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Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像

アンドレア・デル・サルト Andrea del Sarto
1486-1531 | イタリア | マニエリスム

16世紀初頭に活躍したフィレンツェ出身の画家。修行時代をピエロ・ディ・コジモの下で過ごし、レオナルド・ダ・ヴィンチラファエロ、フラ・バルトロメオなどの影響を受けながら画風を形成。当時より優れた画家として名声を博す。一時ローマや当時の仏王フランソワ一世の招きにより王の宮殿に滞在したほか、その活動の殆どをフィレンツェでおこなう。画風はレオナルド・ダ・ヴィンチに倣うスフマート(ぼかし技法)や安定的でリズミカルな構図を基礎とした16世紀初頭の古典主義への傾倒が認められ、マニエリスム独自の特徴として陰鬱な表情表現以外はあまり見られないが、彼の弟子であったポントルモや、ロッソ・フィオレンティーノなどマニエリスムの創始的な画家たちに少なくない影響を与え、結果として、ルネサンスとマニエリスムの橋渡し的な存在となった。


Work figure (作品図)
Description of a work (作品の解説)
【全体図】
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ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな) (Noli me tangere)
1509-10年頃 | 176×155cm | 油彩・板
サン・サルヴィ美術館(フィレンツェ)

アンドレア・デル・サルトの代表作『ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)』。本作は同じくアンドレア・デル・サルトの代表作である『受胎告知』、『聖三位一体についての議論』とともにサン・ガッロ聖堂祭壇画として制作され、1529年、同聖堂が取り壊されると、サン・ヤコポ・トラ・フォッシオ聖堂へ、19世紀にウフィツィ美術館(フィレンツェ)に移された後、現在のピッティ美術館へと収蔵された。本作に描かれる主題≪ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)≫とは磔刑に処され死したイエスの埋葬から3日後に復活を遂げると天使から聖告されたマグダラのマリアの前に、主イエスが羊飼いの格好で姿を現す場面で、主イエスの曲線的で優美な雰囲気や身振り、マグダラのマリアの洗練された鮮やかな色彩、詩情を感じさせる風景描写などが本作の大きな特徴である。

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受胎告知 (Annunciazione) 1512年頃
185×174.5cm | 油彩・板 | ピッティ美術館(フィレンツェ)

アンドレア・デル・サルトの代表作『受胎告知』。本作は同じくアンドレア・デル・サルトの代表作である『ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)』、『聖三位一体についての議論』とともに、サン・ガッロ聖堂祭壇画として制作されたが、1529年、同聖堂が取り壊されると、サン・ヤコポ・トラ・フォッシオ聖堂へ移され、その後、メディチ家の別荘(ポッジョ・インペリアーレ)、ウフィツィ美術館(フィレンツェ)を経て、現在のピッティ美術館へと収蔵された。弟子であったポントルモの筆も入っていると研究されている。古典的な人物像に、やや陰鬱な印象の表情を浮かべる表現はアンドレア・デル・サルトの大きな特徴のひとつ。また本作は画面左に聖母マリア、右に聖告する大天使ガブリエルを配する、やや珍しい構図を取っている。深い感情の表現が見事な大天使ガブリエルは、純潔の象徴である百合の花を手にし、神の意志である聖胎を告げている。また、天使たちの頭上には父なる神の三位≪聖霊≫が描かれた。

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聖三位一体についての議論 (Disputa sulla Trinita)
1517年
232×193cm | 油彩・板 | ピッティ美術館(フィレンツェ)

アンドレア・デル・サルトの代表作『聖三位一体についての議論』。本作は同じくアンドレア・デル・サルトの代表作である『ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)』、『受胎告知』とともにサン・ガッロ聖堂祭壇画として制作されたが、1529年、同聖堂が取り壊されると、サン・ヤコポ・トラ・フォッシオ聖堂へ移され、その後、ピッティ宮を経て、本美術館へ収蔵された経緯を持つ。本作は頭上に象徴的に描かれた聖三位一体について議論をおこなう諸聖人たちを描いた作品で、深い陰影と色彩による硬質的な衣服の表現に、マニエリスム的な解釈と傾向を感じさせる興味深い作品である。また本作に示される不安定的な独特の雰囲気は、画家の特徴的な詩情感に溢れる表現手法におけるひとつの頂点を示すものとして画家随一の代表的な作例としても知られている。

