Introduction of an artist(アーティスト紹介)
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伊藤若冲 Itō Jakuchū
1716-1800 | 日本 | 江戸時代中期 京絵師




18世紀の京都で活躍した絵師。描く対象を直接観察することによる徹底した写実描写(実物写生)と古典の融合、否が応にも観る者を惹きつける鮮烈な色彩、作為的な対象表現などで江戸時代中期の京画壇に旋風を起こし絵師として名を馳せる。独自性際立つ高度な描写・表現技法が駆使された妖艶的印象すら感じさせる人工的で幻想的な画風は、禅僧など当時の文化人・知識人などを魅了した。1716年(正徳6年)、尾形光琳が死去したその年に京都の裕福な青果問屋「桝屋(ますや)」の長男として生を受ける。1738年、桝屋三代目であった父、宗清の死去に伴い若干23歳で家督を継ぐ。青年期(おそらくは10代)に絵画に興味を抱き、当時の大阪を代表する狩野派の絵師、大岡春卜とその絵本から狩野派の技法を、次に南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けながら1000点にも及ぶ臨写(模写)によって宋元画を学ぶものの、双方で原型を超えることができないと限界を見出し、描く対象を直接描く実物写生へと移行、絵師の大きな特徴となる写実描写様式を完成させてゆくことになる。17年間桝屋四代目、伊藤源左衛門として青果問屋を営みながら作品制作を続けるものの、1755年、家督を弟、宗巌(白歳)へと譲り若干の町政に関わりを持ちつつ画業に専念するようになるが、それまでに高名な禅僧、大典顕常から「若冲」居士号を賜ったと推測される(※この若冲は大典が交友した売茶翁の水差しに描いた老子からの引用言葉「大盈若沖」に基づくとされる)。1758年頃から三十幅にも及ぶ絵師の代表的な花鳥画連作群「動植綵絵」の制作に着手、10年近くの歳月をかけて完成させ、三幅の「釈迦三尊像」と共に相国寺へ寄進した。また動植綵絵の制作開始と同時に水墨画、障壁画、版画、絵巻(画巻)、屏風絵など数多くの作品を手がけて絵師として確固たる地位を築いた(※数名の弟子を抱え工房を開いていた)。さらに装飾性際立つモザイク風の描写技法(枡目描き)や、筆触分割による点描手法など当時の実験性の高い表現にも精力的に取り組んだ。晩年期には1788年に京都で発生した大火災(天明の大火)によって住居が焼失、また1790年には大病を患うなど憂き目に遭うものの、一時的な大阪滞在を経た後、深草(京都)石峯寺門前に転居し、終の棲家として同地を拠点に最後まで作品制作に尽力する。1800年、交友のあった池大雅二十五回忌の案内が届くものの病欠し、おそらくは9月8日(又は10日)に死去。奇想の画家として知られる若冲は、生前こそ「平安人物志」で円山応挙に次ぐ絵師として記されるほど人気が高かったが、明治時代には奇抜な作風から不当に評価を下げられ忘れられた存在となるものの、20世紀後半から再評価が進み、1990年代には独創性豊かな京都を代表する絵師として広く認められている。絵師の交友関係としては大典顕常、売茶翁、伯c照浩(若冲に僧籍を与えた中国からの来日僧)、無染浄善、蒲庵浄英、平賀蕉斎、木村蒹葭堂、池大雅など。なお僧籍にあった若冲は生涯独身であり、酒や芸事など世間の雑事には全く興味を示さなかったと伝えられる。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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梅花皓月図(動植綵絵)

