Introduction of an artist(アーティスト紹介)
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ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone
1267-1337 | イタリア | ゴシック




絵画の祖とも呼ばれているゴシック絵画最大の巨匠。その作品は後のルネサンス期に活躍した画家に多大な影響を与えると共に、(宗教的)絵画を描く上での基準となった。イタリア絵画の創始者チマブーエがジョットの類稀なる画才を見出したとされ、それまでの宗教画に見られなかった浮き彫り的な空間表現や内面に迫る心理描写など、それまでの様式に革新をもたらし、新たな様式として確立する。初期から晩年にかけ作風(様式)は著しく変化しており、アッシジの壁画などジョット作と伝わっている作品の多くの作者帰属については、現在も議論が続いているものが多い。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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荘厳の聖母(オニサンティの聖母)


(Madonna in Maesta (Ognissanti Madonna)) 1306-10年頃
325×204cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

全ての西洋絵画の祖ジョット・ディ・ボンドーネの傑作『荘厳の聖母』。元々はフィレンツェのオニサンティ聖堂の主祭壇画として制作された本作は、玉座に聖母マリアと幼子イエスを描き、その左右に複数人の聖人を配する祭壇画(宗教画)独特の図式≪聖会話≫を主題とする祭壇画の原型になった作品であると共に、西洋絵画の祖と称されるジョットを研究する上での基準作品ともなっており、西洋美術史上最も重要な作品のひとつとして広く認知されている。中央の玉座に描かれた荘厳な聖母マリアは、それまでの平面(様式)的に描かれることが通常であった聖母子像から、画家は劇的なまでに聖母と幼子イエスの内面性まで深く表現されている。さらに周囲に集まる聖者たちに祝福のポーズで応える幼子イエスは、過去の絵画様式とは全く異なり、威厳の中にもキリストの神秘性と不可侵性を表現している。また本作には教会堂建築が主で、リブ-ボールト(肋骨穹窿)・バットレス(控え壁)・尖頭アーチを構成要素とし、広い窓、高い尖塔や尖頭アーチなどの垂直線から生じる、強い上昇効果を特徴とした12世紀中頃北フランスに始まる一大様式で、数十年の後に諸外国へ伝達し、それぞれの国で独自の発展を遂げた≪ゴシック様式≫の美が明確に示されている。

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聖痕を受ける聖フランチェスコ


(Stimmate di san Francesco) 1290-1300年代
312×162cm | テンペラ・板 | ルーヴル美術館(パリ)

14世紀イタリアの巨匠ジョット・ディ・ボンドーネとその工房の代表的作品のひとつ『聖痕を受ける聖フランチェスコ』。かつてはピサのサン・フランチェスコ大聖堂の主祭壇画として制作され、同地のサンタ・ニッコロ聖堂(と墓地=カンポサント)を経て、現在はパリのルーヴル美術館に所蔵される本作は、裕福なアッシジ商人の放蕩息子でありながら信仰に目覚め、旅の途中で出会った三人の乙女の幻から清貧、純潔、貞淑を旨とする聖フランシスコ会を創始した名高き聖人≪聖フランチェスコ≫の伝説を主題とした作品で、同主題を描いた著名なアッシジ聖堂身廊の28面フレスコ画からの構図的引用がプレデッラ部分に認められる。本作は聖フランチェスコが晩年、50日間の断食後に体験した脱魂時に有翼(6翼)のセラフィムを通じて主イエスと同じ聖痕を受けたとされる逸話の場面が描かれており、画面中央やや左側へセラフィムの登場に驚きの仕草を示す聖フランチェスコが、その対角線上となる画面右上には主イエスを連想させる6翼のセラフィムが己の両手足と脇腹に刻まれる聖痕を聖人へ授ける(印す)姿が描き込まれている。本作の明確で力強い輪郭線描写や登場人物の量塊感、構成要素の絶妙な配置などには画家の主題(又は絵画)に対する現実的傾向がよく示されており、同時期の画家の様式を研究する上でも重要視されている。なお主題図部分に関してはジョット自身が主要を手がけているのに対し、下部のプレデッラ部分(左から『イノセント3世の夢』『教皇による会則の許可』『小鳥への説教』)は弟子の手によると考えられている。

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ヨアキムの夢(スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作)


(Sogno di Gioacchino) 1304-1306年
200×185cm | フレスコ | スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)