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アルピエの聖母 (Madonna delle arpie) 1517年
207×178cm | 油彩・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

アンドレア・デル・サルトの代表作であり、画家随一の傑作でもある『アルピエの聖母』。フィレンツェのサン・フランチェスコ・デ・マッチ聖堂の主祭壇画として制作された本作は、2天使に支えられる聖母子を中心に、左に聖フランチェスコ、右に福音書記者聖ヨハネを配した≪聖会話≫を主題とし、18世紀初頭メディチ家の所蔵を経て、ウフィツィ美術館へ収蔵された経緯を持つ。アンドレア・デル・サルトの画風である古典的表現の中に、スフマート(ぼかし技法)によるレオナルド・ダ・ヴィンチの大気感、ミケランジェロによる厳格な雄大感、ラファエロによる聖母子像の甘美な表現と、ルネサンスのエッセンスを凝縮した本作は、まさにアンドレア・デル・サルト作品を代表する高い完成度を見せる。聖母子を中心に取られる、安定した三角形の構図は聖母子像の典型とされ、アンドレア・デル・サルトの描く殆どの聖母子像は、この構図が取られている。また聖母マリアのモデルは画家の妻とされている。本作題名の由来ともなった、怪物(ハルピュイア=アルピエ)が彫られる台座が聖母子の足元に配されている。画面左右に配される聖フランチェスコ、福音書記者聖ヨハネの表現は、豊かな人体表現を用いながらも、聖人としての神性も兼ね備えている。

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階段の聖母 (Madonna della scala) 1522年頃
177×135cm | 油彩・板 | プラド美術館(マドリッド)

安定した構図と表現から、16世紀末まで古典的範例として、数多くの模写が残されている、アンドレア・デル・サルトの典型的な作品『階段の聖母』。ロレンツォ・ヤコピの為に制作され、その後、マントヴァ公、英国王チャールズ1世を経て、スペイン王フェリペ4世が手にした経緯を持つ本作の主題は、三角形の構図の頂点に聖母子を、その下に諸聖人や天使を配する典型的な≪聖会話≫であり、レオナルド・ダ・ヴィンチからの影響である柔らかい光彩と、スフマート(ぼかし技法)による輪郭の表現は、当時の近代性を示すものであり、すでに名を馳せていたアンドレア・デル・サルト作品の、アカデミーにおける良き作例として、常に重用されていた。また聖母マリアの不安げで、やや陰鬱な感情の表現は、画家のマニエリスム的な一面として捉えられる。また降臨した天使と会話を交わす幼子イエスの姿。この聖母子を頂点とした、ラファエロの聖母子画を思わせる三角形の構図は、アカデミーにおける良き作例として当時から数多くの模写・模倣がおこなわれた。本作中、最も特徴的な穏やかな情景の中に描かれた聖母の表情は、これからイエスが歩んでゆく波乱と苦難に満ちた救いへの人生への暗示と解釈される。

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最後の晩餐 (Ultima Cena) 1526-1527年
462×872cm | フレスコ | サン・サルヴィ修道院

古典主義への傾倒を見せるアンドレア・デル・サルトの代表的な作品『最後の晩餐』。フィレンツェのヴァッロンブローサ修道院(現美術館)の食堂を飾るために描かれた本作の主題は≪最後の晩餐≫であり、裏切り者を指摘する極めて緊迫した場面が描かれているが、決して劇的な表現には陥らず、あくまで神性を意識した品の高い表現が用いられている。これは同主題による世紀の傑作を残したレオナルド・ダ・ヴィンチからの強い影響が感じられ、1529年、フィレンツェへ侵攻したスペイン軍が、本作のあまりの美しさに、破壊を留めたという逸話やルネサンス期のフィレンツェにおいて、同主題を描いた最後の大作となる本作は1511年に依頼されたが、制作は大幅に遅れ、16年もの歳月を経た1527年に完成した記録が残っている。本作の主題≪最後の晩餐≫はイエスが自ら予告していた、近づく死の前日に十二使徒と共に摂った夕食を指し、イエスの身体を示すパンやイエスの血を示すぶどう酒の存在、ユダの裏切りなど、教義において特に重要視される。また教会における聖餐式はこれに由来している。

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