖マタイの殉教≫を描いた作品で、暗中に渦巻く人々の混乱と恐怖を殆ど背景を描かずに、人物の配置のみで空間構成をおこなっていることなど、それまでのカラヴァッジョ作品には見られなかった新たな表現方法が試みられている。また聖マタイを襲う刺客の左に描かれる髭の男性は、画家の自画像と指摘されている。

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聖マタイと天使 (San Matteo e angelo)
1602年 | 295×195cm | 油彩・画布 |
サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂(ローマ)

イタリアバロック絵画の巨匠カラヴァッジョの代表作であり、コンタレッリ礼拝堂聖マタイ連作画のひとつ『聖マタイと天使』。本作は中央祭壇画として描かれたもので、主題は聖マタイが出現した天使にスコラ哲学を教授される場面を描いた≪聖マタイと天使≫で、出現した天使を目撃し驚愕する、写実的に描かれた聖マタイの表情と渦を巻くような天使の衣服の表現が暗中に浮かび上がり、深い精神性と聖性をみせている。また本作は当初、納品する予定であった第1ヴァージョンが、聖マタイの組まれた足が見る者の頭上に乗せられているようだと注文主から受け取りを拒否された為に再度、同主題を描いた第2ヴァージョンとなる(第1ヴァージョンは第二次世界大戦の戦火で焼失した)。

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聖パウロの回心 (Conversione di sa Paolo)
1600年 | 230×175cm | 油彩・画布 |
サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂

サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂のために制作された『聖パウロの回心』。対画である『聖ペテロの磔刑』と共に同礼拝堂へ収められる本作は、一世紀にキリスト教の布教に努め、後にキリスト十二使徒として数えられた「小さいもの」を意味する≪聖パウロ≫を描いたもので、本場面は聖パウロがまだサウロと呼ばれていたユダヤ教徒の時代に、キリスト教弾圧のためにダマスクスへ向かう道中に、突然天からの光に照らされキリストの声を聞く劇的な一瞬を捉えたもので、暗中に浮かび上がる聖パウロの驚きと躍動感は、まさに画家独自の様式による表現手法にほかならない。また本作は一度受け取りを拒否され再度描き直された第2作目であり、人物が複雑に絡み合うマニエリスムの特徴とロンバルディア的風景表現を色濃く示す第1作目はローマのオデスカルキ・コレクションに所蔵されている。

関連:第1作目『聖パウロの回心』
関連:『聖ペテロの磔刑』

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聖ペテロの磔刑 (Crocifissione di San Pietro)
1600年 | 230×175cm | 油彩・画布 |
サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂

サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂のために制作された『聖ペテロの磔刑』。対画である『聖パウロの回心』と共に同礼拝堂へ収められる本作は、実弟アンデレと共にガラリヤの地で漁師をしているところに主イエスより使命され、キリストの最初の弟子になる、主の昇天後は皇帝から迫害を受けながらもエルサレムやローマで布教活動をおこない、最後はネロ帝によって殉教した≪聖ペテロ≫の磔刑の場面を描いたもので、逆十字架に架けられる聖ペテロや刑の執行人など場面の必要要素以外を殆ど排除した、カラヴァッジョの大きな特徴を備えていることに加え、聖ペテロの聖性をも排除する労働者的な貧困表現や、場面を人物の運動性のみによって示す独特の表現によってカラヴァッジョを代表する作品へと昇華させている。また本作は収められるはずであった第1作目が、同聖堂から受け取りを拒否された為に描かれた第2ヴァージョンであると推測されている。

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ダヴィデとゴリアテ (Davide e Golia) 1599年頃
110×91cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

カラヴァッジョによる単身像作品の傑作のひとつ『ダヴィデとゴリアテ』。本作の主題は、旧約聖書からエッサイの末息子で士師サムエルより香油を塗られし竪琴の名手ダヴィデが、敵対していたペリシテ軍の屈強な闘士ゴリアテの額を投石によって打ち、うつむけに倒れたところで首を刎ねる場面≪ダヴィデとゴリアテ≫を描いたもので、ルネサンス期の表現に極めて類似する知性によって勝利した青年ダヴィデを斜形に配するなど大胆な表現が大きな特徴である。また本作については真作と考えない研究者も多く、現在も真贋論争が続いている。

