2004/09/13掲載
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我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?) 1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
画面中央で果実を取る女。本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。
【画面中央で果実を取る女】
画面左部分に配される老いた老婆。画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には≪人間の生から死≫の経過を表現したとする説が採用されている。
【画面左部分に配される老いた老婆】
画面右部分に配される三人の娘。本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。
【画面右部分に配される三人の娘】
画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。
【画面左部分に配される神像】 |