Description of a work (作品の解説)
2009/10/06掲載
Work figure (作品図)
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アイラウの戦場におけるナポレオン・ボナパルト、1807年2月9日(エロの戦場のナポレオン・ボナパルト、1807年2月9日)

 (Napoléon sur le camp de bataille d'Eylau) 1808年
521×784cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

ロマン主義の巨匠アントワーヌ=ジャン・グロの傑作『アイラウの戦場におけるナポレオン・ボナパルト、1807年2月9日(エロの戦場のナポレオン・ボナパルト、1807年2月9日)』。『ヤッファのペスト患者を訪れるナポレオン・ボナパルト』と共に、フランスロマン主義最初の傑作と見做される本作は、皇帝ナポレオン・ボナパルト による永遠の統治を示す≪グランド・マシン(大作の意)≫の1点として制作された作品で、1807年2月7日から8日にかけて東プロイセンで起こったフランス軍とロシア軍の争い≪アイラウの戦い≫の翌日が場面の舞台となっている。本作の画題≪アイラウの戦い≫ではフランス軍は勝利を収めたものの、激しい吹雪や極寒などによって苦戦の連続を強いられ、同地での戦闘では計22,000人もの死傷者を出すという極めて陰惨な状況にあり、本作ではその過酷的な状況を当時としては類稀な写実性で描き出されている。画面中央よりやや右側には将軍らを伴いながら馬に跨り戦場を駆けながら兵士たちに謁見を許す皇帝ナポレオンの姿が堂々と描かれており、この凛々しく高貴な表情はナポレオン自身からの指示であったとされている。またナポレオンの周囲には皇帝に謁見する兵士らが配され、ナポレオンの偉大性を強調させている。さらに画面下部には本戦闘で死した名も無き兵士らの死体が無残に積み重ねられており、この戦闘の激しさと消耗をよく示している。本作で最も注目すべき点は、(あくまでも勝者フランス軍の都合によるものであるが)史実に基づいた即時的で非常に写実性の高い場面描写にある。特に本作の画面下部(前景)に丹念な筆触によって描き込まれる雪の積もった死者の恐怖感や重・軽傷者たちの苦痛に溢れた光景や、戦闘後の不安で混沌とした雰囲気の中を行き交う皇帝ナポレオンを始めとした登場人物の態度などは、観る者に強烈な印象を残す表現描写であり、ロマン主義の形成に多大な影響を与えた。


【全体図】
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陰惨な戦場を駆ける皇帝ナポレオンの姿。本作は皇帝ナポレオン・ボナパルト による永遠の統治を示す≪グランド・マシン(大作の意)≫の1点として制作された作品で、1807年2月7日から8日にかけて東プロイセンで起こったフランス軍とロシア軍の争い≪アイラウの戦い≫の翌日が場面の舞台となっている。



【戦場を駆ける皇帝ナポレオン】
皇帝に謁見する兵士たち。雪の積もった死者の恐怖感や重・軽傷者たちの苦痛に溢れた光景や、戦闘後の不安で混沌とした雰囲気の中を行き交う皇帝ナポレオンを始めとした登場人物の態度などは、観る者に強烈な印象を残す表現描写であり、ロマン主義の形成に多大な影響を与えた。



【皇帝に謁見する兵士たち】
戦場に横たわる死者の山。激しい吹雪や極寒などで苦戦の連続を強いられ、計22,000人もの死傷者を出すという極めて陰惨な状況にあった本戦闘で死した名も無き兵士らの死体が無残に積み重ねられており、この戦闘の激しさと消耗をよく示している。



【戦場に横たわる死者の山】

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