Description of a work (作品の解説)
2008/09/08掲載
Work figure (作品図)
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風神雷神図屏風

 (Wind God and Thunder God Screens)
1820年(文政3)頃と推測
各170.7×170.2cm | 2曲1双・紙本金地着色 | 出光美術館

江戸琳派の創始者、酒井抱一作『風神雷神図屏風』。本作は琳派の中で最も重要な絵師のひとりであり、抱一自身も強く影響を受けていた尾形光琳による俵屋宗達の模写作品『風神雷神図屏風』を写した作品である。抱一は原図となる宗達の『風神雷神図屏風』は見たことが無く、あくまでも光琳の『風神雷神図屏風』がオリジナルであると考え、その模写をおこなったと推測されている。本作で最も注目すべき点は、より平面性と擬人化が誇張された象徴・模様化の顕著な神々の描写にある。画面右側に描かれる風を靡かせながら降りてくる風神の姿は光琳の描く風神の姿と比較すると、身体を構成する色面や輪郭線、顔面部分を始めとする各形態の表現が明らかに簡略化されていることがわかる。それは画面左側に描かれた雨雲に乗り地上へ雷雨を運ぶ雷神も同様であり、その描写からは原図である宗達の『風神雷神図屏風』には存在していた濃密な神格性や威厳性を見出すことはできず、さらに顔面部分のまるで邪鬼を思わせるような、卑俗にすら感じられるにやりと笑みを浮かべた軽薄な表情も手伝って、むしろある種の人格化された漫画的な印象すら受ける。これらは原図を知らないが故(模写の模写)であることを考慮すると致し方ないことであり、それらを除けば本作には江戸琳派独特の洒脱性や、より顕著になる装飾性など抱一の光琳に対する賛辞的な研究や独自の美意識・趣味性が良く表れている。なお抱一は光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に、『夏秋草図屏風』を表装したことが知られている(ただし現在は分離されている)。

関連:俵屋宗達筆 『風神雷神図屏風』
関連:尾形光琳筆 『風神雷神図屏風』


【全体図】
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【参考:光琳筆『風神雷神図屏風』部分】
より簡略化された表現。本作と光琳の『風神雷神図屏風』と比べると、身体を構成する色面や輪郭線、顔面部分を始めとする各形態の表現がより平面的で模様化されている。



【風神部分拡大図】

【参考:光琳筆『風神雷神図屏風』部分】
顔面部分のまるで邪鬼を思わせるような、卑俗にすら感じられるにやりと笑みを浮かべた軽薄な表情には、ある種の人格化された漫画的な印象すら受ける。



【雷神部分拡大図】

【参考:光琳筆『風神雷神図屏風』部分】
抱一は原図となる宗達の『風神雷神図屏風』は見たことが無く、あくまでも光琳の『風神雷神図屏風』がオリジナルであると考え、その模写をおこなったと推測されている。



【たらし込み部分拡大図】

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