Description of a work (作品の解説)
2006/03/19掲載
Work figure (作品図)
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教皇パウルス三世とその息子たちの肖像

1546年
(Paolo III e i nipoti Alessandro e Ottavio Farnese)
210×174cm | 油彩・画布 | カポディモンテ国立美術館

ティツィアーノの残した肖像画中、最も知られている代表的作例のひとつ『教皇パウルス三世とその息子たちの肖像』。本作はナポリ地方の名家ファルネーゼ家出身の教皇パウルス三世の依頼により、ティツィアーノが息子の将来の安泰と引き換え(実際にはその取引は叶わなかった)に手がけた教皇パウルス三世の肖像画数点の中で、最も画家の類稀な画才が示されているもののひとつで、芸術の庇護者でありミケランジェロに有名なシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』を描かせたことでも知られている権力闘争に長けていたパウルス三世が、一族であるファルネーゼ家の絶対的権力と未来永劫の繁栄の象徴として自身の有力な後継者候補であった息子のアレッサンドロ・ファルネーゼとオッターヴィオ・ファルネーゼを自らと共に描かせているが、ティツィアーノの対象を見抜く類稀な才能によって、教皇パウルス三世は威厳ある教皇としての姿より年老いた男としての狡猾な性格を、画家本人による位置の修正がX線撮影により確認されている当時は枢機卿の地位にあったアレッサンドロ・ファルネーゼは聖職者としてよりも愛人を複数持った好色な男として、後にパルマとピアチェンツァの第二代公爵となったオッターヴィオ・ファルネーゼはパウルス三世に従う策略に満ちた胡散臭い印象で描かれている。また本作以前に描かれた『パウルス三世の肖像』などパウルス三世の依頼はティツィアーノが息子の将来の安泰と引き換えに受けたものであったが、パウルス三世がそれを反故し続けたために、ついには本作を未完のまま筆を置きローマを離れたとされている。

関連:ティツィアーノ作『パウルス三世の肖像』


【全体図】
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年老いた男としての狡猾な性格を描いたパウルス三世の肖像部分。本作はナポリ地方の名家ファルネーゼ家出身の教皇パウルス三世の依頼により描かれた肖像画のひとつで、数点描かれた肖像画の中でも最も画家の類稀な画才が示されている。



【狡猾な性格を描いたパウルス三世】
描かれなかった教皇パウルス三世の右手。本作以前に描かれた『パウルス三世の肖像』などパウルス三世の依頼はティツィアーノが息子の将来の安泰と引き換えに受けたものであったが、パウルス三世がそれを反故し続けたために、ついには本作を未完のまま筆を置きローマを離れたとされている。



【描かれなかったパウルス三世の右手】
聖職者としてよりも愛人を複数持った好色な男としての印象が強く示す、当時は枢機卿の地位にあったアレッサンドロ・ファルネーゼの肖像。このアレッサンドロ部分にはティツィアーノ自身による位置の修正がX線撮影により確認されている。



【アレッサンドロ・ファルネーゼの肖像】
パウルス三世に従い寄り添う、策略に満ちた胡散臭い印象で描かれている、後のパルマとピアチェンツァ第二代公爵オッターヴィオ・ファルネーゼ。ファルネーゼ家はナポリ地方の名家中の名家であり当時から数世紀の間、人々を支配し続けた。



【オッターヴィオ・ファルネーゼの肖像】

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