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キリストの埋葬 (Deposizione nel sepolcro) 1600年
300×203cm | 油彩・画布 | ヴェティカン宮美術館(ローマ)

稀代の画家カラヴァッジョの最も有名な作品のひとつ『キリストの埋葬』。元々サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂内礼拝堂のために描かれ、現在はヴェティカン宮美術館に所蔵される本作の主題は、磔刑に処され死したイエスの肉体を、ゴルゴダの丘の麓の小さな園に岩を掘らせて建てた墓へ埋葬する場面≪キリストの埋葬≫を描いたもので、カラヴァッジョのローマ滞在での作風の変化が示されている。それは徹底した写実性から、ある種の古典的様式への変貌であり、強い光によって闇に浮かび上がるイエスの亡骸や、亡骸を運ぶアリマタヤのヨセフやニコデモ、聖母マリアを始めとする聖女たちの浮き彫りを感じさせる表現は、これまでのカラヴァッジョには見られない新たなる一面、つまりは彫刻的な人物描写を意味している。とは言え、カラヴァッジョは写実の全てを捨てたわけではなく、ニコデモの足などが示すよう写実による場面と感情の追求も示されている。また本作は当時より既に名作としての地位を築いており、若きルーベンスによる『キリストの埋葬』の模写も残されている。

関連:ルーベンスによる『キリストの埋葬』の模写

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アモルの勝利 (Amore vittorioso) 1602年
156×113cm | 油彩・画布 | ベルリン国立美術館

描かれた当時より名画として名を馳せたカラヴァッジョ最大の傑作のひとつ『アモルの勝利』。ジュスティアーニ侯爵の依頼により制作された本作は、俗世間を軽蔑し勝ち誇る笑みを浮かべる愛の神アモル(キューピッド)を描いたもので、死や時間に縛られるが故に一時の享楽に溺れる人間全てに対する軽蔑の眼差しと笑みを浮かべた自由な愛の神の表現は、見る者の心象を大きく揺さ振り動揺させる。また本作と対をなす作品『天上のキューピッド』を、同じくジュスティアーニ侯爵の依頼により描いたジョヴァンニ・バリオーネはカラヴァッジョを告訴するほか、カラヴァッジョに関する伝記も残しており、画家の研究には欠かせない重要な人物のひとりである。

関連:ジョヴァンニ・バリオーネによる『天上のキューピッド』

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イサクの犠牲 (Sacrificio d'Isacco) 1603年頃
104×135cm | 油彩・画布 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

カラヴァッジョの類稀なる傑作『イサクの犠牲』。本作の主題はイスラエルの民の祖アブラハムと妻サラの間に生まれた待望の息子イサクを父なる神の意志に従い激しい葛藤の末、天へ捧げようとするアブラハムを描いた≪イサクの犠牲≫で、ヴェネツィア派の巨匠ジョルジョーネの影響が顕著な背景に大きく配置された登場人物の劇的な一瞬を捉えた迫真の表現は、名門バルベリーニ家も旧蔵していたことからもわかるよう、時代を代表する傑作として広く世に知られている。また本作の制作年については1603年頃とする説を始め、1596年頃とする説、1608年頃とする説など現在も議論が続いている。

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ロレートの聖母(巡礼者の聖母)
Madonna di Loreto (Madonna dei pellegrini) 1604年頃
260×150cm | 油彩・画布 | サンタゴスティーノ聖堂(ローマ)

傑作『ロレートの聖母(巡礼者の聖母)』。カラヴァッジョの自然主義的写実性と深い感情表現が見事に示される本作は、ロレートの町の聖なる家とそこに住まう聖母子を描くよう依頼された祭壇画であるが、本作においてその主題は微かに暗示されるだけの表現で留めてられており、カラヴァッジョは徹底して庶民的な母子と巡礼者の姿を描いている。本来の聖母子像とはかけ離れた簡素な光輪によって示される聖母子の姿は、それによって非常に慎ましやかな雰囲気が画面全体に溢れ、当時批難の的となった巡礼者の綻んだ頭巾や、見る者の方に向けられた泥に塗れる足裏は、質素でありながら豊かな聖性が感じられる。また本作で描かれる聖母マリアは、33歳のカラヴァッジョが当時の公証人パスクアローネを襲撃し、大怪我を負わせる原因となった娼婦マッダレーナ・アトニエッティがモデルとされている。

