Description of a work (作品の解説)
2007/11/03掲載
Work figure (作品図)
■ 

1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺

 1814年
(El 3 de Mayo de 1808. Fusilamientos en la montaña del Príncipe Pío)
266×345cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤが制作した、西洋絵画史上、最も有名な戦争画のひとつ『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』。本作は『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』後、1808年5月2日夜間から翌5月3日未明にかけてマドリッド市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描いたものである。処刑は市内の幾つかの場所で行われたが、本場面は女性や子供を含む43名が処刑されたプリンシペ・ピオの丘での銃殺を描いたもので、真贋定かではないが丘での処刑を「聾者の家」で目撃したゴヤが憤怒し、処刑現場へ向かい、ランタンの灯りで地面に転がる死体の山を素描したとの逸話も残されている。銃を構える銃殺執行隊は後ろ向きの姿で描かれ、その表情は見えない。それとは対照的に今まさに刑が執行されようとしている逮捕者(反乱者)たちは恐怖や怒り、絶望など様々な人間的感情を浮かべている。特に(本場面の中でも印象深い)光が最も当たる白い衣服の男は、跪きながら両手を広げ、眼を見開き、執行隊と対峙している。この男の手のひらには聖痕が刻まれており、観る者に反教会的行為に抵抗する殉教者の姿や、磔刑に処される主イエスの姿を連想させ、反乱者の正当性を示しているのである。また画面奥から恐怖に慄く銃殺刑を待つ人々の列の≪生≫、銃を向けられる男たちの≪生と死の境界線≫、血を流し大地に倒れ込む男らの死体の≪死≫と、絵画内に描かれる≪生≫と≪死≫の強烈な時間軸は観る者の眼を奪い、強く心を打つ。ゴヤは本作を含む対仏反乱戦争を画題とした油彩画を4作品制作したと考えられている(4点中2点『王宮前の愛国者たちの蜂起』『砲廠の防衛』は現在も所在が不明)ほか、版画集≪戦争の惨禍≫の中で本場面を画題とした版画も制作された。なお本作は印象派の巨匠エドゥアール・マネが『皇帝マクシミリアンの処刑』手がける際に強いインスピレーションと影響を与えたことが知られている。

関連:ゴヤ作 『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』
関連:エドゥアール・マネ作 『皇帝マクシミリアンの処刑』


【全体図】
拡大表示
跪きながら両手を広げ、眼を見開き執行隊と対峙する男。本作は1808年5月2日夜間から翌5月3日未明にかけてマドリッド市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によってプリンシペ・ピオの丘で女性や子供を含む43名の反乱者が銃殺刑に処された場面を描いたものである。



【眼を見開き執行隊と対峙する男】
白い衣服の男の手のひらに刻まれる聖痕。本場面の中でも印象深い、光が最も当たる白い衣服の男は、観る者に反教会的行為に抵抗する殉教者の姿や、磔刑に処される主イエスの姿を連想させ、反乱者の正当性を示しているのである。



【男の手のひらに刻まれる聖痕】
後ろ向きの姿で描かれる銃を構える銃殺執行隊。ゴヤは本作を含む対仏反乱戦争を画題とした油彩画を4作品制作したと考えられている(4点中2点『王宮前の愛国者たちの蜂起』『砲廠の防衛』は現在も所在が不明)ほか、版画集≪戦争の惨禍≫の中で本場面を画題とした版画も制作された。



【銃を構える銃殺執行隊】

Salvastyle.com 自己紹介 サイトマップ リンク メール
About us Site map Links Contact us

homeInformationCollectionDataCommunication
Collectionコレクション
作品イメージ