 1760年頃(宝暦10年)
(Plum Blossoms and Moon)
142.9×79cm | 三十幅内一幅・絹本著色 | 三の丸尚蔵館

18世紀京都を代表する奇想の絵師、伊藤若冲の花鳥画傑作群≪動植綵絵≫より『梅花皓月図(ばいかこうげつず)』。若冲が自身の作品を永世遺そうと三十幅の花鳥画を制作したことに始まる連作群≪動植綵絵≫の中で第一次期(1758-60年頃)に手がけられた1点である本作は、凛と咲く白梅の花木に煌々と輝く満月を合わせた『梅花皓月』を描いた作品で、大典が遺した藤景和画記へは「羅浮寒色」とも記されている。現在は宮内庁の三の丸尚蔵館に所蔵されるため有形文化財指定されていないものの紛れもなくそれに値する出来栄えとして広く認められる本作は、絵師が画業に専念するため家督を次弟へと譲った1755年に手がけた、現在バーク財団(ニューヨーク)に所蔵される『月下白梅図(月梅図)』と同一の構図・構成で制作されていることが知られているが、細部の表現には、より細緻で立体的な写実性など若冲の個性が明確に示されている。下部から上方へと伸びる梅の樹木は幹を上下左右へくねらせながら奔放に枝を広げ、その自由で、縦横無尽で、雄渾に絡まり合う幹枝の姿は観る者を強く惹きつける。さらに枝先で咲かせる無数の可憐な白梅の花弁は画面右上に配された皓月の薄い月光によって、薄っすらと透き通っている。これら幹枝と花弁・皓月の造形や色彩などの見事な対比は『月下白梅図(月梅図)』より明確化されており、特に複雑に濃淡を変化させることによる対象の陰影描写は目を見張る秀逸な出来栄えである。また本作から感じられる奇異的な雰囲気・印象には若冲の内面性を指摘する声も少なくない。

関連:バーク・コレクション 『月下白梅図(月梅図)』

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老松白鳳図(動植綵絵)

 1765-66年頃(明和2-3年)
(Old Pine Tree and White Phoenix)
142.3×79cm | 三十幅内一幅・絹本著色 | 三の丸尚蔵館

江戸時代中期(18世紀)、京都で活動した特異の絵師、伊藤若冲の傑作花鳥画群≪動植綵絵≫より『老松白鳳図(ろうしょうはくほうず)』。画家が自身の作品を世の中に末永く残そうと三十幅の花鳥画を制作し相国寺へ喜捨したことで、現在まで色褪せることなく無事伝えられる連作群≪動植綵絵≫の中で最後期となる第三次期(1765-1766年頃)に手がけられた1点である本作は、老松に中国に伝わる伝説の霊鳥≪鳳凰≫を配した作品であると共に、桐も合わせられていることから伝統的な≪桐に鳳凰≫の吉祥図でもあり、快作の多い動植綵絵の中でも特に優れた代表作品として挙げられることも多い。本作は(動植綵絵と同様に)宮内庁三の丸尚蔵館へ所蔵される、絵師が1755年頃に手がけた雌雄2羽の鳳凰に旭日を合わせた『旭日鳳凰図』のうち、羽を広げる雄の鳳凰のみを白羽毛に変えて描かれていることが明らかとなっているが、裏彩色(裏透けする絹本の特徴を活かし裏側から彩色することで、顔料の彩度を保持しながら微妙な色彩効果を画面へ与える技法)によって描かれる鳳凰のレースのような純白の羽の美しさは今も観る者を惹きつけてやまない。細密に描かれる老松と桐の絶妙な配置や、白鳳、旭日、老松、桐に用いられる色彩の対比など見所の特に多い本作で、最も注目すべきはあまりにも妖艶的な印象の強い白鳳の表現にある。白鳳の姿態こそ(本作、そして旭日鳳凰図の)原図となった明画に倣われているものの、数多の曲線の組み合わせによって描写される白鳳の流れるような振る舞いや切れ長の目の表情など、その姿には艶やかな色気を感じずにはいられない。そしてそれは赤色、緑色の2種で描き込まれるハート型の尾端によって、より強調されている。妻を娶らず、生涯独身を貫いた若冲であるが、本作の妖艶な鳳凰には若冲の秘めた性的嗜好や欲望、画面右上の旭日の下方へ配された白鳳を見つめる山鳩の姿には若冲自身の投影がしばしば指摘されている。

関連:三の丸尚蔵館所蔵 『旭日鳳凰図』

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竹図襖

 (Bamboo) 1759年
各168.3×93cm | 襖絵四面・紙本墨画 | 鹿苑寺(金閣寺)

