Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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酒井抱一 Sakai Hoitsu
1761-1829 | 日本 | 江戸琳派・絵師




江戸時代後期を代表する江戸琳派の創始的絵師。伝統的な大和絵を祖とする雅で装飾性豊かな琳派的表現と、江戸文化独特の叙情性や粋を凝らした瀟洒な美意識、文学趣味などを融合させた独自の様式、所謂≪江戸琳派≫を確立。現在では俵屋宗達尾形光琳に続く琳派の代表的な絵師として広く認知されている。また酒井抱一は後年、≪光琳百回忌≫を営むほど尾形光琳へ強く傾倒し、自身の作品にもそれらが如実に表れているが、抱一自身は狩野派や南蘋派、円山四条派、土佐派など様々な流派を研究している。名門武家である姫路城主酒井家の次男として1761年(宝暦11)に生まれ、多趣味であった大名茶人の兄・酒井忠以の影響で俳諧や能楽、書画、茶、狂歌、浮世絵など様々な文化に親しみながら(兄の庇護もあり)20代まで奔放な生活を送り文化人としての素養を身に着ける(抱一は生涯で太田南畝・谷文晁・亀田鵬斎・市川団十郎など多くの文化人とも交友を重ねている)。1790年、兄・忠以の死により独自の道を歩むようになるが上洛や出家、3度の転居など1800年頃まで模索の日々が続く。1801-04年頃(寛政期半ば)から、かつて酒井家から庇護を受けていた尾形光琳を知り、強く影響を受けながら(後に江戸琳派と呼ばれる)自身の様式を後年〜晩年期にかけて会得・確立してゆく。1809年、雨華庵(金杉村大塚の庵)に移住。没するまでの20年間を同場所で過ごし、生涯中、最も充実した画業(文化的活動)生活を送る。1815年(文化12)光琳百回忌として遺作展を開催するほか、光琳百図前編を刊行(後編はその10年後に刊行)。1829年、68歳で死去。なお抱一の弟子(門人)には鈴木其一、池田孤邨など高名な絵師が多数いる。代表作は『夏秋草図屏風』、『月に秋草図屏風』、『十二ヶ月花鳥図』、『四季花鳥図屏風』など。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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風神雷神図屏風

 (Wind God and Thunder God Screens)
1820年(文政3)頃と推測
各170.7×170.2cm | 2曲1双・紙本金地着色 | 出光美術館

江戸琳派の創始者、酒井抱一作『風神雷神図屏風』。本作は琳派の中で最も重要な絵師のひとりであり、抱一自身も強く影響を受けていた尾形光琳による俵屋宗達の模写作品『風神雷神図屏風』を写した作品である。抱一は原図となる宗達の『風神雷神図屏風』は見たことが無く、あくまでも光琳の『風神雷神図屏風』がオリジナルであると考え、その模写をおこなったと推測されている。本作で最も注目すべき点は、より平面性と擬人化が誇張された象徴・模様化の顕著な神々の描写にある。画面右側に描かれる風を靡かせながら降りてくる風神の姿は光琳の描く風神の姿と比較すると、身体を構成する色面や輪郭線、顔面部分を始めとする各形態の表現が明らかに簡略化されていることがわかる。それは画面左側に描かれた雨雲に乗り地上へ雷雨を運ぶ雷神も同様であり、その描写からは原図である宗達の『風神雷神図屏風』には存在していた濃密な神格性や威厳性を見出すことはできず、さらに顔面部分のまるで邪鬼を思わせるような、卑俗にすら感じられるにやりと笑みを浮かべた軽薄な表情も手伝って、むしろある種の人格化された漫画的な印象すら受ける。これらは原図を知らないが故(模写の模写)であることを考慮すると致し方ないことであり、それらを除けば本作には江戸琳派独特の洒脱性や、より顕著になる装飾性など抱一の光琳に対する賛辞的な研究や独自の美意識・趣味性が良く表れている。なお抱一は光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に、『夏秋草図屏風』を表装したことが知られている(ただし現在は分離されている)。

関連:俵屋宗達筆 『風神雷神図屏風』
関連:尾形光琳筆 『風神雷神図屏風』

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【全体図】
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夏秋草図屏風

 (Flowering Plants of Summer and Autumn)
1821年(文政4年)
各164.5×182cm | 2曲1双・紙本銀地着色 | 東京国立博物館

江戸時代後期を代表する江戸琳派の絵師 酒井抱一の残した最高傑作のひとつ、重要文化財『夏秋草図屏風』。本作は1821年(文政4年)に将軍家斉の父一橋治済の依頼(古希を迎えた治済の祝辞のため)により、尾形光琳による俵屋宗達の模写作品『風神雷神図屏風』の裏面へ表装として描かれた作品で、現在は剥離、別装されている。本作は表面となる『風神雷神図屏風』と呼応するように制作されており、雷神隻の裏面には≪夕立(雨中)の夏草≫として萎れる若い青薄、その間から顔を覘かせる白百合や仙翁花、すっくと伸びる女郎花など夏の草花が、風神隻の裏面には≪野分(野の草を吹き分ける風)に吹かれる秋草≫として、揺れる薄の穂、葛、蔦紅葉など秋の草花が、神々の司る自然要素を季節に置き換えて描かれている。右隻となる夏草図(雷神の裏面)では青薄・白百合・仙翁花・女郎花が右側(外側)へ傾く三角形を形成するように構成されており、さらにその頂点の先(画面右上)には雨で地上に溜まり流れる水≪潦(にわたずみ)≫が色鮮やかな瑠璃色によって流々と配されている。一方、左隻となる秋草図(風神の裏面)では左側(外側)へ向かって旋律的に靡く(伸びる)ように薄の穂、葛、蔦紅葉が官能性豊かに配されており、その静寂な様子や緊張感を感じさせる雰囲気はどこか秋の夜風を想像させる。さらに本作では『風神雷神図屏風』の豪華明瞭な金地着色への対比として閑寂で侘寂の趣の強い銀地着色が用いられているなど、全ての箇所で動的な『風神雷神図屏風』、そして光琳の美意識に対する敬意を込めた回答が示されている。また画面から滲み出るかのような叙情性や深遠な精神的世界観、それらを明確に浮き立たせる鮮烈な草の緑色、白百合の白色、蔦紅葉の紅色、潦の瑠璃色など本作には雨華庵移住(1809年)以降、抱一が辿り着いた自身の芸術の粋が施されており、今なお観る者を魅了し続ける。

関連:尾形光琳筆 『風神雷神図屏風』

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