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聖母の死 (Morte della Madonna) 1605-1606年
363×245cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

カラヴァッジョ作『聖母の死』。この画家の全作品において特に白眉の完成度を見せる本作の主題は、大天使ミカエルから自身の臨終を聖告され、今一度、息子イエスの弟子達に会いたいと願い、皆が雲に乗って集まった中、三日後にその時を迎えた場面≪聖母の死≫を描いたものであるが、本作では、それまでこの主題で描かれてきた象徴的な死を描いたものではなく、極めて現実的な死の場面をまざまざと描き、著しく品性に欠けるとして依頼主であるローマのサンタ・マリア・デラ・スカーラ聖堂から受け取りを拒否された逸話が残されている。臨終に服した聖母の身体は浮腫み血色は色褪せ、素足を晒している。現代では、この主題≪聖母の死≫の圧巻の迫力と劇的な描写や表現は数々の研究者より賞賛されているものの、このあまりにも現実を感じさせる死の表現は、当時の人々の感情と恐怖を煽り批難と嫌悪を募らせた。また受け取りを拒否された後、本作の隠された高尚な性格を見抜いたルーベンスの仲介によって、マントヴァのゴンザーガ家によって購入された来歴が残されている。

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執筆する聖ヒエロニムス (San Gerolamo scrivente)
1605-1606年頃
112×157cm | 油彩・画布 | ボルゲーゼ美術館(ローマ)

カラヴァッジョの類稀な画才がよく示される傑作『執筆する聖ヒエロニムス』。ローマのボルゲーゼ美術館に所蔵される本作の主題は、ラテン教会四大博士のひとりで、ローマで神道を学んだ後19歳で洗礼を受け、シリアの砂漠で数年間隠修生活をおくり数々の誘惑に打ち勝ったほか、聖パウラを弟子にしウルガタ聖書の翻訳をおこなった聖人≪聖ヒエロニムス≫を描いたものであるが、横長の構図に浮かび上がる聖ヒエロニムスの纏う赤い衣の劇的な使用方法は、画家の代表作『聖母の死』などでも用いられるよう、ガラヴァッジョ作品の大きな特徴であり、この退屈になりがちな主題を見事に印象深い作品へと昇華させている。なおカラヴァッジョは晩年にサン・ジョヴァンニ大聖堂の主祭壇画として手がけた最高傑作『洗礼者聖ヨハネの斬首』と共に同主題を描いたのを始め、生涯において本主題の作品を複数描いていることが知られている。

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ロザリオの聖母 (Madonna del rosario) 1606-1607年頃
364.5×249.5cm | 油彩・画布 | ウィーン美術史美術館

カラヴァッジョが手がけた祭壇画の代表作のひとつ『ロザリオの聖母』。本作は1606年から1607年にかけて、ドメニコ修道会聖堂のために制作された作品で、創始者聖ドミニクスが最初におこなったロザリオを用いる祈祷から、同修道会の代表的な聖母子像される≪ロザリオの聖母≫を主題に描いている。本作ではロザリオの聖母子像の伝統的な図像を配しながらも、カラヴァッジョ作品の大きな特徴である大きな赤布による画面の引き締めや、聖母子を中心に左右のドメニコ会修道士で構成される巨大な三角形の構図によってもたらされた、伝統に反する新たな祭壇画像に、画家の類稀なる才能を感じさせる。また描かれた時期については傑作『慈悲の七つのおこない』のすぐ後に制作しているとする説も唱えられている。

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慈悲の七つのおこない 1607年頃
(Sette opere di Misericordia) | 390×260cm
油彩・画布 | ピオ・モンテ・デラ・ミゼリコルディア聖堂