偉大なる西洋絵画の始祖ジョット・ディ・ボンドーネの最重要作品群スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作より『ヨアキムの夢』。本作は裕福な野心家エンリコ・スクロヴェーニの依頼により、同氏が建てたサンタ・マリア・アヌンツィアータ聖堂(アレーナ礼拝堂とも呼称されている)の壁面装飾として制作された、ヨアキム伝、聖母マリア伝、キリストの生涯、善徳の寓意像、悪徳の寓意像、最後の審判から構成される宗教画のひとつで、ヨアキム伝第5場面≪ヨアキムの夢≫を主題とした作品である。本主題≪ヨアキムの夢≫は、聖母マリアの父として知られる老父ヨアキムが神殿から子供がいないことを理由に生贄を捧げることを拒絶され、絶望の後に羊飼いら暮らす荒野へ身を隠すが、そこで妻アンナが子供(聖母マリア)を授かると宣告する天使の夢を見る場面で、本作の静謐で精神性深い場面表現は特に注目すべき点である。また画面右下へ配される老ヨアキムの立体的かつ一朶的な描写と、その対角線上に位置する聖告の天使の浮遊的な描写との対比、さらにこのヨアキム・天使と呼応するかのように配置される右上の岩山と左下の羊飼いらの構成による絶妙な全体の均衡性にも目を向けるべきである。

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金門での出会い(スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作)


(Incontro Porta Aurea) 1304-1306年
200×185cm | フレスコ | スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)

イタリア絵画の始祖的存在ジョット・ディ・ボンドーネの重要な基準作であり、同時に画家の最高傑作であるスクロヴェーニ礼拝堂壁画連作より『金門での出会い(黄金門の出会い)』。ダンテの神曲にも登場するパドヴァの高利貸しレジナルドの息子エンリコ・スクロヴェーニが建立したサンタ・マリア・アヌンツィアータ聖堂(スクロヴェーニ礼拝堂、アレーナ礼拝堂とも呼称されている)の装飾画として、同氏からの依頼により制作された壁画連作群(ヨアキム伝、聖母マリア伝、キリストの生涯、善徳の寓意像、悪徳の寓意像、最後の審判)のひとつである本作は、右壁上段に全6点にて構成されるヨアキム伝の中の第6場面≪金門での出会い≫を主題に描いた作品である。本主題≪金門での出会い≫は、長い間、子供を授かることがなかったエルサレムの老夫婦ヨアキムとアンナの話で、夫ヨアキムが神への供物の羊を捧げに神殿へと赴くものの、神殿から子供がいないことを理由に追い返され、途方に暮れた後、羊飼いらの住まう荒野(山)で引き篭もるが、老夫婦の切なる願いを受け入れた父なる神の命により大天使ガブリエルが家で祈りを捧げる妻アンナの下を訪れへ子供(後の聖母マリア)を懐胎することを告げ、またヨアキムもその夢を見て急ぎエルサレムへと帰還し、同地の市門のひとつ≪黄金門≫で両者が再会と受胎を喜び、抱擁・接吻し合う場面である。画面左側に配される夫ヨアキムと妻アンナは金門の前の小橋の上で再会と子供の懐胎を抱擁と接吻によって喜び合っている。またその背後では妻アンナに付き添う女性らが柔らかい微笑みを浮かべている。画面に対して密度の高い人物・建物などの凝集的要素構成や、柔和的な造形、宗教画としての威厳性と絵画的な優美性の高度な融合、人間性に溢れた登場人物らの感情描写などは当時のジョットの卓越した表現様式の典型例であり、今も人々に感動を与え続けるほどの出来栄えである。なお≪金門≫は旧約聖書に登場する預言者エゼキエルが預言した≪閉ざされた門≫と同一視され、このことから聖母マリアの処女性へと解釈されるようになった。

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ユダの裏切り(スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作)


(Tradimento di Giuda) 1304-1306年
150×140cm | フレスコ | スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)

