Description of a work (作品の解説)
2007/11/03掲載
Work figure (作品図)
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1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘

 1814年
(El 2 de Mayo de 1808. Lucha contra los mamelucos)
266×345cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤによる戦争画の代表作『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』。本作は皇帝ナポレオンが率いるフランス軍(とエジプト人で構成される奴隷傭兵親衛隊)による、スペインへの侵攻と武力統制に対してマドリッド市民が起こした、ソル広場での反乱(抵抗)と暴動の様子を描いた作品である(反乱はその後、対仏独立戦争に発展)。本作は1814年、フランス軍のスペイン国内からの撤退後にゴヤが「ヨーロッパの暴君(ナポレオン)に対する我々スペイン人の輝かしく誉れある反乱の、最も注目すべき英雄的行為の場面を絵画にて永遠に残すため」との嘆願書を摂政府へ提出したことによって制作された作品である。この嘆願書は(画家本人によれば)生活が逼迫していたゴヤが政府へ経済的援助を求めたものでもあった(なおゴヤは戦乱当時、国外脱出を望んでいたとの報告も残されている)。また国王フェルナンド7世の復位・凱旋の記念としてのほか、反乱活動への扇動と鼓舞の意味(プロパガンダ)でも、一連の対仏独立戦争は、民官双方から望まれた画題であり、この対仏独立戦争を画題として数多く作品を制作した当時の画家たち同様、ゴヤは確固たる決意と威信を懸けて本作に取り組んだ。本作はマドリッド市民の反抗と暴動を描いたものであるが、最も特筆すべき特徴は市民とエジプト人親衛隊の戦闘の場面そのものを突起させ描いた点にある。本作には主役となる描写対象は存在せず、画面の中に描かれるのは、ただ勝敗の行方がわからぬ状況で続けられる人々の闘争の姿で、(主となる対象のいない)そこには画家が嘆願書で述べた≪英雄的行為≫が名もなき市民らによって行われたというゴヤの意図がこめられている。なお本作はフランスロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワが1830年に手がけた戦争画『民衆を率いる自由の女神』に強い影響を与えたことが知られている。

関連:ゴヤ作 『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』
関連:ウジェーヌ・ドラクロワ作 『民衆を率いる自由の女神』


【全体図】
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騎乗でマドリッド市民の反乱に対抗するエジプト人親衛隊。本作は皇帝ナポレオンが率いるフランス軍(とエジプト人で構成される奴隷傭兵親衛隊)による、スペインへの侵攻と武力統制に対してマドリッド市民が起こした、ソル広場での反乱(抵抗)と暴動の様子を描いた作品である。



【反乱に対抗するエジプト人親衛隊】
組み合い闘争するマドリッド市民とフランス軍のエジプト人。本作は1814年、フランス軍のスペイン国内からの撤退後にゴヤが「ヨーロッパの暴君に対する我々スペイン人の輝かしく誉れある反乱の場面を残すため」との嘆願書を摂政府へ提出したことによって制作された作品である。



【組み合うマドリッド市民とフランス軍】
この暴動で死した名もなき市民。本作には主役となる描写対象は存在せず、それがない本場面には画家が嘆願書で述べた≪英雄的行為≫が名もなき市民らによって行われたというゴヤの意図がこめられている。



【この暴動で死した名もなき市民】
反乱の壮絶さを物語る陰惨な描写。国王フェルナンド7世の復位・凱旋の記念としてのほか、反乱活動への扇動と鼓舞の意味(プロパガンダ)でも、一連の対仏独立戦争は、民官双方から望まれた画題であり、この対仏独立戦争を画題として数多く作品を制作した当時の画家たち同様、ゴヤは確固たる決意と威信を懸けて本作に取り組んだ。



【反乱の壮絶さを物語る陰惨な描写】

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