二十世紀末の再評価を経て、江戸時代中期において独創性豊かな絵師として益々重要視される伊藤若冲の類稀な傑作、重要文化財にも指定される鹿苑寺(通称金閣)大書院障壁画の中のひとつ『竹図襖』。動植綵絵の第一期とほぼ同時期の1759年(宝暦9年、若冲44歳)に若冲と交友のあった大典顕常を師とする龍門承猷の(鹿苑寺への)入寺祝いとして同院障壁画の注文を受け制作が開始された本作は、鹿苑寺大書院来訪時に最初に入ることになる狭屋之間の襖絵として(おそらくは障壁画制作の最後期に)手がけられた作品で、画題として古代中国で描く者の性格や感情表すとして非常に尊重されていた≪墨竹≫が描かれている。本作では四面中、中央を外し左右に墨竹が配されているが、その表現は驚くべきものだ。本作で描かれる竹幹は筆の勢いと擦れの効果を活かし、まるで糸遊が如く揺らめいているかのような姿で描かれており、竹独特の硬質的な表層の肌質はまるで感じさせず、竹の繊維によるしなやかな特性のみを強調している。伝統的な表現(例:尾形光琳作『竹梅図屏風』)を容易く逸脱する本作の墨竹表現であるが、絵師の個性を映す画題としての本質を考慮すると非常に興味深い。また本作では竹葉の描写においても若冲の独自性が示されており、特に撥筆によって三角形状に意匠化(パターン化)し、濃淡によって月光の様子を表す描写手法は観る者を強く魅了する。なお一部の研究者からは牧谿の『観音猿鶴図』からの影響が指摘されている。

関連:鹿苑寺大書院障壁画 『葡萄図襖絵』

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仙人掌群鶏図

 (Cactus and Domestic Fowls) 1789年
各177.2×92.2cm | 襖絵六面・紙本金地著色 | 西福寺

家督を譲った後、おおよそ45年にも及ぶ伊藤若冲の画業における晩年期の傑作『仙人掌群鶏図(さぼてんぐんけいず)』。天明の大火に遭った後、一時的に滞在した大阪の鰻谷で薬種問屋を営む数寄者、吉野五運の依頼によって同家の菩提寺(西福寺)の襖絵として制作されたと伝えられる本作は、若冲が絵画を学び始めた頃から描き続けてきた、(絵師の)身近にあり、直接観察でき、美しく面白い形状や色彩を有する画題対象≪鶏≫と、異国から入った珍しい植物≪仙人掌≫を合わせた、一見すると奇妙、奇天烈な作品である。基本的に職業画家として絵画を制作することが無かった裕福な若冲が、天明の大火で家屋と資産を失った後、生活のために描かれた作品でもある本作では襖六面の左右最端に奇形的な仙人掌が、そして六面全てに鶏が描かれているが、左から2番目の面と最右面以外は雌雄の鶏が描き込まれている。絵師の代表作『動植綵絵』でも数多く描かれる鶏(※例:南天雄鶏図)であるが、その印象には絵師自身の内面性と境遇による差異を見出すことができる。南天雄鶏図に示されるよう、動植綵絵を制作していた頃の若冲は絵画としての自身の表現美、様式美、思想を重んじ、現実に肉薄する厳しい写実描写や恣意的な形態模写など人を寄付けないほどの幻想性と独創性を感じさせる画風が特徴であったが、本作では高度な写実性や緊張感漂う構図・構成こそ変わらないものの、作為的な鶏の描写の中に微笑ましい親和感を見出すことができる。特に(六面中左から)雌鶏や雛を無視し直立する雄鶏、話しかけるものの雌鶏にそっぽを向かれる雄鶏、雌鶏の愚痴を聞くかのような雄鶏、喧嘩するかのような雌雄の鶏と、対で描かれる鶏の家庭的で世俗的な描写には、若冲の世間感、加えて一面中単独で描かれる鶏に世間の中の若冲の姿を感じることができる。

関連:宮内庁三の丸尚蔵館 『動植綵絵 南天雄鶏図』

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