カラヴァッジョの全作品中、最も複雑な構図で描かれた傑作『慈悲の七つのおこない』。殺人罪によりナポリへと逃亡したカラヴァッジョが同地でピオ・モンテ・デラ・ミゼリコルディア同信会の依頼により制作された本作は≪マタイ福音書≫に由来する≪慈悲の七つのおこない≫を主題に描かれたもので、各場面をひとつの場面の中に配するという極めて斬新な構図が取られている。各場面は複雑に交錯しながらも、カラヴァッジョの自然主義的写実性で描写された誇張されない事象は明確に表現されており、わずか数ヶ月の滞在中に、圧倒的な知性と創造力によって描かれた本作は、バッティスチッロやフセペ・デ・リベーラなどナポリ派の画家たちに多大な影響を与えた。また『慈悲の七つのおこない』は、右部の≪死者の埋葬≫と≪囚人の慰問、食物の施与≫、中央の≪衣服の施与≫、左部の≪病気の治癒≫、≪巡礼者の歓待≫、≪飲物の施与≫と構成されている。

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キリストの笞打ち (Flagellazione) 1607年頃
286×213cm | 油彩・画布 | カポディモンテ国立美術館

カラヴァッジョがナポリ滞在時に残した代表的な作品のひとつ『キリストの笞打ち』。サン・ドメニコ聖堂のために制作され、現在は作品保存のためにカポディモンテ国立美術館へ所蔵されている本作の主題はユダヤの民を惑わしたとして捕らえられたイエスが、総督ピラトの命によって笞打ち(鞭打ち)の刑に処される場面≪キリストの笞打ち≫で、16世紀前半を代表する画家セバスティアーノ・デル・ピオンボの傑作『キリストの鞭打ち』の捻れの強いマニエリスム的な人物表現の再構成が示されており、鞭に打たれるイエスと刑執行人の大胆で躍動的な運動性に、あいまいさの残る輪郭線と強い光彩による劇的な場面描写を加えることによって、礼拝堂の祭壇画として信者を圧倒する効果を生み出している。また本作の制作年代についてはナポリの初滞在時に制作したとする説のほか、死の直前である2度目の滞在した数ヶ月間に手がけられたとする説が唱えられており、現在も研究者の間で論争が続いている。

関連:セバスティアーノ・デル・ピオンボ作『キリストの鞭打ち』

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洗礼者聖ヨハネの斬首 (Decollazione del Battista) 1608年
361×520cm | 油彩・画布 | サン・ジョヴァンニ聖堂(マルタ島)

カラヴァッジョ最大の傑作『洗礼者聖ヨハネの斬首』。殺人を犯しローマから逃亡したカラヴァッジョが逃亡先のマルタ共和国で画家としてのカラヴァッジョの名声の高さから騎士団長の肖像画を描き、騎士に任命された直後に団長より『執筆する聖ヒエロニムス』と共に依頼されサン・ジョヴァンニ大聖堂付属祈祷所のために制作した本作は、神の子イエスに洗礼を施した洗礼者であり、旧約聖書における最後の予言者でもある≪洗礼者聖ヨハネ≫がユダヤの民を惑わしたとの罪で投獄される中、ヘロデ王の娘サロメが王の前で踊りその褒美として洗礼者聖ヨハネの首を求めたことから、聖ヨハネが斬首される場面≪洗礼者聖ヨハネの斬首≫を描いたもので、晩年期の作品の大きな特徴である和らいだ色調の中へ随所にハイライトを用いる光彩の表現や人物の大部分を左へ配することによって緊張感に満たされた絶妙な空間構成のほか、聖書の一場面に16世紀当時の牢獄を描くなど、至る所にカラヴァッジョの画家としての偉才が示されている。また他の作品とは異なる本作の特異点として、斬首される洗礼者聖ヨハネの首からの流血で「F・ミケランジェロ」と画家の本名が記されている(Fは「騎士」又は「同胞」、「描く」を意味しているとされている)。なお作品完成から数ヶ月後、マルタ共和国で再び殺人を犯し逃亡するもまもなく逮捕され、本作の前で画家自身が斬首刑を言い渡された実話も残されている。

関連:大聖堂付属美術館版『執筆する聖ヒエロニムス』
(※現在はサン・ジョヴァンニ大聖堂付属美術館が所蔵)

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Work figure (作品図)

◆メドゥーサの首(自画像)
1598年頃 | 油彩・画布 | 60×55cm | ウフィツィ美術館
       

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