14世紀イタリアで活躍したゴシック期の大画家ジョット・ディ・ボンドーネの最重要作品群スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作より『ユダの裏切り(ユダの接吻)』。その生涯で様式的変化が著しいジョットの数少ない基準作としても特に重要視される本作は、裕福な銀行家の子息エンリコ・スクロヴェーニが建てたアレーナ礼拝堂(正式名サンタ・マリア・アヌンツィアータ聖堂)の装飾フレスコ画として手がけられた作品群の中の1点で、左右壁面中段に描かれる「キリストの生涯」を題材とした24場面中、第13場面≪ユダの裏切り(ユダの接吻)≫を主題とした作品である。新約聖書の4福音書全てに記述が残される本主題≪ユダの裏切り≫は、日々ユダヤの民への影響力を増し続ける神の子イエスを、銀貨30枚を条件に身柄を引き渡す密約をユダヤの司祭らと交わしていた12使徒(イエスの12人の弟子)のひとりユダが、司祭長や兵士らを引き連れゲッセマネ(オリーブ山麓の園)で祈りを終えたイエスと対面し、(司祭らにイエスだということを示す為の)挨拶の接吻をおこなうという内容で、この時、12使徒のひとりでイエスの最初の弟子としても知られる聖ペトロが逆上しユダヤ司祭の僕の耳を切り落としたという逸話も残されている。本作では画面のほぼ中央へ神の子イエスへ接吻をおこなうユダの姿が描かれており、この本来ならば愛情を示す接吻行為そのものが(ユダの)裏切りという罪の重さを強調させる。また両者の周囲には松明や長槍を手にする大勢の兵士ら描き込まれており、その中には受難者イエスの逮捕を指示するユダヤの司祭長(画面右側最前景の人物)や、刃物(小刀)を手に司祭長の僕へ襲いかかろうとする聖ペトロ(画面左側で光輪が描かれる人物)の姿も確認することができる。本作の群集構図的展開の中で身に着ける黄色の外衣(外套)を広げ受難者イエスへ近づくユダの質量的な描写や、凛とした美麗なイエスの表情と裏切りという罪に歪むユダの醜状的な表情の対比などはスクロヴェーニ礼拝堂連作壁画の中でも特に優れた出来栄えを示している。

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キリストの哀悼(スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作)


(Compianto su Cristo morto) 1304-1306年
200×185cm | フレスコ | スクロヴェーニ礼拝堂(パドヴァ)

14世紀イタリアで活躍したゴシック期の大画家ジョット・ディ・ボンドーネの最重要作品群スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作より『キリストの哀悼』。本作はパトヴァの銀行家の子息エンリコ・スクロヴェーニが建立したサンタ・マリア・アヌンツィアータ聖堂(通称アレーナ礼拝堂)の壁面装飾として同氏からの依頼により制作された、ヨアキム伝、聖母マリア伝、キリストの生涯、善徳の寓意像、悪徳の寓意像、最後の審判から構成される宗教画群の中の1点で、キリストの生涯第21場面≪死せるキリストへの哀悼≫を主題とした作品である。本作の主題であるキリストの哀悼はユダヤの民を扇動したとして磔刑に処された受難者イエスの亡骸を聖母マリアやマグダラのマリア、聖ヨハネ、アリマタヤのヨセフ、ニコデモらが囲みながら嘆き悲しむ場面で、本作では画面下部左側に死したイエスの亡骸を抱き悲哀の表情を浮かべる聖母マリアが配されている。さらに本作では受難者イエスの対角線を為すかのように岩山が描き込まれており、その途中(画面ほぼ中央)では聖ヨハネが両腕を大きく広げ主イエスの死に絶望する姿が、さらに山頂となる画面右上には一本の枯れた樹木が配されており、そこから続く上空の天使らへと画面内で見事な視線誘導の施策が講じられている。この空間構成は名高いスクロヴェーニ礼拝堂壁画連作の中でも特に優れた出来栄えを示しており今も観る者を魅了する。また本作でもうひとつ注目すべき点として、登場人物の感情に富んだ表情の多様性にある。特に聖母マリアの我が子の結末を目撃し溢れ出す感情を噛み殺すかのような口元の表現やイエスを見つめる深い視線の感情描写にはジョットの絵画表現の真骨頂を見出すことができる。

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十字架上のキリスト


(Crocifisso) 1300-1305年頃 | 430×303cm
テンペラ・板 | サン・フランチェスコ聖堂(リミニ)

14世紀イタリア絵画最大の巨匠ジョット・ディ・ボンドーネの代表作『十字架上のキリスト』。本作は画家がアドリア海に面する古都リミニへ滞在していた1300年から1305年頃の間に(おそらくは同地のサン・フランチェスコ聖堂のために)制作された、磔刑に処される≪主イエス≫を十字架形の板絵で表現した作品である。画面中央に配される受難者イエスの姿は当時のジョットの表現的特長であるやや彫刻的立体感を残しているが、印象としては苦痛と悲哀に満ちた主の姿というより、薄く微笑を浮かべるかのような独特の精神性の深度を見出すことができる。また本作は1934年に修復が施されているがそれまでの保存状態も良好で、生涯の中でその様式を多様に変化させたジョットの描写的特長を比較的強く見出せる点でも重要視されている。また本来、頂上部には≪祝福する贖罪主キリスト≫の板絵が配されていたが現在は散逸し、ロンドンの蒐集家ジェキル氏が所蔵されている。なお当初、制作年を1310年頃とする説も唱えられていたがジョットのリミニ滞在時期から現在はほぼ否定されている。

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